昨年末、風邪に罹って、

完治までに1ヶ月以上かかった。
 


幸い、「声が出ない」以外の

身体機能はまともだったので、

仕事も家事もストップせずに

なんとか乗り切ることができた。




体調を壊すと大抵、

初めに喉に異変が現れる。




話し言葉に関する気管に

支障を起こしやすいのは、


感覚や感性の面だけでなく

身体までもが

【言葉】を

大切にしていることの

表れでもある、と私は思っている。




そしてもうひとつ思うことは、

以前からずっと気になっていた、

虚弱でキャパの小さいこの身体を

逞しくしたいということ。




本来なら、

12月といえば

せわしい1ヶ月を

過ごしていたはずが、


風邪のおかげで

単独での仕事や家事、

プライベートのことに集中できたのは

良かったのだけど、


できるなら、

そうならずに

居られるのが一番嬉しい。





身体の内側のケアには

この数年気を遣ってきたけど、

今年は外側からのアプローチにも

取り組んでいきたいと思って、

年末から少しずつ運動習慣を

持つようになった。




1万歩を目標に、

毎日のどこかに

歩く時間を作ったり、

短い時間でもできる

ストレッチや

筋トレを始めた。




文章書きの仕事は、

内面の繊細さだけでは

到底太刀打ちできないような、

躍動的なパワーが

必要な場面もある。




外側の肉体にも

アプローチして、

心の内側にある機微と、

体の外側につけた体力を

兼ね備えて、

熱い血の通った文章を

書き続けられる人になっていきたい。








「丁寧」は、

時間がかかる。

手間がかかる。



時間をかけて

手を尽くして

その工程を経たものにだけ、

響かせられるものがある。


届く想いがある。




丁寧でいることを、

もっと丁寧に

考えられる人でありたい。












「長生き」には、

「長い息」がいいらしい。



朝に瞑想を始めてから、

ゆったり深く呼吸する瞬間を

日々の他の場面でも

生み出すようになって、

「これまでいかに自分が

 浅い呼吸をしていたか」

ということに

驚かされている。




食事も、

生活も、


長生き願望があって

見直したわけではなかったけど、


身体に快適なことを

求めていった結果としての

ボーナスとして

長生きができたら、


そしてそれを

自活で実現できたら、

きっと、未来の私は

ものすごく

喜んでいると思う。



   




嬉しい気持ちは、

拡大する。

伝播する。

轍になる。




寂しい気持ちは、

結晶になる。

あたためる。

光に溶ける。







想像力は、

いつも柔らかく、

どこまでも自由。





イメージ次第で、

軽々と突き進むことは

どこに居てもできる。
 
 
 
 







この世界で

生きていく上での

最上の幸福とは、



佳き理解者に

恵まれること。





その理解者が、

他者ならば。



自分の意思を表明する力に

自信を持とう。



確固たる意思が

打ち立てられる場所にこそ、

共鳴する人は集まるから。






その理解者が、

自分自身ならば。



自分を好きになる力に

自信を持とう。



どんなにだめな自分でさえも

笑い飛ばせていることの

証明になるから。




 
















ある時は悲しみが

多くのものを奪い去っても

次のシーンを笑って迎えるための

演出だって思えばいい



『Documentary film』 Mr.Children

 






16歳でミスチルを好きになって、

26歳で初めてライブに行って、

2011年 震災の年と重なったそのライブの

アンコール最後の一曲、


渾身の『終わりなき旅』を

聴いたとき、


「これまでの私の、

 辛い 悲しい 苦しい出来事は、

 全部この日のためにあったんだ」


と、直感的に理解することができた。




それ以降、

私は、自分の残された人生を

【余生】だと

解釈するようになった。





長居競技場の隅っこで、

米粒を通り越して

粉粒サイズしか見えなくても、

桜井さんの歌う姿、エネルギーは、

会場中の人を圧倒するのに

十分すぎるほどだった。






人は必ず、絶対に死ぬのに、

なぜ生きるのか?




私の答えは、


「“もう死んでもいい”と思えるほどの

 幸せな瞬間に、
 
 生きている間に出会うため」





26歳のあのときのライブで

衝撃が駆け巡ったあと、

同じ年の秋に

初めて、「講演会」と

名のつくものに行って、

そこから私の第ニの人生が

本格的に始まった。






ミスチル30周年の今年。




20年間ファンで居続けてきた

私の感性が、

また新たな方向を目指して

芽吹きそうな予感がしている。




 





美しい眼を

持ちたいと思った

そのときから、


美しい景色は、

何度でも自分の前に

現れ続ける。










自分にとっての【大切】を、

誰かからも大切にしてもらえたら、

ものすごく嬉しい。



だから、

誰かにとっての【大切】を、

私からも大切にしたいと思える、

そんな人でありたい。


 



自分と相手の【大切】を、

いつも大切にできますように。














わたしの生きる世界が


光で満たされるように




あなたの生きる時間を


私が輝かせるから




離れていても


そばにいるよ






『やさしさで溢れるように』 JUJU











これからの人生で、


つらい気持ちになるたびに、


別の姿になって


私の前に現れるのは、


きっと貴方です。





これでもかというほどの


過酷な状況をものともせず


生き抜いた貴女の姿が


お守りにあれば、


私はこの先どんなことがあっても


必ず立ち上がれます。





でも、


貴女ほどまでに


強い人に憧れはあっても、



どうかお願いです。





私にその強さを


授けないでください。



 


私にはすでに、


自分の奥底に深く根付いた【傷】を


他の人に渡さないように、


【愛】に変換する錬金術が


備わっているから。







今日は、四十九日。






お母さんのことは


一生忘れないけど、



お母さんと離れた寂しさは、


あともう少しだけ、


忘れてしまいたい。






お母さん、ありがとう。

 


お母さん、大好きです。






お母さん、ありがとう。



お母さん、


お母さんがそっちに行ってから、


私の身に起こるすべての出来事が


うまく行きすぎて、


こわいくらいです。





お母さん、ありがとう。



私は一生、お母さんの自慢の娘です。






お母さんには、


ありがとうの言葉を


何回言っても足りないから、


これからは、


私の周りにいる人に


贈っていこうと思う。





「ありがとう」は、


あらゆる敵を溶かす言葉。







お母さん、ありがとう。





 






「息を引き取る」とは、

故人の「息(=意思)」を

看取る側が「引き取る(=受け継ぐ)」こと。



そんな意味があることを、私は

母が他界するよりも前に知りました。




母の最期の瞬間に

運良く立ち会えた私は、

ひと時の待ち時間に、

母の【最後の声】を

聞き取ることができました。





お母さんが居なくなってから、

私はものすごく饒舌になって、

まるで、ふたり分の量を

喋っているかのようです。





お母さんと顔を合わせることが

なくなってから、

お母さんの茶色がかった眼の色を

自分の瞳に映せるようになりました。





【最後の声】を

聞かせてくれた あのとき、

何が起こったのか理解できなくて

びっくりしたけど、

その音色が

穏やかだったことに

安心しました。





お母さんの息を

引き取ったんだと思うと、

これまでは出せなかったはずの勇気が、

自分を奮い立たさずとも

出せるようになってきました。




お母さんを失うことよりも

こわいことって、

私には なかなかないから、

もう、これから大抵のことは

やってのけられるんじゃないかとも

思っています。



何がやってきても、

私なら大丈夫。



そのためにも、

今は、

誰よりも

自分のことを大事にしたい。




それは、

私の中にいる

お母さんを

大事にすることと

同義だから。




自分のことを、

このまま一生、

大切にしたい。



そう思える自分で居続けるための

人間関係も、

今年は重点的に作っていきたい、って

思っています。