ソニーのウォークマンは既存技術を組み合わせたものだったので技術的な不安はありませんでしたが、ウォークマンの商品コンセプトをどうやって世の中に受け入れられるのかが心配でした。

 

実際に販売担当者が特約店に説明しに行くと、「どうして録音機能がないのか」「どうやって使うのか」という声が返ってきました。

 

ウォークマンにはソニー独自の新しい技術は含まれていなく、逆に既存の製品から機能を削ぎ落とした製品でした。そういうこともあり、経営幹部の多くはウォークマンにはソニーらしい高い技術が含まれていないと思われ、ソニーが手掛けるべき製品ではないという意見がありました。

 

それにもかかわらず、盛田氏は最初の生産台数の設定を3万台にしました。当時最も売れていたテープレコーダーが月に1.5万台でしたので、この生産台数はかなり強気のものでした。

 

 

そして、販売部門もウォークマンの宣伝や販売に消極的でした。ウォークマンの広告宣伝を担当する社員は2人しかいませんでした。

 

初回生産の3万台で販売が終わると考えており、それでは宣伝費をつぎ込んでも赤字になるから広告宣伝費も僅かな予算しかありませんでした。予算がないため、テレビのCMなどで大々的に宣伝することもできませんでした。

 

 

ソニーは、6月下旬にウォークマンを新製品としてマスコミに発表しました。しかし、マスコミの反応は冷ややかなもので、新聞の紙面にはほとんど載ることが無く、掲載されたとしても小さい記事で紹介されるだけでした。当初の予定より10日遅れの71日に発売されましたが、1か月で販売されたのは約3千台と惨憺たる結果になりました。

 

ウォークマンの広告宣伝を担当していたスタッフは、お金も人も不足している状況で知恵を絞り新たな作戦を展開していました。ウォークマンの良さは、いくら言葉で説明しても分からず、とにかく聴いてもらって良さを理解してもらおうと考えていました。そこで、ウォークマンを色んな人に経験してもらう場を増やすことを実践していきます。

 

社員にウォークマンを付けて山手線の電車に1日中乗ってもらい、多くの人の目に触れることを思いつきます。社員にボランティアで手伝ってくれないかと申し出ると、面白そうだからと引き受けてくれる若手社員がいました。引き受けた若手社員は休日に無給で働くことになったのですが、外で室内と同様の質の高い音楽を楽しめるということで、嫌がるどころかむしろ楽しんでいたようです。

 

また、新宿や銀座の歩行者天国、江の島のライブコンサート、高校や大学の運動会や文化祭などに出向いて、多くの人に実際にヘッドホンをして聴いてもらうようにしました。特約店でも、デモテープを入れたウォークマンを使ってお客さんに試聴してもらいました。

 

そして、芸能人など若い人に影響力がある人に無料でウォークマンを渡しました。すると、そのうちの何人かがウォークマンを気に入り、その人達がウォークマンを使う姿が雑誌などに載るようになります。

 

このような働きかけが功を奏して、徐々にウォークマンの評判が広がっていき、8月いっぱいで初回の生産台数を販売することができました。

 

こうなるとウォークマンに否定的だった社内の雰囲気が一変し、すぐに増産が決まり十分な宣伝費も与えられるようになりました。

 

そして、ウォークマンのCMを象徴する猿がイヤホンを付けているCMが作られました。「音が進化した、人はどうですか?」というナレーションを覚えている人もいるのではないでしょうか。

 

北米市場では、盛田氏が自ら広告塔となってウォークマンを宣伝していました。盛田氏がウォークマンを付けて、当時の人気シンガーのシンディ・ローパーと一緒に撮った写真などが新聞や雑誌で紹介されました。シンディ・ローパーは、今で言うレディー・ガガのような存在だったと思いますので、かなりのインパクトがあったのではないでしょうか。

 

 

盛田氏は、ウォークマンの広報宣伝担当者に「マーケット・クリエーション(市場を作ること)というのは、マーケット・エデュケーション(市場を教育すること)のことなんだ。」と言っていました。

 

これを聞いた担当者は、「マーケット・エデュケーションというのは、新しいソニー製品を(市場に)出したら、この製品が何のためにあるのか、その使い勝手も含め一種の啓蒙をしなければならない。」と理解したようです。そして、このことはソニーの宣伝広告のひとつの考え方になっています。

 

ウォークマンの宣伝には、この考え方を体現するような方法をとっていました。ウォークマンは室内でしか聴けなかったステレオの高音質の音楽を外でも楽しめるようになり、ウォークマンを持つことによって新しいライフスタイルが得られるということを、一般消費者にメッセージとして伝えることに成功しました。

 

 

ウォークマンというのは和製英語だったため、海外では発売当初は違う名前で売り出されていました。ところが、海外アーチストなど来日した外国人がウォークマンをお土産に買って帰るようになり、ウォークマンという名称が認知されるようになります。

 

そして、ソニーも海外についてもウォークマンという名称に統一し、全世界への販売に踏み切りました。後に、英国の代表的な辞書のオックスフォード英語辞典にも「ウォークマン」という言葉が認定されるなど、海外の辞書にも掲載されるようになりました。

 

 

ウォークマンは技術的な難易度が低い製品でしたので、競合他社も次々と同様のヘッドホンステレオを発売しました。

 

しかし、機能的には同じで、価格はむしろソニー以外の製品の方が安かったにもかかわらず、ウォークマンを脅かすような製品は現れませんでした。

 

一般の人にとっては”ヘッドホンステレオ=ウォークマン”という認識となっており、他社のヘッドホンステレオのこともウォークマンと呼ぶ人が少なくありませんでした。ウォークマン以外の他者のヘッドホンステレオを持っていると、まるで偽物を持っているように思われるようなこともありました。


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