だいたい、いつも複数の本を並行して読んでいます。
今、精神科医香山リカさんの「しがみつかない生き方」という本を
読んでいるのですが、ここに書かれている一節の中に、
やっぱりそうかも・・と共感する部分があったのでこれもメモ。
世界的には2001年のニューヨークで起こった同時多発テロ、
日本では小泉純一郎首相時代の始まりから、
作者は「人間の狭量化が進んだ」という。
今、精神科医香山リカさんの「しがみつかない生き方」という本を
読んでいるのですが、ここに書かれている一節の中に、
やっぱりそうかも・・と共感する部分があったのでこれもメモ。
世界的には2001年のニューヨークで起こった同時多発テロ、
日本では小泉純一郎首相時代の始まりから、
作者は「人間の狭量化が進んだ」という。
いつ自分がテロの犠牲者になるかわからない。
少しでも自分と違う人は排除しておくに越したことはない。
日本では競争社会になる中で、弱い人の立場を考える余裕を
みんなが無くしてしまっている。
当時の小泉首相の勢いの中での価値の変革においては
こうした考え方の変化は多くの人を「正しいことをしている」という
錯覚に陥らせた。
少しでも自分と違う人は排除しておくに越したことはない。
日本では競争社会になる中で、弱い人の立場を考える余裕を
みんなが無くしてしまっている。
当時の小泉首相の勢いの中での価値の変革においては
こうした考え方の変化は多くの人を「正しいことをしている」という
錯覚に陥らせた。
その例のひとつにあげられているのが
日本で2004年に起きたイラクに入国していた
三人の若者がイラク武装勢力に拘束される事件。
幸い、その三人は無事に解放されたけれども、その後の
世間の冷ややかな目。当時の官房長官だった福田氏も
彼らの行動を厳しく咎める発言をした。
海外のメディアは政府が自国の人質を非難する姿勢に疑問を呈したという。
人を助けるためにボランティアに行っていたのに
なぜ彼らを非難する?という論調だったように私も記憶している。
日本で2004年に起きたイラクに入国していた
三人の若者がイラク武装勢力に拘束される事件。
幸い、その三人は無事に解放されたけれども、その後の
世間の冷ややかな目。当時の官房長官だった福田氏も
彼らの行動を厳しく咎める発言をした。
海外のメディアは政府が自国の人質を非難する姿勢に疑問を呈したという。
人を助けるためにボランティアに行っていたのに
なぜ彼らを非難する?という論調だったように私も記憶している。
あの頃、「自己責任」という言葉が流行ったような気がする。
「自分でやったことなんだから、いまさら泣きごとを言うな」という
シビアな目。
「自分でやったことなんだから、いまさら泣きごとを言うな」という
シビアな目。
米国の例については去年観た「扉をたたく人」という映画の中に
それを強く感じた。イスラム系の人間に対するアメリカ移民局の
理不尽なまでの冷酷な扱い。
日本の例については、日常の中で私自身、常にこのことを感じていたから
この本の中のこの部分が妙に心にひっかかった。
それを強く感じた。イスラム系の人間に対するアメリカ移民局の
理不尽なまでの冷酷な扱い。
日本の例については、日常の中で私自身、常にこのことを感じていたから
この本の中のこの部分が妙に心にひっかかった。
私自身が、海外に長く住んだ後で日本に戻ってきたばかりだったので
余計にそれを感じたのかもしれないけれど
日本人の中には自分とは「異質のもの」を強く排除する傾向の人が
大変多くいるように感じる。
「○○は△△でないといけない」という考え方をする人が多い。
こういう価値観の中に身を置いていると、
自分レベルでも、自分の言動が世間一般と少しでもかけ離れていないだろうかと
常に警戒してしまい、ますます本音で話せる相手が少なくなってきているのは事実。
余計にそれを感じたのかもしれないけれど
日本人の中には自分とは「異質のもの」を強く排除する傾向の人が
大変多くいるように感じる。
「○○は△△でないといけない」という考え方をする人が多い。
こういう価値観の中に身を置いていると、
自分レベルでも、自分の言動が世間一般と少しでもかけ離れていないだろうかと
常に警戒してしまい、ますます本音で話せる相手が少なくなってきているのは事実。
相手のちょっとした瑕疵を認めると、一瞬にしてその全人格を
否定するような発言する人もいるのでそれも怖い。
些細なことで、「むかつく」という発言をする人もいる。
これは若い人に多いけれど、
そんなに怒るほどのことではないのに、と思うのだけど。
否定するような発言する人もいるのでそれも怖い。
些細なことで、「むかつく」という発言をする人もいる。
これは若い人に多いけれど、
そんなに怒るほどのことではないのに、と思うのだけど。
これを作者は
「彼らは寛容さを失い、更に狭い視野でしかものごとを捉えられなく
なっているからこそ、自分とは少しでも違う行動をする人たちの心を
想像し、理解することができなくなっているのではないか」
と書いている。
「彼らは寛容さを失い、更に狭い視野でしかものごとを捉えられなく
なっているからこそ、自分とは少しでも違う行動をする人たちの心を
想像し、理解することができなくなっているのではないか」
と書いている。
誰かを嘲笑し、否定することで「愚かな敗北者」と決めつけ、
同時に「私は違うから勝ち残り組」というかりそめの安堵感を得ている、と。
簡単に負け組というレッテルを貼られてしまったら
その時点で自暴自棄になり、どうせだめなら、と他者を巻き添えにした
行動に出てくる人がいても不思議ではない、と。
↑本当ですね、ここ数年で実際この手の事件、激増してますもんね。
同時に「私は違うから勝ち残り組」というかりそめの安堵感を得ている、と。
簡単に負け組というレッテルを貼られてしまったら
その時点で自暴自棄になり、どうせだめなら、と他者を巻き添えにした
行動に出てくる人がいても不思議ではない、と。
↑本当ですね、ここ数年で実際この手の事件、激増してますもんね。
先日、会社を休んで家で「徹子の部屋」を見ていたら
香山リカさんがゲストで出演されていて、
人の幸せとは何か、という話をしてました。
香山リカさんがゲストで出演されていて、
人の幸せとは何か、という話をしてました。
いま、この時点で全てに満たされて幸せと思っていても
10年後に同じ状況でいられるかというと10年後なんてどうなっているか
わからない。逆のことも言える。
瞬間、瞬間の判断で良し悪しを決めつけてしまうことに疑問を
感じると仰っていました。
今の時点での「良い、悪い」、「勝ち、負け」は何年かしたら
全く違う判断をされてしまうことだってあるもの。
絶対的な正解なんていうのはないというほうが多いと考えるのがよいのではないか、
だからどんな時でも100%正しい適切な判断ができる人はいないというわけ。
10年後に同じ状況でいられるかというと10年後なんてどうなっているか
わからない。逆のことも言える。
瞬間、瞬間の判断で良し悪しを決めつけてしまうことに疑問を
感じると仰っていました。
今の時点での「良い、悪い」、「勝ち、負け」は何年かしたら
全く違う判断をされてしまうことだってあるもの。
絶対的な正解なんていうのはないというほうが多いと考えるのがよいのではないか、
だからどんな時でも100%正しい適切な判断ができる人はいないというわけ。
香山さんも仰っていますが、
まあ、もうちょっと様子を見ないとね、
という曖昧さを認める「ゆとり」が必要なのかも。
まあ、もうちょっと様子を見ないとね、
という曖昧さを認める「ゆとり」が必要なのかも。
私も実際、日常生活の中で一番疲れるのが人間関係であるし、
香山さんが仰っていることが常にを頭の隅にあったので
それを文字にされて、はっ、としました。
そういいながら、自分だって知らないうちに他者に対して
寛容さを失っているかもしれないな。
自分のことって案外客観的には見られないものですから。
・・と、改めて自分自身を振り返る機会になりました。
香山さんが仰っていることが常にを頭の隅にあったので
それを文字にされて、はっ、としました。
そういいながら、自分だって知らないうちに他者に対して
寛容さを失っているかもしれないな。
自分のことって案外客観的には見られないものですから。
・・と、改めて自分自身を振り返る機会になりました。