前記事でとりあげたキトテノワさんにランチにいくたびに、博物館前の駐車場に車を停めていたので、ずっと気になっていました。かつては銀行だった建物らしいのですが、数年前に修復工事が完了し、当時のクラシックな銀行内部の姿を見学できるとのこと。
しばらく前にブロ友のなつみかんさんが紹介されていて、とても興味深く、行ってみることに。
昭和2年の建設。重厚な石造りの外観が印象的。大和田銀行本店の本館として建てられたそうでうす。大和田家は廻船業で栄えた敦賀の豪商。その分家の二代目が明治に興したのが大和田銀行(のちに三和銀行と合併)。敦賀出身の俳優、大和田伸也さん、獏さん兄弟はこの一族の子孫なのだそう。大和田家って敦賀の「華麗なる一族」だったのですね。
正面玄関のカウンター。当時設置されていたスクリーンも再現されてます。
レトロで重厚な内装に目を見張りました。当時の写真も展示されていました。見比べてみると電灯の形や色に至る細かな部分まで忠実に修復・再現されているように思いました。
高い天井に高い窓、洋風の内装・・近代化を目指していた明治日本の姿が浮かぶようです。
カウンター部分は石造り。修復時に当時のものに近いものを選んで補ってあるそうです。
昔の建物は腰壁部分も本物で美しいと思います。
上階への階段は大理石貼りの豪華なデザイン。カーペットを止めている金具は一部当時のもの。
大金庫。ひときわ重厚な両開きのドア。この中は小さい部屋になっています。
大金庫は銀行の心臓。他の壁よりも壁は厚く、扉も耐火式のもの。上に小さい窓があるのは、大きい扉が開かなくなった時のための予備扉なのだそう。部屋の中には更にまた大きな金庫が置いてありました。
上に続く階段も。この先に何があるのかは不明。
二階の貴賓室にいきました。
板張りの腰壁、寄木造りの床など一見して重厚華麗な内装。賓客を迎えるための部屋として用意され、また会議室としても使われていました。椅子やテーブル、ソファなどは当時のもの。
これも当時の写真。天井の扇風機がないだけでほぼ忠実に再現されている様子。
三階部分。奥にあるのは演壇。一室の大広間の造りで公会堂として市民に開放されていたそうです。当時は畳張りだったとか。この時代の一般的な家庭は畳生活が普通だったので、こういう場所もそれに合わせて畳だったそうです。
当時の敦賀はヨーロッパ、アジアへの窓口として栄えた国際都市。そんな大都市にふさわしい建物を、という想いから、こうした迎賓施設、市民のための施設が完成されたと聞きました。当時の敦賀の人にとって、突然のように現れたこの西洋風建築はどんなふうに感じられたのでしょう。そんなこともいろいろ想像してしまいました。
演壇部分のアーチ。石膏の白色が美しいです。時計も当時のもの。ドイツ製で一階銀行室の親時計に連動して動くようになっていたとか。
今度は地下へ。
ここはかつて京都都ホテル直営のレストランがあり、本格的な洋風料理を提供していました。
天井は配管とかむき出し。最近はおしゃれなレストランやカフェにこんな内装のところがありますね。
天井が低いのと、置いてあるテーブル等が簡易なものだけに、ここから当時のレストランの様子を想像するのはちょっと難しい感じがしました。上の階と同じく赤色のタイルが敷かれ、腰壁の部分は白タイル貼り。当時は洗練された時代の先端のような空間だったのかもしれません。
この日もやはり私以外に見学者はひとりもおらず、悠々と館内を見学させてもらえました。私自身もこうした古い建物をみるのが大好きなので、大変充実した時間でした。