花はどこへいった -4ページ目

早々に乳房全摘後の創部に入っていたドレーンを抜いてもらって術後1週間で退院したので、排液がたまってきて、ちゃぷちゃぷしている感じです。

病理検査結果が出るまで何回か、通院して処置してもらう必要があるのですが、入院継続を考えたら何度でも通院します。

 

意識して腕を上げるようにしないと、すぐに拘縮するような感覚があり、ことあるごとに、手をあげたり肩を回したりしてストレッチをしています。

動かすと傷の痛みはありますが、鎮痛剤を飲むほどではありません。

 

仕事を休んで療養するようになって、自分が追い詰められてイライラし、家族に不快な思いをさせていたんだと痛感します。

しなければならない家事。できない状況。無言で家事をこなしていくわたし。

療養中、追い詰められることなく、体調と相談しながら、淡々と家事をこなしていける状況に本当に感謝です。

 

退院してきた日、部屋も片付いており、台所も風呂も洗面所の鏡もピカピカ。大変だった?とオットに尋ねても、『あと1週間は行けたのに』と。

でも最近、オットも、『本当に大変だった。やるべきことが次々あって、これを仕事しながらしていたのは、本当に大変だったと思う。』と話してくれました。それに、今まで以上にできる家事は手を出してくれるので、感謝しています。

 

実家の畑でたくさんゆずが出来たので、オットがゆずのジャムを作りました。丁寧に、ゆずの白いわたをとってくれたので、苦みがなく美味しく出来ました。

 

Her2陽性 ホルモン受容体陰性 浸潤癌

 

乳がんで、乳房全摘 センチネルリンパ節生検陰性、腋窩リンパ節郭清なしで退院しました。創部に入っているドレーンの排液量からして、まだ 入院が必要でしたが、不眠もあり、外来フォローでと提案され、快諾。ドレーンは抜いた為、外来でたまった液を抜くため、穿刺予定です。

 

急遽、休みをとって オットが迎えに来てくれました。

息子に会ったら、思いのほか、笑顔で喜んでくれました。

上司と友達にも連絡をしました。

 

入院中に、リハビリの先生に、マッサージをしてもらったり、運動の様子を指導してもらったりしたのですが、上がらなかった腕が、毎回、リハ後には、痛みがなく、腕が上がるようになることを繰り返していました。言われた可動域維持と拡大を頑張っているうちに、退院時には、すっかり、肩の痛みが薄れ、上がるようになっていました。

入院時より、腕があがります。

乳がんの傷は、全摘だったので、ほとんどありません。部分切除の方が痛みが出る方が多いですね、と先生。傷まわりは、しびれたように感覚鈍麻。それで、ざっくり傷はあるのに、痛みが少ないんですね。制限はないので、どんどん動かして行ってと言われていますし、昨日は床の雑巾がけも患側でできました。動かさなかった分、背中は、筋肉痛になっています。

 

オルビフォリアも元気でした。まだ新芽が出てきています。

 

アジアンタムは、お風呂の棚の湿気で、葉はチリチリにならず、頑張ってくれていました。

 

 

 

さて。おそらく来月から始まる化学療法に向けて。

 

体力を維持。

仕事で毎日1万歩 歩いていただけで、まったく運動はしない生活でした。毎日、歩くことから 始めようと思っています。

体温を上げる。

平熱は、35度台です。体温が高いと免疫力が上がるらしい。何をどうしたらいいのかわからないけれど、保温、暖かいものを飲む。運動をして少しでも、筋肉量を増やす。

脱毛前に、ヘアスタイルをベリーショートにカットにする。いよいよとなったら、バリカンかなぁ・・・。

まだ術後の化学療法のメニューが決まっていないので、それに合わせて考えよう。

 

退院後、結構無口になっていたインコちゃんが、数日でよくおしゃべりするようになりました。

徐々に、通常運転に 戻します。

 

術後1日目の、担当二人のナースさんに 腋窩リンパ節郭清について聞いても、

 

腋窩リンパ節の郭清はしたが、転移の有無については私たちの口からは言えません、主治医に直接聞いてください

 

と言われるばかりで、それ以上は何も言えませんでした。何が不安なのかも聞いてもらえません。そのあと、担当の先生が来られるまで、何時間も待った気持ちでした。

 

全身麻酔の後は、ぼうっとしておられる患者さんも多く、自室に帰ってきたことを覚えていないという方も多いです。私もこの年齢だし、ぼうっとしていたのか、先生がショックを受けないよう濁した言い方をされたのか・・・。

 

やっと先生が来られ、先生に矢継ぎ早に質問し、術前の説明と術後の説明、ナースさんの宣告について伝えました。

 

結局、術中にセンチネルリンパ節の病理診断をして、転移が無かったのでそれ以上の郭清はしていないことを説明されました。

『びっくりしたね、心配だったね、涙出ちゃうね。ごめんなさいね。』

 

今思えば、そんなに深刻になることでもなかったのかもしれません。でも、リンパ浮腫は、仕事上、よく見ていますし、その時の私には、利き手の制限は、今後の私の生活に大きくかかわってくる気がしていました。

 

そのあとすぐに、私に説明したナースさんが、『渡すパンフレットを間違えてました』と言ってこられました。午後からのもう一人のナースさんは、『心配ごとは直接主治医に聞けましたか』とおっしゃっていました。

落ち着いて考えてみると、ナースさんの知識不足ですね。情報収集不足でもある。たくさんの患者さんを担当しているのだから、仕方ないんでしょうね。

 

それからというもの、バイタルサインの測定と疼痛の有無、ドレーンの性状と量の観察以外は、ナースさんとかかわることは皆無だったので、ひたすら、ドレーン排液量の減少を待ちました。

退院後の不安や、大きな傷口の心のダメージなど、声かけしてくれるナースさんは一人もいませんでした。

何かあったら、自分から、相談窓口に行くこと、が前提です。

甘えていてはいけないんだ、自分で!と 今になったら思えます。

 

 

甘いもの経ちをしていましたが、退院が決まって一人でお祝いしました。

〝SWAT〟を見ながら。

 

 

リンパ節転移は無かったと聞かされたのに、渡されたパンフレットは『腋窩リンパ節郭清した患者様へ』とありました。


担当のナースさんからは、『リンパ節郭清をしたので、重いものを持たないこと、患側ては、血圧測定や採血もしないこと、虫刺されや日焼けにも注意すること、マッサージを行うこと』などの説明がありました。

そしてもうひとりのナースさんが私の腕の太さを計っていきます。

測定の理由の説明はありませんでしたが、リンパ浮腫の兆候をできるだけ早く見つけるためだと思います。


混乱して、「私は腋窩リンパ節郭清をしたんですか?」と尋ねると、「はい。してますね」と。

あまりにも、断言、というか、私には宣告に近く感じました。

食い下がって、「術前に先生からはセンチネルリンパ節の転移がなかったら、腋窩リンパ節郭清はしないと聞いていたのですが、転移していたということですか?」と尋ねました。

即、「病状については先生に直接聞いて下さい」と返事がありました。


転移があると無しとでは、術後の動作も変わってきます。腕の動きに制限があるなら、今の仕事内容では続けられない。化学療法の内容も期間も変わってくる。


何度も何度も、腋窩リンパ節郭清した患者さんへのパンフレットを眺めていました。

前日から寝ていないので、ぼうっとしながら、手術の呼び出しを待ちました。


手術時間が決まると着替えをして歩いて手術室へ。台の上に乗って、無影灯を眺めながら、左手から血管確保。刺してからさぐっておられましたが入らず、一旦抜いて肘に近いところから細めの針で指し直し。

それからすぐに寝ました。


声をかけられたときには終わっていて、まさに、スコーンと記憶が無い。

先生がオットに「リンパ節転移は無かったです」と電話しているのが聞こえました。


よかった。センチネルリンパ節だけで済んだんだ。ひとまず、良かった。「聞こえてた?転移は無かったですよ」と先生の声。

そのまま、ベッドで帰室。

色々モニターをつけてもらって、朝まで過ごしました。夕方から水分の許可があり、酸素も外れました。

3時頃に急に吐き気がして、嘔吐。制吐剤を注射してもらい、うとうと。


やっとのことで朝になり、先生の回診。

そこでやっとモニター類と尿の管が抜け、自由の身に。

ちゃっちゃと2本のホットタオルで体を拭いてもらい、下半身は自分でと残りの2本のタオルを預かりました。


体を拭いてもらいながら、もうひとりのナースさんが、リハビリの方法などをパンフレットを見せながら説明してくださいました。

腋窩リンパ節郭清をした患者さんへというパンフレットです。

ん?と思いましたが、怖くて聞けない。

私の聞き間違いが、術後にぼうっとして私が思い違いしたか。



急変があったので部屋を代わって欲しいと責任者がこられ、フラフラ歩きながら、病室を移りました。

そこで再び嘔吐。ややぐったりです。


色々と考えられず、混乱するばかりでした。

とりあえず、詰め所から遠い部屋になったので、モニターのアラームは聞こえません。

ほっとしました。



昨日、入院しました。

ナースステーションに近い部屋で、夜中ずっと、心電図モニターなどのアラームが鳴りっぱなしで、朝方の1時間ほどしか、眠れませんでした。

現在、最悪のコンディション。

今もアラーム音は、ずっとなったり、とまったりしています。


朝から売店が開くのを待って、耳栓買って来ました。

早く全身麻酔で寝かせて欲しいです。

入院しました。


朝から、ナースさん、先生2人、リハビリの担当の方、手術室のナースさんが来られました。

その間に、書類を届けに行ったり、売店でお茶を買い込んだり。シャワーのあと、200円で、着てきた服とシャワー後のタオルの洗濯もしましたが、あと、乾燥機では乾ききりませんでした。

部屋に干しています。

緩和ケアチームの問診票、リハビリの問診票に記入。

なかなか、忙しい。


スタッフの皆さんが、とても丁寧で優しい。話し言葉がきれいで、ゆっくり丁寧。なので時々いる雑な方が目立ちました。


室温も、心配していた湿度も良さそうです。

静かなので音楽を流すのにスピーカーを持ってくれば良かったと思っています。

持ってきたパソコンはどうしてもWi-Fiが繋がりません。


本を一冊読んでしまいましたが、術後はそうそう本にも集中できないかも。





予定では、2週間だけの入院なのですが、男子二人を残すこととなり、心配です。

インコちゃんも心配。

観葉植物も心配。

 

作り置きしました。

自分の気持ちを落ち着ける為ですね。

 

豚しゃぶ 煮込みハンバーグ 鯖竜田揚げ 青物を茹で置いたり、浅漬けなど。大根も煮込んおきました。

 

今朝の私の寝室は、11℃。

退院した後は、腕の可動域の制限があると思われるので、あわてて 男子の布団カバーをNウォームに替えました。

 

入院の荷物もスーツケースとサブバッグにいっぱい。

快適に過ごしたいからなぁ。

準備万端に見えて、入院してみると持ってきたらよかったものが出てくるはず。

院内のWi-Fiはあるけれど それほど期待できないらしく、Amazonvideoで いくつかダウンロードしてみました。

 

あぁ、いよいよだ・・・。

術後、センチネルリンパ節に転移していたことを説明されるシュミレーションをして、ダメージの軽減を図っています。

 

進むしかない。

 

行ってきます。

いよいよ、入院、手術が迫ってきました。

準備期間をもらえたので、入院後のシュミレーションもそれなりにできています。

 

毎年、秋から始める大掃除もざっと終わらせました。

車庫のいらないものを捨てて。

台所も引き出しの中を出して拭いて並び替えたり・・・。

狭い台所なので、炊飯器も片付けました。必要な時にレンジ下から出すか、鍋で炊飯することにしました。

セイロが一軍になったので、おやつボックスを廃止しました。

一時避難場所として、何も置かない棚を作りました。

 

玄関ドアも拭いて、タイルの床も拭きあげました。トイレ掃除もいったん終わり。各部屋の窓も拭きあげた。退院後、利き手が不自由だと思うので、拭き掃除は念入りに。

 

仕事を休ませてもらっているので、本日、職場に行って、部長と所属課長に挨拶をしてきました。心にしみる言葉かけをいただきました。部長、課長の前でぽろぽろ泣いてしまいました。

 

自分の体のことことだけに専念して!

その時その時で対応していこう。

何でも相談にのるからね。

 

そう言われました。

 

ママとも始まりのお友達が、本を持ってきてくれました。

『いろんなジャンルがいいのよ』と。

 

ちびまるこちゃん、1巻!

あとは、メルカリで集めた本が数冊。何を持っていこうかと吟味中です。

 

 

胸にしこりがあって受診したクリニックで、生検検査結果、非浸潤癌。総合病院での同じ標本を再検査した結果、浸潤癌でした、とのこと。

 

非浸潤癌だと、乳管内でとどまっている癌なのだそうですが、浸潤癌だと、もうすでに体のどこかに微細な癌細胞が飛んでいるらしく、少なくとも、センチネルリンパ節(癌に一番近い、見張りのリンパ節)に転移していなくても、術後補助化学療法が必要になってくるとのこと。

その分類もインフォームドコンセント時に主治医の先生が丁寧に教えてくださいましたが、調べ出したら化学療法の前に食欲が低下するでしょうし、調べずにいます。

 

術後結果がわかってからでも、十分、調べる時間はあるでしょうし。

 

先生にどのくらい前から・・・と聞きましたら、数年単位で少しずつ・・・と言われました。

食べすぎた○あげポテトブラックペッパーが悪かったのかしら、とか、毎日5杯以上のむ、コーヒーのせいかしら、とか こちらの方はあまり深刻にならず、振り返っています。あの時・・・と思っても仕方ないですしね。

 

色々と考えると、生活の中で、自分のことはかなり、後回しでした。

それで、イライラしてオットに嫌な思いをさせていたのかもしれません。

コロナ以降、非常勤でも、超勤は当たり前、コロナが落ち着いてからも、退職者は多く、スタッフの入れ替わりもあり。新しく来た方が慣れてきたら、次の退職者が出る。

 

そんな中、今回の私の病気が発覚。

 

上司が、『気持ちがしんどかったら、休んでいいよ』と言ってくれました。

今までの私なら、体調は大丈夫だし、無理なことはない。

やればできるし、私はうまくこなせる、と思っていました。

 

でも、今の時間は今しかないし、今後どうなるかわからないし。

今の時間を家族の為に使おうと思ってですね。

術前の10日ほどは、お休みをいただくことにしました。

 

準備期間が長いので、あれやこれや考え過ぎますけど。