心屋認定カウンセラーのんたん(よしだのりこ)です♪
※通勤の電車の中で突然書きたくなってしまいました
拗ねのはじまり編~社会人編2の全7編の長編となりました
順次アップします
前回のつづき・・・
私はひとりで出来るコトは何でもひとりでしなきゃ
気が付いたらそんな私になってました
具体的に小学校入学から書いてみようかな・・・
保育園時代はとにかく大人しくて全く友達の居ない典型的な内弁慶な子供だったのに、小学校に入ると180度性格が変わったかのようによくしゃべるおてんばな女の子になっていました
何年生からか忘れたけど卒業するまで学級委員長をずっとやり続けた
基本、立候補制だったので毎回手を上げてた
当時の私は怖いモノ知らずだったんだなと大人になった今、思う
自分にそれだけ自信があったのか?
ただ、そんな私に母は毎回
『やりたい人が居るかも知れないから、アンタはもう立候補したらアカン!先生にも言うとく』
と言ってました
兄が小児喘息を患っており、頻繁に発作を起こし両親は真夜中に救急病院によく走ってました
私は真夜中にひとり残され心細さと不安から泣いていた(小学校低学年頃)
ある時、泣いて起きて待って居ると病院から帰って来た母にめちゃくちゃ怒られた
私は母に『怖かった、不安やった』って言いたかったのに言えずにそのまま布団に戻された
母に『怖い思いさせてごめんね』って言って抱き締めて欲しかったのに…
この件はマスターに通ってる時に母に言ったら謝ってくれた
小学校の頃、女子にありがちな持ち回りの無視が流行った
もちろん、私もターゲットになり皆から無視された
特に週明けの月曜日は学校に行くのが嫌で何度も休みたいと言ったが、母は許さなかった
この頃、月曜日は絶対に休むなと言う我が家のルールがあると知った
恐らく、熱が出ない限り休むことダメなことだとこの時代に刷り込まれたんだと思う
そのおかげで未だに月曜日に休む時はザワザワしてしまう
小学校の中学年頃、色々あり一番家の中がどんよりしてた時代で、学校も家も私にとっては暗黒の時代だったと思う
兄が虚弱体質だったので、母は兄には優しく私にはキツイ、兄と私の間に差があるとこの頃から思い始めてました
お母さんはお兄ちゃんのコトが一番大事なんやと小学生の頃から思い始めてました
兄が中学生になり、やんちゃ度合が小学校時代の比じゃなくったのと、当時、校内暴力全盛期で学校が荒れていたので地元の中学には行きたくなかった私・・・
頭も良くなかったのと、それ程裕福な家庭ではなかったので地元の公立の中学に渋々行くコトになりました
つづく・・・
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