今年の冬は年明けからぽつぽつ・・と、青空が広がる晴天の日が数日おきにある感じです。日本海側にいると冬の日の青空はとても貴重。ロウバイが咲き始めていると聞き、この日は再び敦賀市へ。常宮神社にいってきました。

 

 

常宮神社は敦賀湾を前に建ち、先日初詣に訪れた気比神宮とはその摂社ともいわれる深いつながりがある神社です。養蚕の神様、安産の神様として信仰されてきたとのこと。拝殿、本殿に続く参道はすぐ横にある海からの風にあたっているためか清浄な空気が気持ち良い印象。

 

参道を歩きながら空を見上げる。

 

 

 

拝殿から敦賀湾を望む。向こうにみえる煙突は火力発電所?

 

 

 

 

本殿に向かう途中にロウバイの木が植えてありました。思っていたよりも、小さな株でした。

 

 

名前の通り、花弁は蝋を塗ったかのようないびつな表面をしています。濃い黄色がかわいい。周囲に人がいなかったこともあり、マスクを外して芳香を楽しみました。そういえば奈良時代は「花」といえば桜ではなく「梅」のことでした。花見といえば「梅見」。昼間に花のビジュアルを楽しむよりも夜に香りを楽しむことが多かったとも聞いたことがあります。それくらい梅の花から放たれる甘い香りは存在感がありますね。

 

 

 

訪れてから知りましたが、この神社は一年中なにがしかの花が咲く花の神社であるようです。

 

本殿入り口の脇にもロウバイの枝が数本、バケツにいれておいてありました。数本だけでもとても良い香り。また立ち止まってしまいました。💦

 

 

 

 

 

境内には梅の木、桜の木が目立ちました。1月の末だとまだ早すぎて梅もちらほら、1分咲きにも満たない0.5分咲き程度でしたが、満開の頃は華やかになりそう。

 

花開いているものをいくつか写真に収めました。梅の花は開ききらない状態で、周りに丸く膨らんだ蕾があるくらいが品よくて好きです。

 

 

 

 

 

境内の梅の木&桜の木。これが満開になるころにまた訪れたいです。

 

 

こちらの神社には国宝の新羅鐘があります。

 

 

 

お願いすれば有料で拝観できます。日本国内には50弱ある朝鮮鐘のうち、ここに収蔵されているのは最古のものとのこと。それがこんな近くにあるのならぜひ見せてもらいたいと思いました。内部の写真撮影は不可だったのでネットからお借りした写真です。

 

 

造られたのは日本の奈良時代。豊臣秀吉の朝鮮半島侵略時に当地から持ち帰ったものを、400年ほど前に豊臣秀吉の命により、敦賀藩主の大谷吉継から奉納された、という歴史があるそうです。実際はもっと青銅の色が強くでた感じでした。近くでみた印象は日本のお寺で見慣れた鐘と比べて表面の模様などが細かく、とても繊細な感じがしました。表面下部には飛翔天の浮彫があり、これも優美な印象を強めてました。上部横に銘板が打ってあり、これがあるのは日本に2口だけで、もう一つは大分県の宇佐八幡宮に所蔵されているのだそうです。宇佐八幡宮所蔵はこれより50年ほど新しいとのこと。

 

鐘の表面をもっと間近でみてみると、ほぼ全面に墨で文字がびっしりと書いてあることに気づきました。薄くなっているので遠目からはすぐわかりません。それらの文字が結構達筆に思えたので何かなと思って神社の人に尋ねてみたら、「参拝者らの落書きです。」とのことでした。(笑)昔は国宝でもなかったし、普通に境内に釣ってあったので、訪れた人が記念に・・と書き込んでいった跡だったようで。しかし、これが国宝に指定されたのは明治時代です。なのでこの落書きは少なくともそれ以前のものということですね。時代を経ると一連の落書きさえなんだか風流めいてみえてくるのが面白いなと思いました。鐘の内側には同様に一面にお札が貼られているそうです。こんな話を伺うと、今も昔もご利益を求める庶民の心って変わってないのだなあと思ってしまいました。

 

収蔵庫の中には隅っこに大谷吉継が戦場で使っていたとされる鍋が置いてありました。四つの足部分もしっかり残っていて、どっしりと安定感がある感じ。これで煮炊きをしていたのかとか、想像するだけでちょっと感慨深い思いに。もう一方の隅には弥生時代のもの?と思われる土器がありました。なぜにこの土器?と尋ねたら、ここを掘った時に出土したものだとのこと。どれも大変興味深いものでした。

 

ロウバイを観に行ったつもりが、思わぬ歴史の勉強にもなった日でした。今度は満開の梅か桜を観にきたいです。3月~4月頃かな。ラブ