イメージ 1

イメージ 2

県外で自己紹介する時に出身は三重県の松阪市です、と言うと
殆どの人から「へ~、あの松阪牛の?」と言われます。

松阪肉は全国的な知名度を得てますもんね。
でも哀しいのはたまに
「えっ?松阪って三重県にあったの?」
と言われることです(T.T)

松阪は戦国武将、蒲生氏郷公によって
発展を遂げた街です。
この蒲生氏郷という人は少年の頃から
切れモノだったようで、
頭のいい子が好きだった織田信長に
早くから見出されるのですね。

信長亡き後の天正12年(1584年)、彼は
豊臣秀吉から今の松阪市の端のほうにある
「松ヶ島」という場所にあったお城に封ぜられます。
その後、今の城跡がある場所に目を付けて
こちらにお城を建てました。

松阪の地名の由来は諸説あるようですが
私が歴史に詳しい知人から聞いた話は
「松ヶ島」から「松」を
当時秀吉がいた大坂から「坂」という字を
もらって「松坂」と名付けたというものです。

一応、秀吉は会社で言えば
上司みたいなものですから
ごまスリスリして「坂」の一文字をもらったのでしょうか(^^ゞ

だから松阪も昔は大阪が「大坂」であったように
「松坂」と書きました。

せっかく上司のご機嫌をとりつつ、
城下町を発展させたにも拘らず、
氏郷は秀吉により会津若松に移封させられます。
12万石から42万石への加増ですから
すごい出世なんですが、
何かの本で読んだ記憶では
時代はまだまだ不安定な戦国の世、
氏郷みたいなデキすぎる家来を大坂の近くに
置いておくと、自身もいつ寝首をかかれるか
わからない。
秀吉は優秀すぎる部下を恐れて
遠い遠いところへ飛ばしてしまったとか(>_<;)
でも秀吉の心理もなんとなく理解できますよね。

私達は小学生の頃から蒲生氏郷や本居宣長の
名前は嫌というほど先生や大人から聞かされて
いましたが、蒲生氏郷が松坂城にいたのは
たった2年間なんですね。

氏郷は40歳で急死します。
毒殺されたという話もあります。
戦国の世は小説で読んだり
ドラマや映画で観る分には面白いけれど
当時の武将達からすると本当に
安心して眠れないくらいの
時代だったのだろうと思います。

松阪市では毎年11月3日の文化の日に
この氏郷公を偲んで氏郷祭りが
開催されます。だから松阪出身で
この武将の名前を知らない人って多分いないのじゃないかな。