
走っているとカーナビの画面にすごくたくさんの
古墳の図が表示されます。
ちゃんと前方後円墳の形で。
堺市には日本最大の仁徳天皇陵がありますが、
堺市の古墳はそれだけではないということを
今回初めて知りました@@;
一つの古墳を通り過ぎたと思ったらまた別の古墳、
あれ、またもうひとつこっちにも・・・というくらい
カーナビ画面には古墳の図が出てきます。
周囲は普通の住宅街になっていて、空から見ない限り、
樹木が多く生えている丘のような森のような、よくわからない感じですが・・
空から見ると・・・うーむ。なんだかすごく不思議な印象。


仁徳天皇陵がある堺市エリアは百舌鳥(もず)古墳群、
羽曳野、藤井寺エリアは古市古墳群と呼ばれおり、
この辺には非常に多くの古墳が存在しています。
今回は南河内にある大阪府立近つ飛鳥博物館に行ってきました。
博物館の設計が安藤忠雄さんによるものであり、
古代日本の歴史そのものより
当初はそちらに興味があって行ってみることにしたのですが・・・。
その往路で多くの古墳を目にして、
普通の生活圏に古代日本の史跡がそのまま残っていることに
なんだか驚きを感じてしまいました。
郊外の住宅地を通り抜け、田園風景が広がる山道をたどった先に
目的の博物館がありましたが、
カーナビがないと絶対無理、というような場所でした。

なぜ「近つ飛鳥」かというと、ここも奈良の飛鳥と同じく「飛鳥」という地名であり、
難波宮からみて近いから「近つ飛鳥」と呼ばれていたのだそうです。
奈良県の飛鳥は遠かったので「遠つ飛鳥」。
奈良の飛鳥しか知らなかったのでこれもこの日の発見でした。
日本でも有数の古墳群が存在し、
4基の天皇陵、聖徳太子墓、小野妹子の墓など200を超える古墳群があるそうです。
古墳が多く造られた頃の日本は古代国家の時代。
この時期のことは曖昧でよくわからないことが多いのですが、
日本の歴史の発生期です。
日本でありながら、まだ日本でないような。
建物の屋上は階段状の広場になっています。
上にそびえるのは「黄泉の塔」。
建物自体が現代版の古墳のような雰囲気です。

入口に向かう通路です。古墳内部に入っていくのをイメージしたのでしょうか。
歩くと靴の音が反響して、ボヨヨョ~ン・・・とでも表現したらよいのかどうか、
打楽器のような音がします。
手をパン・・と叩いてみても、それが何重にも反響して不思議な音に聞こえます。

館内はいくつかのセクションに分かれて
展示が見れるようになっていました。
聖徳太子の時代、仏教文化の開花期、
古代国家の世界などの説明に加えて
古墳から出土したものが多く展示されていてなかなか興味深かったです。
一部を除いて写真撮影もして良いとのことでしたのでいくつか写真に収めてきました。

猪のはにわ。→
なかなかかわいい。(*^_^*)
こちらは白鳥↓


遺跡から出土した甲冑の類だそうです。
これを復元したものも一緒に展示されていましたが、かなりごつい鉄の鎧で、兜などもあり、まるで映画などで観るローマ帝国の兵士が着ていたものみたいでした。
下は葬られた馬。
5世紀後半頃のものとのことですが
丁寧に葬られていたようで、
この状態で出土したそうです。

南九州とヤマト王権というテーマで企画展も開催されていました。
企画展のエリアは撮影禁止だったので写真はありませんが、
日向・大隅の古墳から出土した鉄製の武器、武具、鏡などの副葬品などが
展示されていました。
当時の南九州では首長らが活発な交易活動を
行うと共にヤマト王権とも密接な関係を築いていたことが指摘されていました。
ここまで時代を遡ると、
中国や朝鮮半島の影響が濃い時代だったのでしょう。
外に出てみました。
こういうところが安藤さんの作品らしさというのか、
無機質なコンクリートが周囲の自然と調和しています。

周囲の古墳群エリアもきれいに整備されていて
散策できるようになっていました。
近くの住民の方なのか犬を散歩させている人が
多くみえました。
こうした古代国家を彷彿とさせる多くの遺跡群も、
地元の方にとってはごく普通の見慣れた風景なのでしょうね。(*^_^*)
大阪府南河内郡河南町大字東山299