イメージ 1学生時代に「夜と霧」という映画を観ました。あまりにもの悲惨な映像は、平和な日本で暮らしている自分の実生活とは
かけ離れすぎていて、同じ人間の「経験」とは信じがたかった。
 
原作があるということは知っていたのですが、あの映像の悲惨さを改めて文字で読む気にもなれませんでした。
先日読んだ五木さんの本で、この本に触れた部分があり、
それで思い出し、本を取り寄せました。
 
原作のタイトルは「心理学者、強制収容所を体験する」。
ユダヤ人の精神科医が体験した強制収容所での日常について
書かれた本です。
 
本書は第一段階「収容」、第二段階「収容所生活」、
第三段階「収容所生活から解放されて」の三部から成り立っています。
 
当初はとんでもないところへ連れてこられた恐怖と不安から
被収容者はショックを受ける。

しかし、収容所での過酷な現実を過ごすうちに殆どの人が
人間らしい感情を喪失し、恐怖、同情、憤りもなくなっていく、
つまり心が麻痺してしまう。
 
無感動になることは精神にとって必要不可欠な自己保存のメカニズムだと
著者はいいます。極限の状態に人間が追い詰められるとすべての感情生活は
「生命を維持すること」のみに集中し、高次の関心は消え、
精神は幼児のようになってしまうのです。

それは自分の気が狂ってしまわないため、自分で自分の心を鈍感にしてしまうことで
自身を守る心身の反応なのだと思います。
 
しかし、このような中で、内面的に深まる人々も一握りいたというところが
映画では描かれていなかったところだと思います。
過酷極まる外的条件が人間の内的成長を促し、
その人の精神は一層の高みに引き上げられた、
そんなことがあったというのです。

堕落し生命を維持するだけの存在になるか、己の尊厳を失わない人間になるか
それは自分自身が決めること、どのように覚悟するかであると。
 
著者はこの一握りの後者のうちの一人だったのだと思いますが、
それを可能ならしめたのは、「愛する人の面影」と「希望」だったと述べています。
とても心に残った部分ですので引用しておきます。

収容所生活のような過酷な状況におかれて初めて、
「何人もの思想家がその生涯の果てにたどりついた真実が生まれて初めて骨身に
沁みた。(中略)愛は人が人として到達できる究極にして最高のもの」。
 
また本書最後の部分も印象的でした。
「人間は善と悪の合金だ。(中略)
私たちはおそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。
ではこの人間とはなにものか。人間とは何かを常に決定する存在だ。
人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時にガス室に入っても
毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。」
 
収容所での過酷で常にぎりぎり死を目に前にしたような日々が
彼に真理に気付くきっかけを与え、彼の精神を一段の高みへといざなったのです。
 
この本は世界で10数カ国語に翻訳され現代まで読み継がれているベストセラーです。
ベストセラーである理由は、「人間はいかに生きるか」という時代や国を問わない
普遍的なテーマがここにあるからではないかと思います。
 
いつものように喫茶店でアイスコーヒーを飲みながらこの本を読んでいました。
途中から完全に引き込まれてしまい、読み終わった頃にはグラスの氷がすっかり溶けて
水コーヒーになっていました。
いまはこの本を学生時代に読んでおかなかったことを後悔・・・。
 
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