小学生の頃、この小説を母の本棚の中に見つけました。
喪服に身を包んだスカーレットが
レット・バトラーとダンスを踊り始める
映画の中のワンシーンが表紙カバーに印刷されていました。
スカーレットの美しい横顔に魅惑され
幼心に彼女への憧憬の心を抱きながら
このきれいな女の人はいったい誰なのかしら・・と
長い間、時間を忘れて表紙を見つめ続けていたのを覚えています。
喪服に身を包んだスカーレットが
レット・バトラーとダンスを踊り始める
映画の中のワンシーンが表紙カバーに印刷されていました。
スカーレットの美しい横顔に魅惑され
幼心に彼女への憧憬の心を抱きながら
このきれいな女の人はいったい誰なのかしら・・と
長い間、時間を忘れて表紙を見つめ続けていたのを覚えています。
10代前半に初めてこの小説を読んだ時、
スカーレットのことは全然好きになれませんでした。
わがままで傲慢で妹の婚約者まで取ってしまうようなモラルのかけらも持ち合わせない
すごくイヤな女・・というのが当時の印象でした。
レット・バトラーも粗野で品がなくて嫌いなキャラであり、
逆に穏やかで賢くて優しいメラニーがマリア様のように思えて一番好きな人でした。
スカーレットのことは全然好きになれませんでした。
わがままで傲慢で妹の婚約者まで取ってしまうようなモラルのかけらも持ち合わせない
すごくイヤな女・・というのが当時の印象でした。
レット・バトラーも粗野で品がなくて嫌いなキャラであり、
逆に穏やかで賢くて優しいメラニーがマリア様のように思えて一番好きな人でした。
大学生の夏休み、実家でこの本を読み返した時には
また違う印象を受けました。
少女の頃には好きになれなかったスカーレットが強烈な魅力を持って迫ってきました。
自分を主張し、不運にも負けない逞しさ、
男性に頼らなければ生きられないような
弱い女性が理想とされた当時の米国南部にあって
自分がタラと家族を守ろう、と強い意思を表明できる強さ。
また違う印象を受けました。
少女の頃には好きになれなかったスカーレットが強烈な魅力を持って迫ってきました。
自分を主張し、不運にも負けない逞しさ、
男性に頼らなければ生きられないような
弱い女性が理想とされた当時の米国南部にあって
自分がタラと家族を守ろう、と強い意思を表明できる強さ。
10代の自分が嫌悪感を抱いたスカーレットの我侭ぶりさえ、
あんなふうに自分の感情をストレートに出せることに
羨ましさを感じてしまいました。
当時の自分は、どこか自分自身に自信がなくて
心の奥底では忸怩たる想いを抱きながらも
いつも他人に迎合してしまうような人間でした。
もっと自己主張したい、でもそれができなかった当時の自分にとって
彼女はいつの間にか私の理想の女性に変わってしまっていました。
あんなふうに自分の感情をストレートに出せることに
羨ましさを感じてしまいました。
当時の自分は、どこか自分自身に自信がなくて
心の奥底では忸怩たる想いを抱きながらも
いつも他人に迎合してしまうような人間でした。
もっと自己主張したい、でもそれができなかった当時の自分にとって
彼女はいつの間にか私の理想の女性に変わってしまっていました。
映画も何度も観ました。
そのたびにあの壮大なスケールに圧倒されながらも
魅力的な登場人物達に対して違うことを想いました。
そのたびにあの壮大なスケールに圧倒されながらも
魅力的な登場人物達に対して違うことを想いました。
世界で「風と共に去りぬ」が上映されない日はないといわれているそうです。
しかし、原作は聖書に次ぐベストセラーと言われながらも
この作品は文学としての評価は余り高くないそうです。
大学の米文学史の授業で
「この小説は映画が有名になったから有名になっただけ」
という教授の素っ気ないコメントになんだかガクっときた記憶があります。
そんなものなのか。
しかし、原作は聖書に次ぐベストセラーと言われながらも
この作品は文学としての評価は余り高くないそうです。
大学の米文学史の授業で
「この小説は映画が有名になったから有名になっただけ」
という教授の素っ気ないコメントになんだかガクっときた記憶があります。
そんなものなのか。
今月は近くの映画館でリバイバル上映があり、
また何年ぶりかにスクリーンでこの名画を鑑賞する機会がありました。
また何年ぶりかにスクリーンでこの名画を鑑賞する機会がありました。
レットの粗野な言動の裏にある深い愛情になかなか
気付くことができないスカーレットがもどかしく、
またレットの中には男性がもつ独得の
ロマンティシズムや繊細さを感じました。
気付くことができないスカーレットがもどかしく、
またレットの中には男性がもつ独得の
ロマンティシズムや繊細さを感じました。
スカーレットはストーリーの最後になって
自分自身が本当に愛して求めているのは
レットであるとようやく気付くのだけれど、
時は既に遅く、彼女が自分の本当の気持ちに気付いた時に
彼は彼女から去ってしまいます。
映画の後半ではこの男と女の感情のすれ違いが哀しかった。
自分自身が本当に愛して求めているのは
レットであるとようやく気付くのだけれど、
時は既に遅く、彼女が自分の本当の気持ちに気付いた時に
彼は彼女から去ってしまいます。
映画の後半ではこの男と女の感情のすれ違いが哀しかった。
レットが去ってしまった後、それでも彼女は諦めず
今度は彼を取り戻す方法を考えればいいわ、と
希望を捨てない。
決してハッピーエンドではない映画なのに
観ている自分自身も勇気付けられるような
そんな映画でした。
今度は彼を取り戻す方法を考えればいいわ、と
希望を捨てない。
決してハッピーエンドではない映画なのに
観ている自分自身も勇気付けられるような
そんな映画でした。
原作ではスカーレットは余り美人ではないと書かれているのだけれども
やっぱりヴィヴィアン・リーは当たり役でしょう。
レット・バトラーも原作者がクラーク・ゲーブルが演じることを
想定して描いた人物だけにこれほどぴたりと役柄に当てはまる
役者さんもいないと思いました。
やっぱりヴィヴィアン・リーは当たり役でしょう。
レット・バトラーも原作者がクラーク・ゲーブルが演じることを
想定して描いた人物だけにこれほどぴたりと役柄に当てはまる
役者さんもいないと思いました。
それから私の周囲にはアンチ・メラニーの女性が結構多いけれど
私はやっぱり彼女のことも好き。
彼女には「静かな強さ」というものがあって
母性的で包み込むような優しさと共に
女性が持つもう一つの側面を体現しているキャラクターだと思うから。
私はやっぱり彼女のことも好き。
彼女には「静かな強さ」というものがあって
母性的で包み込むような優しさと共に
女性が持つもう一つの側面を体現しているキャラクターだと思うから。
それから娼婦のベル・ワットリング、
彼女は世間からは軽蔑される職業についていた女性であったけれど
それだからこそ、人間の心の襞というものを一番良く理解していたのではないかと思う。
「私にも一緒に住んでいないけれど息子がいるのよ」とレットに話す時の
彼女の眼差し、「こんな汚い金は受け取れない」と周囲の女性達に罵倒されながらも
慈善のために遣ってほしいと金貨をハンカチに包んでメラニーに渡す彼女の姿には
彼女の情深い、人間的な側面を観たように思えました。
彼女は世間からは軽蔑される職業についていた女性であったけれど
それだからこそ、人間の心の襞というものを一番良く理解していたのではないかと思う。
「私にも一緒に住んでいないけれど息子がいるのよ」とレットに話す時の
彼女の眼差し、「こんな汚い金は受け取れない」と周囲の女性達に罵倒されながらも
慈善のために遣ってほしいと金貨をハンカチに包んでメラニーに渡す彼女の姿には
彼女の情深い、人間的な側面を観たように思えました。
今から外出なのでとりあえず、映画の感想はここまでにします。
何年か経った後にもリバイバル上映されることがあった時、
自分はどんなことを思うのだろうか、その時がまた楽しみです。
何年か経った後にもリバイバル上映されることがあった時、
自分はどんなことを思うのだろうか、その時がまた楽しみです。