東京と福岡では、衆議院補欠選挙が行われていて、幸福実現党候補も出馬して、本日が投開票でございます。
しかし、テレビや新聞等の一般メディアでは、幸福実現党の候補者は紹介されておらず、事実上、幸福実現党からは出馬していないと有権者から見られております。
幸福実現党の訴えは、直接候補者の声を聴かずとも、私にはわかります。
経済においては”減税”と”規制緩和”を基軸とし、外交面においては”国防”と”国益”を中心概念としていて、これらは立党以来、首尾一貫しているからです。
それらが現時点での既存政治に、あまり都合がよろしくないのもわかる。
また、テレビや新聞などでは、消費増税時の軽減税率確約を勝ち取るために、今言いたいことが言えないのも理解はいたしします。
◇東京10区 幸福実現党 吉井としみつ候補
しかし今、そのような俗っぽく、また近視眼的な価値基準で、民主主義制度の根源である情報が制限され、国民の知る権利を著しく侵害させている場合なのでしょうか?
昨日書きましたけど、フィリピン大統領の中国接近は戦前の東アジア状況と同じ構造であり、これで米中同盟でもなれば、全く同じとなります。
http://ameblo.jp/oramorre/entry-12212196198.html
そのような状況下の元、さあ、既存の政治勢力の候補者は、一体何を訴えて、近き将来、「先生」と呼ばれるおつもりなのでしょうか?
国会議員のポストは国政の一貫としての民意反映のためであって、決して、とある人物の就職先確保のためではありませんよ!
◇福岡6区 西原ただひろ候補
「幸福実現党の母体が、幸福の科学という宗教法人であるから、放送などをすれば、布教になってしまう。」というなら、外側だけ見て、肝心の中身を見ていないと思う。
何だって、大事なのは”中身”ですよね。
幸福実現党の立党は、7年前の2009年5月です。
この時からよく巷の評論家の方々からは、「宗教法人幸福の科学の政治進出。」と言われました。
しかし幸福実現党は、幸福の科学の政治進出ではありません。
政治進出だったら、もっと票の取れる訴えをしますし、もっと上手な手を打ちますよ!
現実に、大川隆法総裁の政治経済センスは抜群です。
それは、以前ブこのブログ記事でご紹介したとおり、現実にリーマンショックからの世界恐慌を、時の麻生内閣を使って止めております。
また幸福の科学発足当時から、大川隆法総裁はときおり、政治に関する法話を説いておりました。
また、前世紀から発刊されている雑誌、月間リバティーでも、主な記事は政治ものでした。
ですから私は、「いつか幸福の科学は、政治進出した方が良い」と思っておりました。
しかし2009年5月時点で、大川隆法総裁が動くとは、私にも、また多くの信者も、まったくの予想外だったのです。
なぜならば、当時低支持率にあえぐ麻生内閣を、唯一支えていたのは、大川隆法総裁だったからです。
それは今思えばひとえに、麻生太郎氏に外交センスがあったからです。
麻生太郎氏(現副総理)は、経済オンチであろうとは思います。
リーマンショックを評して麻生氏は、「100年に一度の大不況。」というフレーズを、毎日毎日国会で述べ続けていました。
しかし、アメリカとの同盟を機軸とした日米関係を続け、日本の国防をしっかりさせるには、麻生総理しか当時はいなかったのですね。
支持率10%代の麻生政権を、大川隆法総裁は、ご講演や発刊する書籍で励まし続けました。
大川隆法総裁は、最後まで麻生氏に期待し、支えるご覚悟であったはずです。
そして何と、09年5月には、35%にまで支持率を回復させた時点での、幸福実現党の立党だったのです。
どうでしょうか、皆様。
政治進出するつもりならば、どん底の支持率の時にすれば良いし、もともと政治進出するつもりで、時の政権に近づいたのであれば、麻生内閣の支持率上昇に、あれだけのエネルギーを使って、協力する必要などなかったはずでではないでしょうか。
2009年の前半期、大川隆法総裁は、麻生政権を支えることに尽力し、そのことに相当の時間と労力を費やしています。
もしも、最初からこの時期に政治進出するつもりならば、そのエネルギーを使って、幸福実現党立党を準備するべきだし、そして政治活動をするべきです。
つまり、2009年5月の突然の幸福実現党立党は、これまた何度も書きますけれども、大川隆法総裁個人の利益や、幸福の科学という教団の営利や宣伝など、下賎な理由で行われたのではないのです。
幸福実現党に、政治活動の未熟さはあったでしょうし、選挙戦における戦いの進行や、組織の運営にまずさもあったでしょうし、今もまだ未熟でありましょう。
しかしそういった、現実的な不手際はあったのは確かではありますが、こと”動機”においては、まったく純粋そのものであったのです。
でなければ、あの時点での立党などありえないし、また全国全選挙区出馬もないし、衆院選を戦いながらの、東京都議会選挙への出馬もなかったのです。
おそらく大川隆法総裁は、立党時点ですでに、その後の幸福実現党の運命は察していたはずです。
察していながら、それを悟られぬように、戦っていたはずです。
今の私には、それがわかります。
ではなぜ大川総裁は、そのような無茶なまねをして、幸福実現党を立党し、2009年の戦いに望んだのでしょうか?
それはひとえに、「今から始めないと、間に合わない。」「もうこの国を守り、世界を幸福に導くのは、我々しかいない。」という救世主の、強すぎる責任感からの行動だったのです。
これは、大川隆法総裁が立党当初よく使っていた言葉ですが、その真意は何か。
それは2009年4月の時点で、ときの麻生政権が、国防の充実や憲法改正を基軸に、衆議院を解散しなかったからです。
このとき、ときの与党が、「北朝鮮ミサイル問題は、今後予想される、日本国防の危機の始まりであるから、国防を充実させるため、憲法改正を視野に入れて、衆議院を解散する」と宣言すれば、その後の日本の国防の憂いは、ほとんどなかったからなのです。
なぜかと言うと、与党が国防を争点として選挙をすれば、たとえそれで負けたとしても、次に政権交代したときに、いち早く改憲作業に移れるし、その間中国や北朝鮮は、日本に手出しができないからです。
初代幸福実現党党首 あえば直道氏 (現全米共和党東アジア担当顧問)
しかし、2009年の麻生政権の選挙前の動きや、まるで民主党と見まがうような、その後の自民党のバラマキ公約を見る限り、大川隆法総裁の国や世界を思う願いは、聞きいれられなかったようです。
おそらく麻生氏に、「それでは選挙に負けてしまう」という思いがあったのでしょう。
だから、幸福実現党は立党したのです。
2009年に、ときの与党が「国防重視、憲法改正を視野に入れた解散」をしたのと同じ効果を、その後の日本にもたらすために。
ただ、それだけのために。
大川隆法総裁とはそういう御仁であり、幸福の科学や幸福実現党は、「それでもなお、やるべきことはやらねばならない」と思える人々の集まりなのです。
愛する日本が、これまでの安っぽい常識通念や、近視眼的価値観から離れ、「何が正しくて、何がこれから必要なのか」という、本来民主主義に求められる概念の元、神の子仏の子の、本来の透き通った心の眼で、価値判断していただける国家になることを、私は心から祈っております。
それでは、またのお越しを。