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久仁さんが帰った後も〇〇は病室に残っていた。
「鴻上さん、もう一度脈拍と血圧を測りますね。」
オレの神経を逆撫でないよう、随分とスマートに声をかけ頷く間も無くすぐに手を取る。
「…雨止んだのか。」
「降ってますよ。」
さっきまで横殴りの雨がガラス窓に叩きつける音までしていたけれど、気づけば雨の色はサラサラと流れるような小雨に変わっていた。
「優しい雨。」
その静かな雨音と脈を測る〇〇の手の温かさに徐々に気持ちが落ち着いてくる。
「次は血圧。」
無駄の無い動きはある意味オレを現実に引き戻す…が、
「イライラしてたから上がってないかなぁ?」
「うるせ。」
〇〇の無邪気な笑顔に変に気が抜けて…思わず他人のコイツに言っちまった。
「可笑しいよな。」
「え?」
「偽装結婚なんて…ふざけてる ありえねー。」
久仁さんとオレの話を聞くまいと思っていても耳には届いたろう
「オレはとんでもねー男だ。」
記憶が無いにしても事実だ。驚きと自分自身への怒りを通り越して情けなくなっていた。
「その女からすりゃオレの記憶喪失は朗報だったろうな。」
久仁さんのあの言いにくそうな様子 オレはソイツを自分勝手な理由で振り回したに違いないと想像させる
「縁が切れて清々したろうよ。」
「…。」
〇〇は無言で力無く失笑するオレから血圧計を外した。そしてカートに乗せたノートパソコンにデータを入力しながら
「偽装結婚しなきゃならない理由があったんでしょ。」
そうサラッと言った。
「どんな理由だろうとその女もよく受けたよな。好きでもねー男とひとつ屋根の下暮らすなんて。」
「好きでもない男、とは言ってなかったと思うけど。」
「オレに惚れてたなら見舞いに来るじゃねーか。」
胸ポケットから体温計を取り出し差し出す。オレは脇に挟みながらため息を吐いた。
「なんでオレは偽装結婚なんか…。ハァ情けねー…人の人生なんだと思ってやがる…。サイテーな男だ。」
そう呟き窓の外に目を向けた時だ。
「決めつけるのはどうかと思う。」
〇〇がオレの発言を否定したのは。
「…は?」
「サイテーな男だと決めつけるのも、彼女が不幸だったと決めつけるのも。分からないでしょ、記憶のない鴻上さんに当人同士の気持ちは。」
ひょうひょうと告げる〇〇に呆気にとられると同時に
「だから、その女が顔を見せねー事実が答えじゃねーかって言ってんだよ。」
腹が立った。
「もういい。ハイ、平熱。」
オレは体温計をシーツの上に放り投げソッポを向く。まるでオレはただのガキだ。
同情されたとしても満足はいかなかったろう。分かっているのに全否定されれば苛立ちは隠せない。
こんなオレなのに、
「鴻上さんあんまり考えないで。血圧上がるから。」
ふざけてやがるコイツはホント…。
「ハァ。うるせー、もう行けよ。」
「違うこと考えて。他にあるでしょ。楽しいこと。」
「楽しいこと?あるかよ、記憶のないオレになにを考えろってーんだ。退院した後のことか?ただの暗闇じゃねーか…」
だけど、
「私のこと。」
「は。」
「私のことを考えて。」
「は…。」
そう言って…オレを黙らせて。
「私は一体何歳でしょう。」
〇〇は手を後ろでに組みニコッと笑う。見つめ返せば
「そして趣味は?明日までの宿題ね。」
手を振り出て行こうとして。
「なんでお前のことなんて…おいっ」
「あ、あと得意料理はなんでしょう?」
・・・・
わけわからねー女だと思った。だけど、
偽装結婚をしていたなんていう信じ難い事実から逃げたい
「…同い年?いや…年下だな。にしては生意気だよな…」
それを外したとしても記憶のない、思い出のないオレには絶好の考え事になった。
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