お盆休みも本をいろいろ読みましたが、この小説のほうは暫く休憩していました。
休み明けからまた再開です。
「徳川家康」16巻目の「日蝕月蝕の巻」を読み終えました。

秀吉が亡くなり、筆者の焦点は石田三成に移ります。
朝鮮からの兵の引き上げで大名たちは疲労困憊、
そして武断派と文治派吏将が対立していく中、
家康に異心ありとの噂が立ちます。
家康に対抗しようとする三成・・という下りです。

石田三成という人は抜群に頭が切れる秀才だったようです。
でも異常にプライドが高いし自分の頭の良さを鼻にかけた傲岸な部分が
あったんですね。加藤清正ら武断派と呼ばれる人たちからの反感を買いまくりです。
頭でっかちの秀才タイプが、単純な体育会系タイプと相容れない構図を
思い浮かべてしまうような感じです。

この人、言わなくてもいいような皮肉を言ったり、偉そうにするので
わざわざ自分から敵を作って、自らを窮地に追いやってしまう性格なんですね。
なんて嫌味で損な性格なのでしょう。
でも見方を変えると、人の心を巧みに読んでうまく立ち回ることができない不器用さとか、
プライドの高さの裏にある気まじめすぎる性格、
真っ正直で隙だらけなところとか・・と
どこか同情を覚えずにいられない部分を持っていたりするのです。

人間というのは本当に多面性を持つ存在であり、視点をどこに置くかによって
全然違う人格が浮かび上がるものです。
誰についても一言で悪人だとか善人とは決めつけることはできないと思います。
この人の場合は秀吉という上司に恵まれて、その生存中は
頭脳明晰さという彼の良い資質を最大限に引き出してもらえたのだけれど
秀吉が死んだことでその立場が危うくなってしまったのです。
小さい頃に秀吉に見出されて大事にされてきた人だから、苦労知らずで
人間関係の機微にも、いまひとつ疎いところがあったのかなと思います。



この巻でも線を引いた部分がいくつかありました。
ひとつだけメモしておきます。

前田利家が三成に言った言葉。なんとか諭そうとしたのでしょうか。

「器量人といわれるほどの人間には二通りある。
ひとつはわが身の才智を持て余し、あるがままの世の枠には収まりきれぬ器量人・・・
そしてもうひとつはその才智を慎ましく内に育てて、この世の枠で磨きをかける器量人だ。
前者は必ず悲史の英雄となり、後者は偉業完成の人となる。
われ達も若いおりにはこの世の枠からはみ出しそうでこまったものよ。
器量人でも無かったくせになあ」



物語はこののち、関ヶ原の戦へ移っていきます。
そこまでに至る各武将間の駆け引きや、心の動きなど読んでいてとても面白いですね。