つづき

 

前回、「気づき」の大切さについて触れた。

 

桜井章一さんはこれについてつぎのように述べている。

 

「気づく感覚」を持て

チャンスや運の存在に気づくには、日々の生活の中でいろいろなことに「気づく感覚」を磨くことだ。

 

たとえば、通勤や通学で何気なく歩いている道にどんな樹があるか、どんな建物があるか、どんな看板があるかといったことを細かく認識している人はあまりいない。ここにこんな店があって、ここはこんな家が建っているという具合に、ところどころにある目立つものだけを決まったパターンで覚えているだけで、それ以外のものは何度その道を通ろうと意識されないようだ。

 

だが、細かく気をつけてみれば、発見はいくらでもある。

 

真剣勝負をしていた現役時代、私はボンヤリしていると見落としそうなものを、対象が街中であれ人間であれ、注意深く見て気づくということを自分に課していた。

 

人については、「この人のこういう仕草やクセはどんな気持ちを表しているんだろう」などと推察したり、表情から何を考えているのか読み取ったり、さりげない観察を習慣的にしていた。

 

今挙げたことは気づきの感覚を磨くひとつの方法にすぎない。日常生活は、それこそたくさんの細かいことから成り立っている。意識を向け、そこから気づきを得られることは無数にあるはずだ。

 

そうやって「気づく感覚」を普段から磨いていれば、チャンスの女神の前髪をみすみすつかみ損なうなどということはしなくなるものだ。

 

さらっと書いてあるが、なかなか難しい注文だ。例えば散歩の途中、たくさんある景色の断片から何をどのように拾い出して覚えておけばいいのだろう?そしてここでいう気づきとは?

 

先述した政木和三さんの話では、超能力者が念をかけていたスプーンが1万分の3ほど歪んでいた、と言う。彼はそれに「気づいた」。非常にわかりやすい。

 

例えばタイは無類の犯罪大国で、ぼくも先月、(部屋の鍵以外、パスポートとか重要なものを持って出られない)プールに外出中に、たぶんアパートの内部スタッフに空き巣に入られ盗難された。

 

部屋に戻ってくると何か変なのである。何が変かは判らないが、変だと勘が告げた。ある種の気づきである。

 

それで室内を探索するとあんのじょう、いろいろなものがなくなっていた。

 

自分の安全安心に関わるレーダーが働いて、それに「見えない部屋の変化(金品の盗難)」が引っかかったのだ。

 

こういうケースもわかりやすい「気づき」であろう。

 

人によって興味の範囲が違うので、どう「気づき」を訓練するかは千差万別であろう。

 

政木さんの指摘するように、

・呼吸法

・脳波をシータ波に

・全ての欲望を捨て

・無心の状態に

あたりが鍵のような気がしているがどうだろうか?