日吉大社のお詣りを済ませた後は、近くにある西教寺にいきました。古くは聖徳太子の頃にまで遡る由緒あるお寺です。戦国時代に織田信長の延暦寺焼き討ちで焼失し、明智光秀が寺の復興に尽力したという歴史があり、境内には光秀一族のお墓があります。総門は光秀の居城・坂本城から移築したもの。大河ドラマも佳境とあって、境内は光秀関連の展示が各所にありました。
総門から勅使門までまっすぐに石畳が敷かれており、両脇には桜の木が植えられています。きりっとした空気の中でみる冬の景色も好きです。私自身、10年ちょっと前から関西を中心に寺社仏閣、名所を歩くようになりましたが、まだまだ未踏の場所がたくさんあります。尽きないほど観るべき場所が多い、このエリア近くに暮らしていることもまたありがたいことかなと思います。
石畳のわきにある建物内で大河ドラマ関連の展示がありました。俳優さんたちが撮影で使った衣装、小物類などが展示されていました。
長谷川博己さんが着ていた衣装。長谷川さんは182cmと高身長なのですね。衣装だけみても、シュッとしててかっこいい。
この衣装を着用してみえた時の映像も流されていました。
左はドラマ中で使われていた夫婦の盃、右奥は熙子が温めて光秀に渡した石、手前右は亡くなった熙子の爪をいれた香合。
他にも映像が流れていたり、ドラマの紹介などがされていました。枯山水のお庭。
勅使門。
本堂と反対側にある宗祖大師殿。
ここに建って唐門を通してみえる琵琶湖の眺めが有名です。門が額縁の枠となり、まるで額絵のようにみえるとのこと。あいにく、午前10時過ぎの時間は逆光になってしまいました。
この唐門を前面から。
近年修復を終えたばかりという唐門。登録文化財です。門の上に麒麟が彫られています。ちょっとズームでみてみる。
右と左で阿吽の麒麟です。狛犬と同じく、一方が口をあけ、一方が閉じているのもわかりました。中国から伝わった架空の動物で、聖獣・霊獣といわれています。
まだまだ早春、という感じ。
本堂に向かいました。本堂も重文。
威厳を感じます。本堂のすぐ前に光秀一族、妻熙子のお墓があります。
光秀の時代は慣例として、妻が亡くなっても夫は葬儀には出ないものでした。しかし、光秀は葬儀に参列し、墓地まで熙子を送ったという記録があるそうです。熙子の墓石は光秀の斜め後ろにあり、控え目に夫の後ろ姿を見守るように建っていました。互いを思いやるような二人の関係が想像されました。
建物の中にあがって内部の見学をしました。大本坊上がってすぐのところに光秀夫妻の位牌が安置されている部屋があり、私も静かに焼香させてもらいました。ひとつまみの香を火にくべた時、ふわっととても良い香りが立ち上りました。
ここもいろいろ大河ドラマ関連の展示がありました。
大本坊とは別に書院奥にある資料室(下の写真)。撮光秀の遺品や娘婿の秀満ゆかりの品が展示されていて大変見応えがありました。
「明智左馬之助の湖水渡り」という伝説があります。左馬之助(秀満)は光秀の娘婿で明智家の重臣。光秀の死を知り、坂本にひきあげようとした際に大津で敵兵に遭遇。そこで名馬に乗って湖水をわたったというお話です。その時に左馬之助が身に着けていたという馬具が展示されていました。経年でだいぶ古ぼけて痛みもありましたが、とても感慨深い気持ちに。
そういえば、境内にはいってからこの日はなぜか制服を着用した警察の人がたくさんみえることに気がついていました。黒塗りの立派な車もおいてあったし、人数もやたらと多い。何があるのかしら・・と思っていたら、あれっ、ゆるキャラもいる!
いっしょに写真を撮ってもらいました。(笑) 信楽の狸をモチーフに、警察の「けい」をとって「けいたくん」というのだそうです。
この後、制服組の人たちが続々と本堂へ。そして袈裟姿のお坊さんも続々と本堂へ。このゆるキャラも一緒に入っていった!後ろからみてたら、頭が大きくて大変そう!(笑)
下はその後のテレビニュースの画面です。この日は本堂で特殊詐欺撲滅の祈願法要が執り行われていたそうです。映像をみると、ゆるキャラも一緒に座っています。なんだかシュールな光景でした。
本堂の扉。
客殿、書院の見学もしました。客殿はもと秀吉の伏見城にあった宮殿が寄進されたもの。歩いていて感じたそこはかとなく感じる優美な雰囲気は、元・伏見城だったからなのですね。
ビー玉が沈めてありました。さりげなく映えるかな。
廊下にある石仏。
このシンプルさが好き。
ここにも光秀関連の展示。
庭園も小堀遠州作庭園、穴太衆庭園など立派なものがありました。紅葉の名所、総門が元・坂本城のもの・・という程度の前知識しかなかった西教寺、とても見ごたえある素晴らしいお寺さんでした。ぜひ桜の頃にまた戻ってきたいと思いました。
この後は日吉大社近くにある老舗のそば屋さんに行きました。続きます~。