つづき

 

アジアを歩いていると良質の水や食用油が手に入りにくいところも結構ある。

 

特にストリートや食堂で飲食しているとだんだんとお腹をやられていくのでそれがわかる。

 

インドなどでは、朝のカレーの仕込みの材料を昼間は客が使うテーブルで切り刻んでいたり。そんな度肝を抜かれるシーンにもたまに出会う。

 

ネパールでは、バケツで雑巾を洗った後に、食器やシルバー類を洗っている光景も見た。汗

 

ミャンマーは結構微妙だった。(以下略 笑)

 

まず料理が美味しいとか美味しくないとか言う前の話である。

 

インドに頻繁に行く日本人ヒーラーもそう言っていた。良質の水と油を使い、自炊をするようになって胃腸の調子が良くなったと。

 

フィールドスタディしているとどうしてもストリートで何か口にせざる得ず、不本意な結果を招くこともある。やばいと思ったらビスケットなどパッケージされている食品をとることだ。

 

実は観察しているとインドのプロ乞食(こじき)は食べ物は受け取らない。家庭の残飯を受け取って当たる可能性が高いからだ。

 

サドゥの真似をして乞食して当たって数日生死を彷徨った外国人の話も聞いたことがある。

 

ともかく、こんな話はアジアでも都会に商用や私用で住まう外国人たちにはわからない悩みだ。アジアはまだまだ貧しい。

 

それに比べ、タイ空港をトランジットとして使い、カオサンあたりの宿を利用して、ストリートで食事をしても問題なかった。

 

またタイ南部や北部にある国際仏教センターにお世話になって寝泊まりしたときも食事は質素ながらもまともだった。たまに唐辛子の多い料理に当たったこともあるが。

 

このような経験もタイを拠点にしても良いという自信に繋がったものだ。それは長期滞在しても胃腸に支障が出ないという証拠だからだ。

 

今は毎朝の買い出しで手に入れた朝食、昼食、おやつでほぼ暮らしている。朝市のお店をやっているタイ人はみんな健康そうで、その早朝に仕入れたフレッシュな食べ物を並べている。当たったことはない。

 

それにいざとなればコンビニもある。セブンさまさま 合唱

 

なぜか、祝日祭日であっても誰かが何かを売っていて、食いっぱぐれたことはない。

 

多分タイのお坊さんが毎日托鉢に回ってくると言うことも実はぼくが毎日食べ物が必ず手に入ることにつながっているのだろう、と思う。

 

毎朝道端やお店の前で民間人がお坊さんたちに施食をしている姿を見る。

 

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彼らは戒律で、宵越しの食べ物をもてず、自分で煮炊きすることもできない。乞食(こつじき)で暮らさないといけない。タイの人々はそれがわかっているので、お坊さんへの施食を切らすことがないのだろう。