木曽の御嶽山に中の湯登山口から登ってきた。

埼玉を4時半に出て、中央道を伊那インターで下り、権兵衛トンネルで木曽へ。

ナビのおかげで迷わず中の湯登山口の駐車場に到着。

到着は9時半。

 

中の湯に到着した時、広い駐車場に車が1台もとまっていなかった。

いくら平日とはいえ、夏休み中のこの時期におかしいなと思って、道の奥に進んでみると一段上のところに登山者用駐車場があって10台以上の車がとまっていた。

トイレもあって、小屋の前にはバス停の標識もたっていた。

 

御嶽山に登ろうと思ったのは、何年か前仲間と乗鞍岳に登り、剣が峰からはるかにのぞんだ時からだ。

独立峰ながら広々とすそを広げた上に大きな山頂部が立派だった。

 

手早く支度をして今夜宿泊予定の石室山荘めざして歩き始める。

中の湯が標高1820m。9合目石室山荘は2880mくらいだろうか。標高差1000mだ。

 

登山道にはいってすぐにかつての中の湯の建物の跡があった。

建物は最近まで残っていたはずだが、いまはきれいに撤去されて、道のかたわらに神社の鳥居と祠だけが残っていた。

 

 

道は原生林のなかを登っていくが、足元は木の段というより道一面に木が敷き詰められている。

太い木は半割に、それほどではないものは丸太のままや角材もある。

完全な階段ではないので段差が少なく見た目より歩きやすい。

 

御嶽山への登山道は、独立峰だけにいくつもある。

木曽谷側からでは、私が利用した中の湯登山道。これは途中でロープウェーからの道と合流する。

一番歩きやすいのは王滝の田の原登山口からだろう。道がいいので歩きやすそうだ。

ほかにも飛騨側の濁河温泉から飛騨頂上へ登るルート、北側のチャオ御岳スキー場から、そして一番長い開田高原からといくつもある。

 

今回中の湯ルートにしたのは、前泊を避けて早朝に埼玉を出発してのぼり始めるので、途中に山小屋があるコースであること。そして最高峰の剣が峰から徐々に標高を下げて五ノ池、飛騨頂上にまわって、再び登り返すことなくトラバースルートをつかって戻れることなどが大きな理由だ。

 

歩き始めて30分ほどでカラマツなどの原生林の中に木の鳥居と小さな祠があった。

 

そのあたりは大きな斜面にうっそうとした森が広がっている。

なかなかいい雰囲気なのだが、斜面の登りなのであまり見まわしている余裕はない。

 

少し斜面が急になると木段の連続だ。

 

ちょうど1時間のところに雨戸が閉まった古びた建物があった。

飯盛小屋八海山支店と看板が出ていたが、営業をやめてしまっているのだろうか。

 

さらに15分ほどでロープウェーからの道と合流した。

 

そのすぐ上が7合目の行場山荘だった。

 

行場山荘というのは、建物の裏の沢が行場だったからだろう。

石がごろごろした沢の詰めに滝もあってしめ縄もかかっていた。

そしてその脇には石段の上に覚明社が祀ってあり、覚明霊神ののぼりも掲げられていた。

江戸時代に御嶽山信仰を広めた人の一人が覚明行者だそうで、この中の湯からの登山道を開き整備したそうだ。

 

少しトラバース気味に斜面をのぼり、広々とした尾根を登り始めた。

そのあたりから樹種も変わってきてダケカンバなどが姿をあらわした。

 

足元の土も火山らしい感じだ。

 

御嶽山は信仰の山だが、今でも白装束で登っている人を何人もみかけた。

 

カラマツなどが姿を消して灌木が多くなったので、少し展望が開けてきた。

 

そのかわり、足元は木段がなくなり、石がごろごろの道になって歩きにくくなった。

今回はポールを持ってこなかったのだが、こういう道を長々と歩くのだから、やはりもって来るべきだった。

 

背が低くなった木の間から御嶽山の山頂部の姿が見え始めた。

そして建物も見えてきた。

 

女人堂だ。出発して2時間半。

広々とした台地上の斜面の中央に立派な建物が建っている。

ここは、中の湯コースのほぼ中間点であり、石室から山頂へ至るルート、三ノ池を経て飛騨頂上に向かうルートとの分岐点だ。

 

そこは霊場でもあるらしく、正面に御嶽山山頂部の壁が立ちはだかるように連なっており、

たくさんの石碑や神像がならんでいた。

その中でも目立つのは、覚明行者を祀る覚明霊神像だ。

私は、ここでお昼にした。

 

道はそこから左手の緩やかに盛り上がるような尾根へとのぼって山頂へむかう。

 

その途中から振り返ると北の方角に乗鞍岳らしい大きな山体が、頭を雲に隠してわだかまっていた。

正面には中央アルプスがみえているはずなのだが、そのあたりは雲の中だ。

もう大きな木はほとんど姿を消している。

 

ゆるやかな尾根に登りつくとそこにもたくさんの神像があった。

右の像などは女性が頭巾をかぶっている湯に見える。

仏教のスタイルだが、神仏習合の修験の世界では霊神像と呼んでいるようだ。

 

たくさんの石碑も並んでいた。

各地の講の人々が登拝の記念に収めてきたのだろう。

 

正面の急な壁の上に目指す石室山荘の建物が見えてきた。

これは望遠でとったもので、実際はまだまだ距離がある。

そのもう一段上に見えているのは御嶽山の噴火のあと営業をやめてしまった覚明堂だろうか。

まもなく急登がはじまる。

 

灌木にまじってハイマツがあらわれた。

そして緑のない岩だらけの斜面も広がるようになってきた。

 

雲は多いもののいい天気だったが、午後になってガスが出てきた。

疲れた足で岩だらけで急な斜面を登る。

 

流れるガスの向こうに石室山荘。

もう目の前なのだが、なかなか近づかない。

 

足がつってきたのですぐに芍薬甘草湯を服用し、休み休み登っていく。

 

やや近づいてきたが、前の写真から15分もかかっている。

もはや数歩登っては休むという繰り返しなのだ。

 

小屋の手前の石段も3段登っては立ち止まり、というぐらいでようやく小屋に到着できた。

午後2時10分。出発から5時間半あまり。

最後は苦しいのぼりだったが、なんとか計画通りの時刻に到着できた。

若い人なら4時間くらいで登ってしまうのだろうけど。

 

これが反対側の入り口。登山道は建物を通り抜けて、反対側から山頂へと続く。

もちろん建物外にも道はあるのだが。

まだ時間はあるので山頂の二ノ池ヒュッテまで行く時間はあるのだろうが、もはや私は体力の限界だ。

夕食まで少し横になって休憩。時間を持て余すので外に出て写真を撮ったりしたのだが、絶えず流れてくる雲で中央アルプスなどの姿は撮れなかった。

 

どこの小屋も同じなのだろうが、室内には御嶽神社が祀られていて、いろいろな講の登りがたくさん飾られている。

 

夕方5時半、ようやく夕食だ。今夜の泊りは8人だった。

 

これが夕食。このほかに御蕎麦がでた。

 

天気がよければ食後に夕景を写真におさめたかったが、結局雲が消えることはなく、少し赤く染まった雲を撮っただけで、早々と床に入った。