日本陽明学の祖、中江藤樹の書院址の次に向かったのが資料館です。本当はこちらを先に訪れておいたほうが良かったのかもしれません。このあたり(滋賀県高島市)もどこへ行っても他者と「密」になることって殆どなくて、入館時点で来訪者は私だけでした。普段なら職員の方が一緒について館内の説明をしてくれるそうなのですが、時節柄それはないということで、簡単な動画を見せてもらいあとは自分でみてまわることに。

 

 

火事で焼けてしまった書院の復元模型やその周囲に掛け軸や書籍、衣服、藤樹の愛用品などが展示されています。

 

 

藤樹にまつわる逸話をわかりやすくお人形で表した展示も。

 

明治初めころの火事は村の多くを焼失させてしまう大火事だと聞いたのだけれど、これだけ多くの品が残っていることに驚きました。火事のさなか、村人たちが自分たちのよりも、藤樹先生のものを・・!と懸命に持ち出したのだそうです。

 

 

これは細川元総理が訪問された時の書。「明徳」と書いてあります。全ての人間に備わっている天から与えられた徳性のことをいうのだそうです。

 

写真に撮ってないのですが酒壺の展示がありました。故郷に戻ってきた中江藤樹がお酒の量り売りをしていたことがあったそうです。でもそれは無人販売。お客さんは自ら柄杓で酒をすくい、その分のお金を傍に置いておくという方式だったそうです。代金が違うことはなかったとありました。私はこの展示をみた時、また藤樹が唱えた明徳の意味を知った時、人は心底信頼されたら、そう簡単に相手を裏切ることはないのでは?と感じました。中江藤樹にはそうした人間への「信頼」があったのだと思いました。

 

 

 

書院址や敷地にあった楷の木。孔子にゆかりある木で、儒学に関連するところには植えてあることが多いと思います。漢字の「楷書」書体はこの葉っぱのかたちに由来しているとか。

 

資料館を出て、隣にある藤樹神社にお参りしました。

 

 

時刻は午後3時すぎ。これ、自分的には神社参りのタイムリミットを過ぎてます。雨が降っている時なんかは暗いのであまりお詣りすることないのですが、ここの神社は例外的にとても明るい。そのまま境内に進みました。あとで知りましたがこの神社の建築には地域住民のほか渋沢栄一や三菱や住友など時の財閥から多額の寄付があったそうです。

 

 

雨が勢いよく降ってました。境内は清い雰囲気。そしてとても大きな木がありました。説明書によると「ダマの木」という名で県内でも有数の巨木なのだそうです。

 

 

他にも立派な木がいくつか生えていました。

 

更に安曇川の道の駅のすぐ横には中国風庭園(陽明園)があるのですが、雨模様だったこともあり、ここにはいきませんでした。あと書院址近くに藤樹墓所もあったのですがそこも同じ理由でいきませんでした。でもこれらの場所、全て数分の徒歩圏内にまとまって立地しているので、見学するにはとても便利だと思います。