スピルバーグ監督の「ミュンヘン」を観ました。
ミュンヘン・オリンピックでのテロ事件のことを私が初めて認識したのは数年前のことでした。当時、一緒に仕事をしていたギリシャ人の同僚が重量挙げでミュンヘン・オリンピックに出場した経歴を持つ人でした。彼らギリシャ人選手の宿舎はイスラエルの選手が宿泊していた部屋の隣だったそうで、突然の銃撃音に度肝を抜かれた・・と、生々しい話をしてくれたことを覚えています。
「ミュンヘン」はこのイスラエル選手襲撃事件の後で、イスラエル政府とモサドが企てた報復のストーリーです。実話に基づいているそうですが、事件の後でこんなことがあったことを知りませんでした。
テロの指導者11人を追いかけて暗殺する役割を命じられた5人の心の内側が描かれていました。凄みのある映像が次々に映し出され、3時間という長い上映時間があっという間に感じたほどでした。正義だと信じて暗殺任務を遂行していくうち、彼ら一人一人の心に疑問が生じ始め、同時に自分もまた狙われているのではないかという不安に襲われる毎日が始まります。
自分の部屋の電話機やベッドの下にも爆弾が仕掛けられているのではないかと怯え、半ば気が狂ったかのように電話機を分解してみたり、ベッドのマットレスをナイフでボロボロに切り裂いてしまう主人公の姿からはその狂気が伝わってくるようでした。当然ながら、もはや普通の精神状態を保つことができなくなってしまったのでしょう。
自分の部屋の電話機やベッドの下にも爆弾が仕掛けられているのではないかと怯え、半ば気が狂ったかのように電話機を分解してみたり、ベッドのマットレスをナイフでボロボロに切り裂いてしまう主人公の姿からはその狂気が伝わってくるようでした。当然ながら、もはや普通の精神状態を保つことができなくなってしまったのでしょう。
暴力に対して暴力で応酬することには、ただ不安と恐怖が増幅されるのみで終わりなんていつまでもやってこないのではないか、ということを痛烈に感じさせられる映画でした。
暫く前になりますが、仕事でイスラエル人の男性と知り合ったことがありました。当時20代後半だった彼はとても明るい性格で一日中冗談ばかり言っているような人でした。家族をとても大事にしていて、いつも自分のお母さんや妹さんのことを好んで話してくれる人でした。ある時、話題がパレスチナ問題に及んだのですが、その時に、彼がボソッと私に
「家族を愛すれば愛するほど敵への憎しみって増すものなんだ。こんなことは日本人には理解できないだろうけどね」
と、言ったことがありました。
その時の彼の顔には家族のことを話す時の笑いジワのある優しさいっぱいの表情は消えていて、それまで見たことがなかった彼の怖い顔つきに一瞬ぞっとしたのを覚えています。
「家族を愛すれば愛するほど敵への憎しみって増すものなんだ。こんなことは日本人には理解できないだろうけどね」
と、言ったことがありました。
その時の彼の顔には家族のことを話す時の笑いジワのある優しさいっぱいの表情は消えていて、それまで見たことがなかった彼の怖い顔つきに一瞬ぞっとしたのを覚えています。
私には家族同様のお付き合いをしてきたアラブの友人も何人かいます。普段はとても温厚な彼らもやはり話題がイスラエルのことに触れると突然人が変わったかのように憎悪を露にするのです。
私にはそこまで誰かを強烈に憎むという経験がありませんでした。それはやはり平和で恵まれた環境で生まれ育ってきたからかもしれません。
だから正直なところ、彼らの複雑な歴史と互いへの憎しみ、いつまでも血で血を洗う争いを続けざるを得ない理由を十分に理解できないでいます。
ただいつまでもこの暴力の連鎖に終止符を打つ事ができないでいるのだという現実には虚しさを覚えるばかり。
映画が相当ヘビーな内容だったので、少し暗いことを思い出してしまいました。
私にはそこまで誰かを強烈に憎むという経験がありませんでした。それはやはり平和で恵まれた環境で生まれ育ってきたからかもしれません。
だから正直なところ、彼らの複雑な歴史と互いへの憎しみ、いつまでも血で血を洗う争いを続けざるを得ない理由を十分に理解できないでいます。
ただいつまでもこの暴力の連鎖に終止符を打つ事ができないでいるのだという現実には虚しさを覚えるばかり。
映画が相当ヘビーな内容だったので、少し暗いことを思い出してしまいました。