みんなへつうしん 11月26日(木)

 

今週から「人権週間」ということで,

「人権について見直していこう」

という取り組みを行っています。

 

1学期に社会で

「日本国憲法」について

習いましたが,

憲法の三本柱のうちの一つに

「人権」のことがありましたね。

 

日本国憲法の三本柱,

3つとも言えますか?


「国○○○」

 

「基○○○○の○○」

 

「平○○○」
                         
まぁ,そのくらい大切に

されているものなのですが,

毎年のように繰り返し

「大事にしよう」と言われるのは,

まだまだ,それが

守られていないからです。

 

しかも,日本だけでなく,世界的に。

 

できていないからこそ,

毎年のように,12月10日の

「世界人権デー」に合わせて,

これを考えているのです。


「人権」って,

簡単に言い換えると,

どんなことなのでしょう。

 

「人権朝礼」のときに,

校長先生が

話してくださっていましたが,

覚えていますか?


人権とは,

「自分らしく生きる権利」です。

 

つまり,

「幸せに生きていいですよ」

ということです。

 

みんなは,幸せに生きられている?

 

みんなの身近な周りの人は,幸せそう?

 

もしも,「自分は不幸だな」と思う人は,

どんなときにそう思うのでしょう。

 

「住むところや,食べる物がなくて,

 生活していけない」

 

となったら,

その人の人権は,

守られていません。

 

「病気だったり,障害があったりして,

 生活していくのが大変」

 

だったり,

 

「誰かにいじめられたり,

 差別されたりして,

 辛い思いをしている」

 

というのも,

人権が守られていません。

 

ちょっとくらいの心配ごとは

誰にでもあるけれど,

「生きていくのが辛い」と

本気で思っているくらい

大変なのであれば,

その原因は

取り除かれなければならない,

というのが

 

「人権を守る」

 

ということです。


けれど,みんなで一緒に

生きるわけですから,

 

「自分の好き勝手に生きて,

 それで幸せ」

 

というだけではいけません。

 

自分の幸せのために,

人を不幸にしていい権利は

ないのです。

 

自分らしく生きると人が不幸になる

 

というなら,

 

「人が不幸にならないような,

 自分らしい生き方」

 

というものを,

さぐっていく必要があります。

 

「自分らしさを大切にすると同時に,

 みんならしさも認めていく」

 

むずかしけれど,

そういうことを

考えていくことが大切です。


人はそれぞれ性格が違います。

違っていいし,違うからいい。

変なヤツだと思っても,

変だから,クラスはおもしろい。

 

だけど,

授業でちゃんとやりたいときに,

めっちゃ話しかけてくる

友達がいたらどうする?

 

「芝は刈るな」というけれど,

授業中にうるさくて,

周りの人の邪魔をしてくる

友達がいたら,

やっぱりそれは迷惑です。

 

それが「自分らしさ」だったとしても,

今は「授業を聞きたいのにな」

という自分らしさを

大切にしたい人がいたとしたら,

その人のことを考えて,

 

「ちょっとがまんする」

 

という

 

「相手らしさを認める優しいがまん」

 

を発揮してくれたら嬉しいな。

 

昨日は,道徳の授業で

「拉致被害を考える」

ということをテーマに

『めぐみ』というアニメを見ました。

 

かなり衝撃的な内容でしたが,

〈国と国との問題〉になってしまうと,

「自分の娘に会いたい」

「自分の親に会いたい」

なんていう,当たり前の幸せも,

ないがしろにされてしまう

という事実があります。

 

どうしてなのでしょう。

どうにかならないのでしょうか。

 

相手を憎んでも仕方ありません。

そういう怒りの気持ちで訴えても,

余計に問題を複雑にさせるだけです。


では,どうしたらいいのか。

自分にできることはなにか。

少しずつでも考えて,

みんなの人権を守るための

行動がとれるようになるといいですね。

 

それは,拉致問題などという

大きな問題だけではなく,

クラスの友達の幸せを考える,

なんていう身近なことから

始まる問題なんだと思っています。

 

 

「学級通信オレンジ」より