おかげ横丁内にある参宮資料館「おかげ座」に行きました。 ここでは江戸時代、幾度かブームになった「おかげ詣り」の様子が実寸の2分の1で再現されています。お伊勢参りと、お陰参り。
同じことかと思っていましたが、違うそうです。
江戸時代、およそ60年に一度、特にご利益があるという年に爆発的な数の人が伊勢に参詣したそうですが、それがお陰参り。
最大時は約500万人の人が伊勢へやってきたとか。
これは当時の人口の6人に一人に相当します。
現代であれば2000万人くらいが数カ月間に伊勢にやってくるということでしょうか。
当時の街道の賑わいが想像できそうな場面ですね。



おかげ詣りをする人は柄杓一本を
持って旅していました。
庄屋さんなど、地元の有力者が裏書きしたもので、道中は関所の木札のような役割を果たし、また街道沿いの店や、豪商などはこの柄杓を持った旅人らに宿泊や食事などを無償で提供したのだそうです。
これだけ多くの参拝客になぜボランティアで
食事や宿泊を提供していたのか??
不思議に思ったので調べてみました。

当時は「お陰参りを邪魔すると子孫代々まで祟られると考えられていたから」という説明もありましたが、主には「おかげさま」という言葉に表されるように「伊勢の人々の信仰心の現れ」であったようです。
自分たちは神様や自然に生かされているという謙虚さと感謝の気持ちを当時の人は持っており、この恩恵を今度は誰かに報いていきたいという心の持ちようがあったのです。
それでも500万人となるとやっぱり大変な負担だったのでは?と思いますが、このお陰参りのブームは好景気が一定期間続き、庶民の間でもある程度の富が蓄積された頃に起こっていたそうです。
ブームが起こった時は提供する側にもそれなりに余裕があったということですね。

わんこがいました!
犬の参詣はこんぴらさんだけかと思っていましたが、
お伊勢参りでもあったみたいです。
当時のお伊勢参りは数カ月単位。
自らが伊勢まで行けない場合も多くありました。
飼い犬に願いを託し、首にお賽銭を結びつけて
送りだす例もあったようです。
一緒に旅する人々に世話してもらいながら、
驚くことに、たいていの犬は飼い主の元に戻ってきたとか。
当時の日本の治安の良さ、隣人の親切さを思わせる話です。

これは当時のお米屋さんです。
お店の前におにぎりを並べ、旅人に配っています。
江戸時代の庶民は自分でお米を作ってもその殆どを年貢として
お上に納めなけらばならず、白いご飯を食べられるのは
お正月やお盆くらいのものだったとか。
白米のおにぎりでもてなされて嬉しかったでしょう。^^
このように無償で宿泊、食事、お風呂やわらじなどを
提供することを「施行」と呼んでいたそうです。
当時の「おかげさまの心」によるおもてなしが、
現在の「おかげ横丁」の名前の由来になったみたいです。
いまは無償で何かを提供してくれるお店はないようですが。
この資料館は大きく二つに分かれていて、別の部屋に行くと・・・


多くの人が集まる場所にはつきものの「花街」です。
伊勢の古市という地域がこの時代の花街であり、
当時の妓楼の数は70軒を超え、
江戸の吉原、京都の島原に比肩するほどの規模でした。

