<今回の江戸:東京国立博物館 >
石川が産んだ史上最大のスーパースターと言えば
この人でしょう。長谷川等伯
!
長谷川等伯は室町~安土桃山時代の画家です。
能登・七尾の出身。人生50年の時代に
30代半ばで上洛(京都に行くこと)し、画家になった
超遅咲きのアーチスト。
それまで中国の模倣でしかなかった水墨画から
脱却し、「日本的水墨画」を誕生させたといいます。
上野にある東京国立博物館に収められている「松林図屏風
」は
国宝に指定されています。
そういえば美術コミックの「ギャラリーフェイク
」では
「日本人が一番好きな絵」とされていました。
その東京国立博物館の平成館
では「対決-巨匠たちの日本美術
」
を開催していました。
仏像の「運慶vs.快慶
」、
水墨画の「雪舟vs.雪村
」、
屏風絵の「俵屋宗達vs.尾形光琳
」、
浮世絵の「喜多川歌麿vs.東洲斎写楽
」、
ともに異端とされながら近年に評価が見直されている
「伊藤若冲vs.曽我蕭白
」
など日本美術史上に残る巨匠たちの芸術を
ライバル対決として見比べる展示です。
そして、その中には
「狩野永徳vs.長谷川等伯
」も!
他のライバル対決は、後世の人達が
勝手にライバル仕立てにしてますが
狩野永徳と長谷川等伯は、現実にライバル関係にありました。
「狩野」と言えば「ラーメン、つけメン、僕イケメン」
で有名・・・じゃなくて室町時代から江戸時代まで、
足利将軍、織田信長、豊臣秀吉、徳川幕府と常に時代の
最高権力者をパトロンとし、400年の長きにわたって
日本の画壇に君臨し続けた絵師集団。
その狩野派の基礎を築いた狩野元信が後継者に示したのは
息子ではなく、なんと三男の長男。まだ10歳の孫。
それが狩野永徳でした。
お祖父ちゃんから、父や叔父達を差し置いて、後継者に
指名された狩野永徳は正に天才だったようで、足利義輝、
織田信長、豊臣秀吉らに才能を買われていたようです。
国宝「洛中洛外図屏風
」は永徳の作だとか。
信長の安土城の障壁画、秀吉の聚楽第(じゅらくだい:
秀吉の大邸宅です)の障壁画その他、天皇家、公家、
大名の注文を次々こなしていたようです。
そのわが世の春を謳歌していたスーパープリンス永徳に
挑戦状を叩きつけたのが我らが長谷川等伯さん。
能登から出た来た妻子持ちの中年のおっさんが
画才と政治力で名を挙げ、堺衆、千利休とパイプを作ります。
そして狩野派が一手に引き受けていた皇居のうちの
対屋(たいのや:迎賓館みたいなもの)の受注に成功。
そこから慌てた永徳が結局、対屋制作を取り返しますが、
その年、過労?心労?暗殺?で狩野永徳は
亡くなってしまいます。
その後、秀吉は3歳で亡くなった息子の鶴松の菩提寺の
障壁画を狩野派ではなく等伯に命じます。
これで事実上、長谷川派が狩野派を凌ぐことになりました。
展示では自然を屈服させる圧倒的な力を見せる永徳と
自然を個人の描いたままに描く等伯の対比が見事に・・・
と言いたい所だけど人がいっぱいで見れなーい!
人の頭を見るためにお金払ってるんじゃないんです~。
(T_T)
もう、どうして東京のミュージアムはいつも
こうなんでしょうか。 (-.-”)凸 ウリィ
結局プログラムで(こっちの方が高い!)
で巨匠たちの対決を鑑賞することに・・・。
東京国立美術館は5つの建物に分かれていて
本館
では日本の美術史を数々の国宝や日本史上に
残る美術品を基に紹介していました。
ここも凄いですよ。教科書で見たものが
もうこれでもかこれでもかと言うくらい出てきます。
東洋の歴史を紹介する東洋館 。
表慶館
では日仏交流150周年記念としてオルセー美術館より
日本の浮世絵に関するコレクション
が展示されていました。
法隆寺宝物館 。
ナショナルミュージアムはなかなか面白いところでした。
特に本館はもう一度時間をかけてじっくり見てみたいです。
しかし、返す返す残念なのは企画展に人が多すぎ
て全然見れなかったこと。
お願いですから、既に引退されてる方や、
平日に時間が作れる方は
出来るだけ平日に見に来てください。m(__)m
バーチャル美術館
はこちら(2009年3月まで)







