五個荘商人の邸宅3か所目は外村繁邸。外村繁は1902年生まれの小説家。第一回芥川賞の候補にもなった人です。私自身はなんとなく名前を知っていた程度で、あいにく著作を読んだことがありません。繁は江戸時代から代々続く木綿問屋の三男として出生。外村家は明治の長者番付にも名を連ねていたほど栄えた家でした。外村の長兄は本家の養子になり、次兄は病気で夭折したため、繁が家業を継いだものの、やがては弟に譲り、東京に移って小説家として再出発したという経緯があるそうです。作家と実業家って住む世界が正反対な感じがしますよね。あ、でも文芸春秋の創業者だった菊池寛みたいな人もいるからそうでもないのかな。
ここもとても立派な家。門をくぐってすぐのところにある川戸。
野菜や鍋などを洗ったり、淡水魚を飼ったり(食べかすを餌に)、防火用水として使ったりしていたそう。
この家に入ってまた頭上を見上げてしまったけれど、寸分の違いもなく端正に組まれた柱に感激しました。
木の表面には経年によって生まれただろう、なんともいえない艶やかさがありました。素人目にみてもわかる材質の良さもさることながら、建ってから100年以上経過しているのに全くガタがないところがすごいなと思いました。京都から宮大工さんを呼んで建てた家なんだとか。
先にお台所を見せてもらいました。全体の写真はないのですが広い。2-3人の女中さんがここで仕事をしていたのだそうです。
台所の横にあった五右衛門風呂。これは奥さんと子供用。家の主人やお客様用のお風呂は別のところに。
こんなのも見つけました。
昔の生活がこういうところからも想像できる。
座敷に上がったところ。この雰囲気、とてもいい感じ。
蓄音機やレコードなども置いてありました。お客さんを迎えるのは奥の広いお座敷で、ここは日常を過ごす場所で、ほっと寛いだりする空間だったのでしょうか。
広いお座敷。
ここでもつい見てしまうのはこういうパーツ。
説明によると床柱は薩摩栂、下の写真の床框(とこかまち)部分はタガヤサンという洋材を使っているのだそう。
近江商人屋敷は他の地域の商人屋敷のような見た目の煌びやかさは少ないですが、とりわけ外村邸はその傾向が強い感じがしました。しかし武家屋敷に見られるような簡素さとか質実剛健というのでもなくて、各所に控え目な艶やかさ、柔らかさ、繊細さみたいなのが感じられるのです。家は住む人の性格や価値観とか表れてくるんだなあと思ったのがこの日。
庭に降りてみました。
井戸の滑車の部分をみていってくださいね、っていわれました。
織部の滑車です。風流ですね。京都の大徳寺、下鴨神社にも織部滑車があるそうです。
これは「むべ」といアケビ科の一種。春に白い花が咲き、秋に実をつけるのだそうです。万葉時代からあり、「不老長寿の実である」と差し出された果実を食した天智天皇が「むべなるかな」(もっともである)と一言。それがこの実の名前になったそうです。
外村さんの小説にもこの植物のことが出てくると教えてもらいました。いくつか実をみつけたものの、かろうじて全体が残っていたのが数個。鳥がついばみにくるようです。ここの鳥さんたちは長生きしそうですね。
頭上。
ここにも立派な松の木。
ちょっと怖い面持ちだけど、外村繁邸の守護狸。
大きな目は「世の中を見通せる人間になるように」。まるいお腹は「太っ腹な精神」を。そしてタヌキ(他抜き)のごとく、「他を抜きんでた優秀な人間になるように」という願いが込められているそうです。
小さいお座敷へ。ここは外村繁の書斎。
長くなるのでいったんここで切ります。