今日は週末、晴天、桜満開の3つが重なる絶好の花見日和。午前のうちから伊勢方面へお花見に出かけてきました。^^
宮川の桜を観た後で、玉城町の田丸城へ。
田丸城は南北朝の時代に遡る歴史をもつ城跡。
南北朝時代に南朝方の拠点として北畠氏によって築かれた
平山城です。
現在の縄張りは織田信雄(信長の次男)時代のもので
苔むした野面積みの石垣が残っています。
普段は近所の人が散歩しているのを見かけるくらいの
静かなお城跡ですが、さすがに今日は花見客でいっぱい。
近くにあった駐車場でも車を停めるのに苦労しました。
青空に薄ピンクの桜の花が映えています。
風情ある石垣と共に。


天守跡では多くの家族連れが
シートを広げてバーベキューをしたり、
子供たちがボールを追いかけていたりと
とても賑やかでした。
本丸跡、天守台からは広々とした
伊勢平野を見渡すことができます。
天気も良かったので、
なかなかの眺望でしたよ。

でも、あまりの人の多さに、
人疲れしてしまって早々に帰ろうと駐車場に戻りました。
停めた車の目の前にあった建物にふと気付き、何の建物かな?と
確認してみたところ、「村山龍平記念館」とあります。

うーん、知らないなあ・・と、そのまま帰ろうかなと思ったのですが、この看板に興味を惹かれ、入場無料とのことだったのでちょっと覗いてみることに。

「郷土の偉人三人展」とあります。
新聞王 村山龍平翁
真珠王 御木本幸吉翁
医薬王 小林政太郎翁 と書かれていました。
御木本幸吉のことは知っていましたが後の
二人の名前は初耳。(*_*;
展示を観て初めて知ったのですが、村山龍平氏とは
朝日新聞の創業者だそうです。この地、伊勢の国田丸に生まれ(紀州藩田丸領に仕えた旧士族だった)、朝日新聞の創始者の一人となり、同新聞を日本有数の大新聞に育てあげた人物だそうです。
社会事業、文化事業にも多大な功績を残しています。
「青少年の健全な発達のために最適なスポーツ」として、
全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)を始めたのも
朝日新聞。
第一回の始球式で袴姿でボールを投げる村山龍平氏(当時は朝日新聞の社長)の
写真などが展示されていました。
あの朝日新聞の創業者が、玉城町の人だったとは驚きました。
御木本幸吉は「ミキモト」の創業者です。
「世界中の女性を美しい真珠で飾りたい」、との願いから
真珠の養殖に成功し、高品質の日本のパールを世界に知らしめた人です。
御木本幸吉氏についての展示では
発明王エジソンから彼に宛てて出された手紙が展示されていました。
短い文面でしたが御木本幸吉の企業家精神を讃える内容のものでした。
また三人目の小林政太郎はどんな人かというと
オブラートを発明、商品化した人なのだそうです。
それまでのオブラートはドイツ製で、煎餅みたいと言われるほど
硬いものでした(それをお湯で溶かして使っていたそうです)。
子供や老人が苦い薬を飲む時に破れてしまうことも多く、苦労が多かったようです。
小林政太郎はもともとは三重県でお医者さんをしていた人ですが、
このオブラート発明のきっかけというのが、寒天料理を作っていた時に
たまたまこぼれてしまった寒天が鉄瓶の上で薄い薄片状に広がるのを見て、
それに着想を得たのだとか。
その後、地元の女性を雇ってオブラート工場を作ったのですが
それでも需要に生産が追い付かず、機械を導入して
大々的に生産するようになって今日に至るという。
3人は皆、明治の初めごろに生まれ、事業家になってからも
交流があったそうです。
それぞれが大きな偉業を成し遂げた人たちです。
そんな凄い人たちがこんな片田舎から・・と思ってしまいますが、
明治という時代は「坂の上の雲」の登場人物のような
覇気ある人物をたくさん表舞台に送り出した時代です。
追い風が吹いていた当時の空気を想いました。
今回もたまたま停めた車の前にあったからという
偶然のきっかけで入ってみた展示でしたが
充実した展示内容で、勉強になることがたくさんありました。
10日までとのことなので、お近くの方はお花見がてら
行ってみて下さい(*^_^*)
村山龍平記念館
度会郡玉城町田丸114番地1
