12月の読書メモです。

山崎豊子さんの作品はこれで4作目。
数年前にドラマ化された作品でしたが、映像版では殆ど観ていないので
次の展開にドキドキしながら一気に突っ走って合計1900ページを読み終えました。
物語は志摩観光ホテルのメインダイニングで一族が会し、
優雅に食事と会話を楽しんでいる場面から始まります。
万俵コンツェルンの総帥であり阪神銀行の頭取、万俵大介の野心を巡り
銀行の合併、政界&官界&財界の癒着、身内の中の愛憎劇が絡まって
優雅な始まりとは裏腹にとても重い内容でした。
長男鉄平の出生に疑問を抱きつづける大介は、鉄平が専務を務める
鉄鋼会社を倒産まで追いつめ、そこに融資して不良債権を抱え込んでしまった
銀行との合併を成功させるのですね。
大介の野心は達成されましたが、息子は父親の画策を知り、猟銃自殺してしまいます。
善人は報われず、悪人は栄え、正直者は損をする、そんな結末です。
自殺してしまった長男の鉄平や鉄平を見込んで融資していた
大同銀行の三雲頭取など理想を掲げ何にでも正々堂々と立ち向かおうとする人は
敵の狡猾な罠に嵌められて、敗者となり物語の舞台から退場させられてしまいます。
この長い物語の中で脇役の脇役みたいに少ししか登場していませんでしたが
阪神銀行の預金を増やすため、持病がありながら身体に無理を重ねて働き続け
最後に過労死してしまう一支店長の姿が忘れられません。
なんともいえな理不尽さ。これが現実の社会なのだろうと思い、
同時にこの理不尽な社会に対する著者の怒りを行間に感じながら読み進めました。
息子の死を以て勝ち得た銀行合併の果実も、3年後には更に大きな
銀行に買収されてしまう・・ことを予想させる場面で終わります。
大介の更に上を行く悪人も世の中にはいるのです。
なんでも上には上がいるものなのですね。((+_+))
最後に次女の二子が、親の野心のための閨閥結婚ではなく
本当に好きになった人と結婚できたことがひとつの救いだったかもしれません。

櫻井よしこさんというと舌鋒鋭いジャーナリストという印象が強かったですが
そのイメージとは違うソフトな語り口で書かれた一冊でした。
心に残った箇所が2か所ありました。
「もったいない」という言葉を生み出してきた日本人は
その伝統的価値観として、決してものを粗末にしたり捨てたりすることがなかったということです。
江戸時代、女性は嫁ぐ時に一生分の衣装を持っていったそうです。
かといって膨大な量ではなくそれらを幾度も洗い張りをして一生着ていました。
着古して汚れると解いて洗い張りして、仕立て直し、色が薄くなったり
あせたりすると染めなおして。
長い年月を経て布地が弱ってきたら綿入れにしたり、刺し子のようにして布地を
強化する。それでもダメになったら着物の布を裂いてそれを編んで草履や鼻緒にしたり
小物にしたり、本当にボロボロになるまで使ったそうです。
私もここまでやりませんが、モノを手入れして長く使うのが好きです。
傍から見るとボロボロになるまで使い続けているものもあって
時々、周りの人に感心・・というか呆れられてしまうこともあります。
バーゲンごとにたくさん買い物をして、すぐに捨ててしまう
昨今のライフスタイルは本来の日本人の姿ではない・・
それを知ってなんだかちょっと嬉しく思いました。(#^^#)
また英語教育は日本語を完璧にしてから、
という著者の主張にも共感するところがありました。
モノを考える手段は言葉です。
言語能力が100あるべきところを80しかなかったら
それだけの深さでしか物を考えられないということになります。
赤ちゃんの時から英語を教えて日英両言語が中途半端なままであったら
その人の思考能力も中途半端なままです。
私には子供はいないですが、もしいたら多分小さい頃は英語を習わせたりしないと思います。
その代り、たくさんの良質な日本語の本を読む機会を与えると思います。
充実した思考能力を備えていればそこに別の言語が入ってきてもちゃんと吸収できるのです。
「幼児時代の英語教育より、基本を押さえた充実した日本語教育」という著者の
主張には大変共感しました。

福島第一原発の事故の際、同原発の所長だった吉田昌郎氏が
この夏に亡くなられました。未曾有の事故の直後から、現場の作業員を指揮され、
今よりももっと広い国土が汚染されるぎりぎりのところで日本を救った方でした。
事故直後の詳しい経緯、吉田所長ご本人のこと、津波による電源喪失という
極限状況の中で奮闘された方々のことをもっと知りたいと思い、この本を読みました。
津波で電源が失われた際、吉田昌郎所長は海水注入による冷却を開始しました。
東電本社から中止命令が来ましたが、所長はそれを無視して海水注入を継続しました。
もし、命令通り海水注入を中止していたら・・被害は今、報道されている程度には
留まらなかっただろうといわれています。
読んでいてぞっとしたのは、起こりえた最悪の場合のことです。
福島第一が制御できなくなれば福島第二だけでなく、
茨城の東海第二発電所もアウトになり、汚染によって
日本の国土はその3分の1が人間の住めない場所になり、
北海道や西日本の3つに分かれていたかもしれないということ。
吉田所長はこの事態を「チェルノブイリx10」と表現しておられます。
入れ続けた水が最後の最後で原子炉の暴走を止めたのです。
そこに至るまでの経緯も読んでいて非常に恐ろしいものでした。
作業員の方々は電源が全くない真っ暗な中で、
いつまた津波や余震が起こるかわからない不安の中で作業を続けられました。
その時の様子、その時の心理状態・・実際に業務に携わった方々への
インタビューで綴られています。
何より怖いと思ったのが放射能です。目には見えないけれど、
ある場所にいくとぐっと線量が上がる。外から人が建屋に入ってくるだけで
その人と一緒に衣服に付いた放射能が屋内に入り込むのです。
彼らが直面していた過酷さがはっと伝わったのが、現場のトイレの状況でした。
水は流れないから大変なことになっているのはわかりますが
皆の血尿でトイレが真っ赤になっていたそうです。
それほどまで現場の人たちは眠ることもせず、精神的にも体力的にも
限界のところに置かれ、それでも自らの使命を果たすために奮闘されていた。
その方々へのインタビューもありましたが、
最後に残った現場の人達の心に悲壮感はなかったと答えておられたのも印象的でした。
なんだか胸に迫ってくるものがありました。
事故以来、周囲に怒鳴りちらしっぱなしだった管首相を
黙らせることができた唯一の人が吉田所長だったそうです。
管元首相へのインタビューももちろんありましたが、
この辺を読んでいるとどうしても管さんの器量の程度がみてとれてしまいます。(>_<)
他にも自身の弁護に汲々とする人々、黙々とただ被害の拡大を食い止めるためだけに
命を張って働き続ける作業員の人々・・・
人間というのはぎりぎりのところに置かれた時に真価が露呈してしまうのですね。
そして最後にもうひとつ。著者が最後に書いてみえますが、この事故を防ぐ
チャンスが2度あったといいます。
一度目は9.11のテロ。福島第一原発は海面から10メートルのところにありました。
過去にこの高さの津波が来たことはなく、まさかそんな波が来ることはないだろうという
自然に対する侮りがありました。米国ではテロの後、原発関係者らが全電源を失った時の
原子炉の制御をどうするかという議論が以前にも増して議論されたそうです。
そして対策のための文書を決定し、それは日本にも伝えられたそうですが
日本は「全電源喪失」「冷却不能」の状態がもたらされる可能性をそれでも想定しようと
しなかったそうです。お隣の国のミサイルは我が国にも向けられているのに。
そして2004年のスマトラ沖大地震。これも今となってはもうひとつの警鐘だったと
著者は言っています。「全電源喪失」「冷却不能」の事態に対処するには
多額のコストが必要であり、結局、行政も事業者も「安全」よりも「採算」を重視してしまったのです。
「平和ぼけ」と書かれていますが、笑えないですね。
若い頃から仏教に興味を持ち、常に生と死について考えていたという吉田所長。
人間としての器の大きさを感じさせる、まさに将にふさわしい方です。
その彼が背負うことになったものはあまりにも大きすぎるものでしたが
吉田所長だからこそ、神様はこの方を選んでその重荷を背負わせたのでしょうか。
ブログには毎月読んだ本の中で自分の中で60点以上かなと思える本についてのみ
レビューを書いてますが、個人的には今年最後に読んだこの一冊が
今年一番のヒットでした。専門用語がいっぱい出てきてわかりにくいところも
ありますが、機会があればぜひ一読をお薦めしたい一冊です。(#^^#)
こんな立派な方々のことを忘れてはいけないと思います。