ちょこちょこ掃除には来ていたので、むしろ地震前より綺麗かも
トイレのドアがちょっと開きにくい、お風呂のタイルが落ちてるとこがある
食器棚まだかたづけてないくらいで
水も昨日から出たし、ここでまた暮らせそうです

地震の日3/11
抜糸だったので、会社休みにしてました
半日で終わると思っていたけど、退院後から仕事してたしウチの掃除したいし休んじゃおと
一日有給とってました
午後から雪の予報だったので朝一に行ったのですが傷がくっついてなくて一本抜いてもらえなかった
月曜か、火曜にまた来てと言われ
そんなに会社休んでばかりもいられないから午後から行きます!と連絡し
余裕だった午前、実家にいって富沢のWBCのチーズケーキなどもりもり食べてました

午後顔出して仕事
そしたら、地震。。。
ゆっさゆっさと、とっても長くてそろそろ終わるだろうと思った頃からまた強くなり
でも結構冷静でした
キャーキャー言ってる先輩、うるさいなーとか
隣のビルすごい揺れてる!とか
長いですねと隣のリーダーに言おうとしたら苦悶の表情でPC押さえてた。。。
皆机の下にもぐり、でも私は半分頭だして徐々に電気消えていく様子や
PCがバタバタ倒れていくとこ見てました


やっと収まったら「近くの避難場所に退避」と上司から
え、そんなに大変?みたいな感覚でしたが上着を着て、貴重品もって外へ
近くの会社からはぞろぞろ人が小学校へ集結してきました
グラウンドが飽和状態で入れない
歩いている途中、ここで待っている間何度もグラグラ
壁が落ちているビルもあったけどほとんどは無傷
上司から今日は帰宅!って言われて
ほとんどの子はそのまま帰宅
私はいったん会社へ戻って、トイレいって近くの停電中コンビニでお茶とチョコ買って
近くの同僚と歩いて帰りました


ぞろぞろ歩く人の波、車は渋滞
SS30のてっぺんの棒が折れてる!
途中すごく激しく雪がふり靴がびしょぬれ。。。
マンションに着いたけど、壁がパラパラ落ちていたりして
管理人さんに最上階が一番ひどいから行かない方いいかもとか言われ
このまま実家に行こう。。。と更に歩く決意
信号がついているところが少なく、渡るのにちょっと苦労

相棒実家の方が私の実家より20分ほど近い
2時間近くあるいたかな。。。暗くなる前には着きました
入ると、「無事でよかったねー」と早速ぬれた靴下を取り換えて安心
ずっとどこにもメールも電話も通じず、もちろん171も
メール来たけど相当遅れて時間もずれて届く
相棒も7時ころ実家に到着
相棒職場は産業道路付近、帰宅途中うっすら水があふれてきたとか
マンション寄って、ブレーカー落として自転車とってきた相棒
停電の中、相棒母作り置きのお惣菜と冷凍してたご飯をガスコンロであっためて食べた


3/12、私の実家へ歩いて行ってみる
壁にヒビがあるけど家具や食器などはほとんど動かなかったみたい
南北に揺れたみたいで、北向きに立ててた本棚が倒れて本ちらかりまくり
山田丸は余震に敏感で、揺れるとびくっとしてました
クロッカスが咲いてた。。。例年よりすこし遅めかも

マンション片づけに相棒父の車で送ってもらう
まだこのころはガソリン入手にこんな苦労するとは思っておらず。。。
変な雲が出てると思ったけど港の方の火災の煙が見えていたよう

灯油のふたが開いてたのでポリタンク半分こぼれていた。。。もったいない+臭い!
台所はすべてのものが床に、そして生玉子まみれ
笑うほど足の踏み場が無い
地震の日、もし抜糸全部終わって会社休んでこの部屋で一人の時地震にあっていたら
怖くてもう戻れなかったかもしれない。。。地震恐怖症になっていただろうな
ばーちゃんちからの茶ダンス倒れて、ブラウン管のテレビも倒れた
でも意外に割れた食器は少なかった。。。お気に入りばかり割れていたが。。。
まだ停電、ろうそくは意外に明るいし懐中電灯もたくさん
相棒父は偶然地震前に、ヤマダ電機のはんぱなポイントで電池を大量に買っていた

3/13
イオンやヨークが長蛇の列、何か買えるなら買っておこうと
実家父が一時間半並んで買えたもの
千円で一袋セットになっていたようで、割とご飯のおかずになるものいっぱい
わりとこの辺ではお米を玄米で備蓄している家が多く
両実家ともお米には困らなかった
カセットコンロも常備してたので鍋で炊いてたようです
ソフトバンクに充電カー、クラッカーとラーメンもらった!感謝
そこで友達と偶然会い無事を喜ぶ
夜には停電解除

3/14、月曜
会社からは出社の命令
とりあえず行くけど書類が届かないし送れもしない、金曜日に放り出してきた書類を整頓して
午前中に帰宅
抜糸に来いと言われた日だけど重傷者が沢山だろうし
糸一本抜くために病院なんて邪魔そうでとても行けず
午後はマンションお掃除、相棒と合流して地下鉄で帰宅
電気付いてる自販機が少なく、あればほとんど売り切れでジュースを一本
まだ電話がつながりにくい

3/15、抜糸に病院へ
重傷者受け入れ病院じゃなかったせいか、待合室に臨時ベッドが置いてあるくらいで
混雑はしておらず
抜糸遅れて、なんか糸が埋まって来ちゃったような
そして抜糸した日に歩きすぎて穴あいたような気がしたんだけど大丈夫と言われてほっ
抜糸終わって会社行こうと思ったら休みになってまたほっ
実家に寄ってだらだら。。。実家は危機感ゼロでのんき
3/16
買い物が行列で大変
マンションに残してきた食料と着替え、灯油をとりに地下鉄で戻る
すごい雪だった。。。それほど寒くなかったかな
灯油ポリタンク持ってバス乗るってよく考えたら違法?
3/17
実家の人数も増えてご飯作り、子供たちのお世話で
時間の感覚がずれたまま時間がすぎていく
でも気持ちに余裕が出来て来たこの頃
ずっと自分の事で精いっぱいだった感じ
早く起きて、早く寝る生活。。。余震で夜必ず3回くらいは目が覚める

3/18
お買い物と、メーテルさんに会ってリフレッシュ
メーテルさんはおうちの方も大変な上に風邪ひいて
仕事先の都合で振り回され更に大変に。。。
そんな中ウチのぶん、実家の分まで野菜を手配してくれてとっても感謝でした
月が大きく見えるなと思ったけど、この日の翌日は19年ぶりに地球と月が大接近の日だった

3/19、*Dも翌日から実家に来てました
Kタに見つかるといじめられるので日中は隠れていた
相棒父に、日曜あたりマンション戻る、と相棒がいうと
なんだ寂しいなーこのままいたらいいべと言ってくれた
相棒はこのもこもこしたシーツが嫌だからなんて適当な答えをして
んじゃシーツ変えてやっからまだ居ろーと
相棒父は実家に貴重な灯油わけてくれたり色々進んでやっている
相棒母も隣近所と助け合って、何かもらったらそれ以上にあげたり
とても尊敬できる両親
毎食、家族8人そろって手を合わせていただきますと食べる生活
これが正しい生活だとしみじみ思いました


灯油売り場はそれほど行列しなくてもよさそうで安心する
ずっと手づかずだったベランダ。。。一番でっかい植木鉢が倒れたんだけど
球根は生きてた!植えかえてくんであったお水をあげた
花咲いてくれそう
偶然、ベランダにあった新聞が1/17ので阪神大震災の記事が。。。
地震を風化させないと書いてある
この地震も、過去のものになっていくんだなと感じました
でも亡くなった方の事や、津波でなくなった思い出の場所の事は絶対忘れない
片づけの合間、カフェドミュウに行きました
久々のスパゲッティ、にんにくこってり。。。そしてカフェオレ
おいしかった!
カフェに行って、非日常から日常にもどったとてもいい時間ありがとう
他にもお肉屋さんでコロッケとかラーメン屋さん、色々営業していて
限りある燃料、材料で頑張ってくれているお店
世の中平常になっても御恩は忘れません、今まで以上に贔屓にします

そして今日
相棒母が食材やお惣菜を沢山持たせてくれて帰宅
いつもより冷蔵庫がいっぱい
灯油もわけてもらってズルズル荷物引きずりながら
地下鉄で帰ってきました
部屋が灯油臭いけど自分の場所は落ち着きます
生卵まみれの食器を冷たい水で洗う
洗濯機から異常な金属音がしてて大丈夫かな。。。
七郷堀の水がカラカラでなんか臭い


お昼は「岳陽楼」へ
超レトロなラーメン屋さん
おじいちゃん、おばあちゃんが二人で
一滴残さず食べたあっさりラーメンおいしかった

地震大丈夫だったんだなと思ったけど
外壁割れてる。。。(煙突は前からかたむいてた?)
そんな中で営業ありがとう
買い物情報も教えてもらえた
今は外食贅沢な気もするけど、こうして営業してくれてるお店があるなら行きたい
夜は相棒が散歩で見つけて来てくれたおかずと相棒母のお惣菜
お米もモリモリ食べて、明日からがんばろう!と
これから貴重な自販機ファンタで乾杯です
いつの間にかおなかの傷も痛くなくなり、うつ伏せで寝ても平気
まだ完全ではないけど
今仙台では、下水の処理が大問題
そして震災ゴミに交じって、ただの粗大ごみ捨ててる人良くない!
今まで以上にエコ生活
考えると辛い事沢山あるけど
地域の復興について小さい自分にできる事していこう