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そういえば随分前に知り合いの方から五木寛之の
「他力」という本をいただいて本棚に並べたままになっていることを思い出しました。

吉川英治の「親鸞」を読み終わってから親鸞についての知識を補完するつもりで
読み始めたのですが、ついこの著者の他の本も・・と
「大河の一滴」も買ってきて読んでしまいました。
 
「他力」とは他人まかせ、無責任という意味で使われていることが多いけれども
本来はそういう意味ではなかったのですね。
他力は親鸞の教えであり、本来の意味は「わがはからいにあらず」ということ。
 
「わがはからいにあらず」とは
人間を含む全ての生命やこの世の事象は人間の英知が及ばない
偉大な力によって生かされている、支配されているという
大変深い意味があるのです。
 
親鸞は「自力では悟れぬものと悟りたり」と言いました。
自力ですべてができるという考え方にあるのは傲慢さではないかと思います。
他力を考えることで人間はもっと謙虚に生きることができるのではないかと。
 
この本が書かれた頃に世間では地下鉄サリン事件や、酒鬼薔薇事件が起こったので
その事件に対する言及が結構出てきます。
 
親鸞は悪人正機説を唱えた人です。
もし親鸞や蓮如が今の世に生きていたら今の時代についてどんなことを
言ってただろうかという考察はとても興味深いです。
 
「麻原彰晃は救われるだろうか」あるいは
「酒鬼薔薇少年の事件をどう考えればよいか」と
マスコミが質問したとしたら、
「親鸞聖人は新聞社のコメントには答えなかったかもしれないが、
NHK教育テレビか衛星放送なら出られただろう。
しかし蓮如さんなら昼のワイドショーにだって出られたかもしれない(中略)
もし蓮如が生きていたならオウム真理教と命懸けで法論を挑みながら戦ったのでは
ないかと思います」
などと書かれています。

私が蓮如のことを深く知らないのでこれ以上深く書けないのが残念ですが
この辺、もっと知りたくなってきました。
 
心が乾いた今の時代に何が必要なのかということも問いかけてくる本でした。
強い喜びと同じくらい深く悲しむことが大切だと書かれています。
センチメンタルなこと、涙を流すこと、情念、後ろ向きなことが切り捨てられ、
否定される今の世の中ですが、マイナスの感情にも心を広げることができるという
「感情の振幅」が必要であるという指摘にははっとする
気付きを得て、共感するものがありました。
 
闇の暗さを知れば知るほど、はるか彼方に見える一点の灯りを
見つけた時の喜びが大きいということ、
深い悲しみを知る人ほど歓びの感情も大きいというのです。
「冷たい夜と闇の濃さの中にこそ朝顔は咲く」という一行は
思わず、ノートに書き留めてしまいました。
人工照明できらきら輝く世界しか知らない人が光を見ても
全く驚くことはないのだから。
 
また「励まし」だけが人間を救うものではないということ。
これもどちらかの本に書かれていた内容ですが
例えばオウム事件で刑に服している息子に
「頑張って自分の罪をつぐなえ、私たちはいつまでも待っているぞ」と
励ます父親と、
お前が地獄に堕ちるのだったらお母さんも一緒についていくよと
無言で涙しながら息子の手にそっと自分の手を重ねる母親。

息子の心の奥へ響くのは父親の激励ではなく
母親の無言の涙、慰めであるということ。
 
人間にはプラスの感情だけではなくて
マイナスの感情というのも同じだけ大切だということ。
このメッセージにはどこか心が安らぐ感じがしました。
そう、常に前向きというのは結構しんどいのです。
 
五木さんの本には「人生は苦しみと絶望の連続である」とか書いてあって、
全体に暗い、後ろ向きなことが書かれているようではあるのですが
読んだ後にはそんなに陰気な気分が残るわけでもない。
逆に優しさや思いやりについて深く考えさせられましたし、
また何年かしたら読み返したいと思う本でした。
なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが
思いついたままに感想を書いてみました。
 
 
 
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