
妻籠宿の散策途中、威風堂々とした構えの建物が目に入りました。
掛けられている札をみたら歴史資料館のようです。
昔の建物を見るのも好きなので、寄ってみることにしました。
「本陣」というのは江戸時代、大名、宮家、公家、幕府役人など
身分の高い旅行者のために諸街道に設置された宿泊施設のこと。
「脇本陣」というのは、「脇」という名の通り、
本陣のための予備にあてられた施設です。
大きな藩で一か所に泊まり切れない場合や大名の参勤交代が重なった時に
格式の低い藩に使用されたそうです。
平成7年に復元された本陣の建物もあったのですがこちらは時間の都合で
見ることができず、脇本陣とその奥にあった資料館のみ見学させてもらいました。
こちらは囲炉裏の間。大きくて立派な囲炉裏です。


「奥谷」というのは屋号で、問屋を営んでいた林さんという人がここの当主だったそうです。
昔は木曽五木の禁制といってヒノキ、サワラ、ネズコ、アスヒ(アスナロ)、コウヤマキの五木は民家に使えなかったのですが、明治10年(1877年)に禁制が解かれ、この建物も総檜造りに建て替えられたそうです。
代々の女中さんらの手で磨きこまれてきた柱は艶々と光っていました。
客間の外には美しい日本式庭園が見えました。

また玄関(侍玄関)を入ったところには池があり、たくさんの鯉が泳いでいました。
この規模の建物にはたいていこうした池が作られていますが
火事の場合に備えての意味もあったようです。

各部屋に炉を切ったような箇所がありました。
茶の湯に使うものかなと思ったら
案内して下さった方が掘りごたつだと説明して下さったような。

雪見障子はこんな感じ。
木曽の冬は雪も多く降りそうですね。

奥の上座の間には和風の宿にちょっとそぐわないような
西洋式のテーブルが置いてありました。
これは明治13年に明治天皇が巡幸された際、奥谷に立ち寄り休憩されたそうで
その際にお茶を出すのに使ったものだとか。

このテーブルは一本も釘が使われていないのです。
天皇陛下が使われるものに対して釘を打つということ自体が
失礼にあたるということで全部、木を組み合わせてありました。
これはテーブルの裏側です。職員の方が写真を撮るために
持ち上げて見せて下さいました。
明治天皇はこの時、伊勢神宮に向かわれたそうです。

上座の間から見た坪庭。
こじんまりとした上品なお庭でした。

浴室も見せていただきました。
天井についた湯気が滴となって浴槽の中に落ちないように
天井は昔の唐傘みたいに滴が端っこのほうへ流れ落ちるように
作られていました。

こちらは説明してもらったところによると
島崎藤村直筆の書だそうです。

藤村の作品に
「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけり 」という文章で
有名な「初恋」があります。
この初恋の相手は島崎藤村の隣の家に住んでいた
「おゆふさん」という実在の女性だったんですね。
藤村の生家は隣の宿場町、馬籠にあります。(現在は記念館になっています)
そして彼女の嫁ぎ先が実はこの奥谷だったそうなのです。
こうした書を林家に贈ったのも、過去のそうした経緯があったからなのだとか。(#^^#)
でもなんて書いてあるのか解読できませでしたが。(´・ω・`)
建物の奥には立派な歴史資料館がありました。
時間がなかったので急ぎ足での見学になってしまいましたが・・。
この長持は皇女和宮から林家が拝領した品。

幕末、公武合体として孝明天皇の妹和宮が
将軍徳川家茂に降嫁しました。
その際、皇女は京都から数万の行列を従えて中山道を通り、妻籠宿で小休止されたそうです。
この先の山道が大変険しいものだったため、置いていったものだとかなんとか。
その他展示品いろいろ。

往時の妻籠の再現模型。
なぜか昔からこういうのを見て当時の人々の生活を
想像するのが好きです・・(#^^#)

たくさんある展示の中でも一番興味深く、印象に残ったのが
昔の伐採木の運搬の様子を復元した模型です。
木曽の急峻な地形と川を利用して材木を運搬したものですが
木曽式伐木運材法というのだそうです。
こうやって一本一本、管流ししたそうです。
人力だけでここまでやるのってすごいですね。