一切皆苦

諸行無常

無我

 

 

お釈迦様が言ったとされる仏教の諦観だ。

 

意味は読んでの通り、

・すべての現象は変化し移ろいゆく

・確固たる自分というものは実は存在しない

・人生の諸事は常に満足に足りることはない

 

しかし、問題は、それでどうした?だからどうした?という疑問に仏教は直接的には答えていないのではないだろうか、ということだ。

 

唐突だが、桜井章一は<運>とか<ツキ>とかという言葉で人生に起こるさまざまなこと、つまり<一切皆苦>が人生なら、どうすればそのような人生で<運>とか<ツキ>を良い方に持ってこられるかに答えている。

 

この時点で、桜井は仏教を一歩抜きん出てると考える。

 

ポスト仏教ともいえよう。

 

桜井はこういう。

 

 ●   どんな人でもスランプで調子をくずすことがあります。生きていれば都合の悪いことはいくらでも起こります。そんな時に、こうした基本の動作、基本の心構えがしっかりしていれば救われるのです。

 

では基本の動作、基本の心構えとはなんだろうか。彼はこういう。

 

まず<諸行無常>との関連で

 

●    変化の流れを感じ、素早く柔軟に動くことが基本です。すべてが変化していく限り、変化には間に合わなくてはいけません。間に合わないと文字通り間が抜けた人生になってしまいます。

 

つぎに<無我>との関連で

 

 ●   また、「自分のことだけを考えない」ということも大事な基本です。すなわち、相手のことも考え、さらに全体を思いやっていくという姿勢です。実はこの基本はみんな子供の時に教わっているものです。

 

桜井は、この麻雀で得た基本の動作や基本の心構えを生活のすべての局面においても忘れないようにしているそうだ。

 

生活のすべてで基本を大事にする。ここがミソだろう。

 

生活や命と切り離された言説=戯論は無価値である。

 

桜井は、こう喝破する。

 

●   物事がスムーズにうまくいく時のやり方、自分が気持ちよく感じる行動、そうしたものはすべて基本の動作や心構えから生まれます。

 

すばらしい。

 

たった2頁の文章でここまで端的に人生訓を語れる人は少ない。そしてそれは仏教が語ろうとした問題に真正面から触れている。

 

桜井章一のご長寿と更なる活躍を祈りたい。