自分を満たし尽くすことで、
初めてひらく扉がある。
それがはっきりと分かるのは、
自分を封じ込めてきた
過去があるから。
ひらく扉の先で出会うのは、
波風一つ立たない
凪いだ景色。
また閉じることがあっても、
もう大丈夫。
私は何度でも、
新しい自分を
ひらいていく。

ゆとりを持つということが、
私の人生において
いかに大切かを、
この3年間、
自分自身の身体から教わってきた。
来年こそは、
どうしても、
元気で過ごせなければ
困る理由が、
今の私にはいくつもある。
だからこそ、
「ここぞ」というときには、
相手よりも
自分を優先してあげたい。
一番大事な局面で、
自分以外を優先することで
潰れてしまう
そんな自分の一面は、
愛しているけど
手放したい。
そして、
私を選んで
一緒に仕事をしたいとか
仕事を頼みたいとか
話をしたい
遊びたい
って思ってくれた人がいたときに、
「忙しそう」という理由で
うっかり相手の気持ちが
縮こまってしまうことのないように、
そのためにも、
【ゆとり】は
これからの私が
生活する上での鍵になる。
私の知ってる範囲の人だけじゃなくて、
あずかり知らないところでも
本当に私を必要としてくれる人のために、
私は今の仕事や生活を続けていきたい。
実績も経験もスキルも、
一見すると
何の筋力も備えていない。
そんな状態の頃から、
自分の望む仕事を
思っていたよりもずっと早い段階で
実現できたのは、
いつもそばに居てくれる
たくさんの人の【優しさ】と
つながれているから。
私の可能性を信じて、
私を選んでくれた、
すべての人へ
今年もありがとう。
来年は、
自分史上一番高い場所に
挑んでいきます。
学生時代、
就活のプログラムで
「ライフプラン」を作成したとき。
中年期以降の自分を
イメージしたプラン設計が、
私にはどうしてもできなかった。
考えが止まる。
手が止まる。
要は、
何歳まで生きたいか?
周りのみんなは、
私よりもずっと遠い地点の
最期を迎えたいと思う
年齢の箇所に“点”を打っている。
「ないものは書けない」
に初めて直面した瞬間だった。
ショックだった。
行きたい方向が分かると、
生き急ぐ勢いでそこに熱を傾ける
私の性質は、
「自分の人生を
平均寿命の1/2程度に
短く見積もっていること」とも
きっと関係している。
そんな私が今、
命を少しでもより良い状態で
保ち続けるための食事を
望んでいるという事実は、
学生時代、
人生後半のライフプランを
立てられなかった
【不確かな私】から、
確かな何かを受け取ったのだと思う。
「歳を重ねた先でも、
望むものを見つけたときに
飛び込めるように。」
未だに自分の数十年後の姿は
見えないけど、
【生き急ぐこと】から得た
代償が大きいことは、知っている。
【今を丁寧に生きること】でしか、
私の身体は
本当の意味で
前に進めない。

一度好きになったものは、
ずっと応援したい。
せっかく好きになったものだから、
ずっと大切にしたい。
でも、
「ずっと好きでいる」という状態は、
意外と、
思っている以上に、
手間のかかる状態
なのかもしれない。
と、同時に、
「ずっと好かれている」
という状況を生み出すのにもまた、
並々ならぬ努力があり、
そこには必ず
「そうなって当然」
と呼べるような、
知られざる素晴らしい理由が
隠されている。
「ずっと好きでいる」
という純粋な気持ちから生まれた、
こちら側の【応援】と
「ずっと好かれている」
という自覚や責任がもたらす、
あちら側の【努力】
そのふたつが共鳴し合った先には、
これまで辿ってきた道も、
これから進んで行く道も、
すべての瞬間を
「明るい」
と信じさせてくれる
【希望】しか存在し得ない。

言葉は 光
何を書くときにも、
そう思っている。
言葉には、
絶望の淵から人を救い出すほどの力と、
人を追い詰め 殺すほどの力があるから。
他者からの言葉とは、
実のところ、
【他者の口を使った、自分自身の言葉】
なのだと思う。
もし、出会った【言葉】が
固く重く、冷たい鉛になって
胸の中に落ちてきたとき。
それをそのままにしておくと、
心は荒れ果ててしまう。
心の底に沈んで、
自分の可能性を
縮こまらせてしまいそうな
その【言葉】を
どんな形に変換・昇華させるかを、
言葉を扱う私は、
日常で出会う言葉からも
問える人でいたい。
ある特定の分野において、
狂ってしまえるほどの
感覚を得た人だけが、
その道を極めるスタートラインに
立てるのだと思う。
私の【言葉】に対する態度は、
自分でも「ちょっと異常」だと思っている。
そんな強靭なまでの
【言葉】への愛が、
自分の中に光を宿していることを、
私はいつも
【言葉】から
教えてもらっている。
言葉は 光
何を書くときにも、
そう信じている。








