
先月は山崎豊子さんの戦争3部作の最後、「二つの祖国」を読みました。
全3巻で1700ページ超と今回も長編です。
アメリカに生まれ、アメリカ人として育てられた日系二世たちが
日米開戦と共に残酷な運命に巻き込まれていく物語です。
戦争が背景にあるため今回も大変重い内容でした。
前半は日系二世として生きる人々の苦労&苦悩、
後半は東京裁判のことが描かれています。
アメリカでは日系であるがゆえにアメリカへの忠誠を疑われ、
ジャップと呼ばれて軽侮され、それならジャップと差別されることのない
日本へ行ったら今度は二世だからという理由で差別を受けてしまう。
また米国民として父祖の国、日本と戦うのか、
あるいは日本国民として、自分が育った米国を敵とするのかという
非常に苦しい選択を迫られる。
移民として渡米した親の世代が受けてきた酷い人種差別のこと、
戦時中には米国に住む日系アメリカ人らが敵性外国人とみなされ
強制収容所に入れられていたことなども書かれています。
当時の日本人が就ける仕事は3Kの仕事ばかり。
大学を優秀な成績で卒業してもなかなかまともな職業に就けなかったり。
平和な時代に生まれて物心ついた時には経済大国であった日本しか
知らない世代の自分にはショッキングな内容でした。
主人公の賢治もまた鹿児島県からアメリカに移民し、リトルトーキョーで
ランドリーを経営する日本人を両親に持った日系二世です。
この小説の主人公も誠実で、ひたむきに生きようとする
まっすぐな性格で、他の2作の主人公と共通するところがあります。
彼らが語る言葉は著者の山崎さんご本人の生き方、価値観を
映しているのではないかと想いながら読みました。
広島への原爆投下、それによる原爆病のことが多く書かれていますが本当に恐ろしい。
2巻目のところでとても印象的な部分がありました。
戦後、米国戦略爆撃調査団の一員として
原爆が投下されて間もない時の広島を訪れた時の賢治が抱いた感想です。
「そこには人間の音が聞こえてこなかった」
という一行が心に焼き付きました。
人々が暮らす人間の暮らしの音が何一つ聞こえてこない死の世界。
原爆の怖さがこの一行に凝縮されているように感じました。
連合国は日本が原爆投下の2か月前から降伏の交渉を進める準備をしていたことを
既に知っていました。それなのに原爆を投下したのは大国同士の思惑によるものです。
数多の無辜の命が一瞬に奪われ、その理不尽さには言葉がありません。
賢治が将来を約束した女性も被爆して3年後に急性白血病を発症して亡くなってしまいます。
後半は東京裁判の通訳内容をチェックする言語調整官(モニター)として
賢治がみた東京裁判が描かれています。
東京裁判は勝者による敗者への一方的な報復裁判といわれています。
この裁判については以前、記録映画で観たことがあるのですが
検事、証人、被告らの心理描写は小説ならではかもしれません。
戦犯として起訴された人々や彼らを囲む人々の心の裡、
赤紙一枚で招集され戦地に散っていった家族を持つものの想いなどが
非常に細やかに描かれていおり、この裁判のことをまた違った角度から
知ることができたように思います。

曽野綾子さんの著作は初めて読みます。
80歳を超えておられるとは思えないほどのバイタリティーが伝わってきます。
女性は子供を産んだらいったん仕事を辞めるべき、という物議をかもした
発言の影響もあるのか、アマゾンのレビューを読んでみたら、
「老害」とか「説教臭い」とか随分叩かれていました。
はっきりものを言われる性格が災いしたのでしょうか。
出産で仕事を辞めるかどうかは本人の選択だと思うので
なんともいえませんが、いろいろと納得する部分も多く見つかった一冊でした。
成熟とは何か。
「世界を意識した地理的、時間的空間の中に自分を置き、
それ以上でもそれ以下でもない小さな自分を正当に認識できることが
実はほんとうの成熟した大人の反応なのだと思う」という下りが心に残りました。
不純で矛盾だらけなのが人間。
清濁あわせのむというか、相手の欠点や至らない部分も受け入れられる
器を持つことが成熟というのではないかということが
この本から感じ取ったことでした。

来年は「源氏物語」の現代語訳を読んでみようと計画しています。
谷崎潤一郎、与謝野晶子をはじめ、円地文子、瀬戸内寂聴、田辺聖子・・
多くの大物作家が現代語訳を手掛けています。
でも長編なのでとりあえずとっかかりとして何かないかなと思って見つけたのが
林真理子さんと平安文学研究者の山本淳子さんの対談をまとめた一冊でした。
壮大な恋愛歴史小説を描いた紫式部と、元祖エッセイストの清少納言が
殆ど同時期に現れたその背景とか紫式部がどういうきっかけでこの小説を
書くようになったかとか、わかりやすく書いてありました。
現代風にいえば、「源氏物語」はアマチュアで漫画を描く人が自分たちの内輪で
受けるために書いていたコミケ(コミックマーケット)みたいなものから始まったのだそうです。
テーマもリアルな恋をした女性がどうなるのかということを書いたもので
現代版のSATC?とか突っ込まれていました。
源氏物語のあらすじを説明した本ではないですが、
作品を一度、読んでみようかなという気になる本でした。
小説の構成の面にも面白い指摘がありました。
桐壺帝は桐壺更衣と死別し、光源治は紫の上に死なれ、
宇治十帖では薫が大君に死なれる、「連れ合いに死なれる」という
男の物語が幾重にも重なっているということ。
光源氏の息子の夕霧が紫の上(光源氏の妻)をみてドキリとする設定は
若かった光源氏が藤壺に抱いたような恋心と重なり、
藤壺と源氏の密通が、やがて女三の宮(この人も光源氏の妻)と
柏木(頭中将の息子)との密通につながる、そんな因果応報のような
物語の展開だったのでした。
藤壺と紫の上の繋がりは紫の色。紫式部の名も紫の上にちなんで
呼ばれるようになったのだそうです。なるほど。
国宝の「源氏物語絵巻」を教科書や美術館でみて、
平安貴族はみんなしもぶくれで同じ顔をしていると
思ってましたが(引目鉤鼻というやつですね)、平安時代は高貴な人の顔は
似せ絵にしないという暗黙の了解があったのだそうです。
光源氏は現代でいえば年収4億円のセレブなんだとか。
身分も当時の人が憧れたこれ以上ない高貴な立場です。
そういうふうに現代の男性像に置き換えてみると
女性にモテモテだったのもなんだかわかる気もしました。