2026/01/21

 

昨日は数人のタイ人が朝っぱらから大音量で

音楽をきいていた

 

でビデオにはその音が混ざっていて

ちとうるさいが

 

細波

 

 

いつも砂浜につくといきなりズーンと

別世界に入る気分だ

 

夜明けの人気のない砂浜には

筆舌に尽くしがたい霊妙さがある

 

逆にアパートなんてバイブが悪すぎて興醒め

最近も廊下には「罰金5000バーツ ドラッグを持ち込むな」

と貼り紙

 

早くぼっちキャンプをはじめたい

 

 

イメージ(だけは膨らんでいる 笑)

 

 

 

細波の音には健康効果満載と

チャットGPT

 

ほんと砂浜のバイブは極楽だ

 

明け方そうそうにやってくる

ロシア人たちの気持ちがよくわかる

 

ちょっと長めだが、

 

以下チャットGPTの回答を転載

 

細波(さざなみ)の音には鎮静効果があると考えられています。これは感覚心理学・神経科学・環境音研究の分野で、かなり一貫した知見があります。

 

1. 生理学的・神経学的根拠

 

① 自律神経への作用

 

細波の音は

  • 副交感神経を優位にする
  • 心拍数・血圧・呼吸数を低下させる
    ことが複数の実験で示されています。

 

特に「規則的すぎないが、急激な変化のない音」は、脳を警戒モード(交感神経)から安全モードへ移行させます。

 

② 脳波への影響

 

波音を聴くと、

  • α波(8–12Hz)
  • 状況によっては θ波(4–7Hz)

が増加しやすくなります。

 

これらは

  • 瞑想状態
  • 入眠前
  • 深いリラックス

と関連する脳波です。

 

2. 音響特性としての「細波」

 

細波の音が鎮静的である理由は、その物理的特徴にあります。

 

● 1/fゆらぎ

 

細波の音は多くの場合

**1/fノイズ(ピンクノイズ)**に近い性質を持ちます。

 

これは

  • 完全な規則音(人工的)
  • 完全な不規則音(騒音)

の中間で、人間の生体リズム(心拍・呼吸・血流)と同調しやすいとされます。

 

● 高周波成分が少ない

 

荒波や衝撃音と違い、

  • 突発的ピーク音が少ない
  • 高周波(警戒を誘発する成分)が抑えられている

ため、扁桃体(恐怖・警戒中枢)を刺激しにくいのです。

 

3. 進化心理学的説明

 

人類史的に

  • 海辺=水・食料・移動手段がある
  • 危険が比較的少ない

という環境であったため、

**穏やかな波音は「安全な環境の手がかり」**として脳に刻まれている、という説もあります

 

4. 実用面での効果

 

細波の音は以下に有効とされています。

  • 不安・緊張の軽減
  • 睡眠導入
  • 注意力回復(精神疲労の軽減)
  • 軽度の抑うつ気分の緩和

 

※医療行為ではありませんが、補助的手段としては非常に安全性が高いです。

 

まとめ

 

細波の音には明確な鎮静効果があり、神経生理学・音響特性・進化心理学の観点から合理的に説明可能です。

単なる「気分の問題」ではなく、脳と自律神経が実際に反応しています。

 

 

 

2026/01/19

 

うちの近くの海岸。

 

明け方に行くとまだ薄暗いのにロシア人たちが海で泳いでいる。

 

そして、日がさしはじめる7時ごろには続々とやってくる。家族連れも多い。

 

いくら南国とはいえ寒くないのか?

 

水温は推定で20度+ちょっとや。

 

ずっとそう思っていたが今日SNSを見ていてやっと疑問が解けた。

 

 

 

水温マイナス15度⁉️

 

入水したら心臓が停止しそうな水温だ。

 

これに比べると、彼らにとってプーケットの海なんて温水プールみたいなものなんだろう。

 

 

2026/01/13

 

前回の記事

 

なぜだか知らないがこの頃ひらめくことが増えたと思う。

 
今日も早朝、雑木林を歩いているうちにふとひらめいた。
 
image
 
それは、
 
人間が便利さや快適さを求めて生み出した文明の力(りき)が
かえって人間を自然から遠ざけ
直感的に世界のありようを理解する妨げとなってきた
その余分な文明の力を取り去っていくことで
人間はまた直感的に世界のありようを理解できるようになるだろう
 
というものだ。
 
例えば、
 
悪路を長距離歩くためにトレッキングシューズを履く、
濡れたところも歩けるようにビーチサンダルを履く、
 
という行為。
 
普段なら何の疑いも持たずにやっていることだ。
 
トレッキングシューズやビーチサンダルは優れた文明の力でもある。
 
凸凹の道や濡れたところを歩くには確かに便利なトレッキングシューズやビーチサンダルだが、それらを履いたがために、足裏に張り巡らされる神経は、接地している地面の形状や状態を直接把握できなくなる。
 
大袈裟に言えば文明の力が世界のありようを理解する妨げになっているということだ。
 
また、トレッキングシューズやビーチサンダルの靴底に足が守られて、脳に伝わるはずの「感覚」を喪失するばかりでなく、感覚に応じて足の筋肉や軟骨を操縦する脳の新皮質にある運動野から足にかけての「神経」が退化していく。例えば、体のバランス感覚を失ったり、足首が硬くなっていく、などという弊害を生み出す。
 
だから、理想を言えば、この「負の文明の力」となっているトレッキングシューズもビーチサンダルも脱ぎ捨てて「素足」で大地を踏みしめて歩け、ということだ。
 
この20年来、ある行為を「すること」によって何か新しいこと、新しい見方を獲得するというロジックで物事を考えていた。これは今最も流布している一般的な考え方だと思う。
 
しかし、今日、雑木林で受けた天啓のベクトルはそれとは真反対のもので、
 
ある行為を「しないこと」によって何か今までずっと忘れてしまっていたこと、忘れてしまっていた見方を再度獲得するというロジックもある、と示唆してくれたように思うのだった。
 
 

2026/01/17

 

毎日のように早朝散歩に出かけている。なんか知らんが楽しみなのだ。

 

今日は雑木林を歩いていたら、なんと日本製であるモンベルの小型テントが張られていた。

 

イメージ

 

誰か知らんが、たぶん日本人だろう。この雑木林は国定海浜公園の一部で本当はここにテントは張れないのだろうけど、ここはタイ。そんなこと誰も気にしない。笑

 

ぼくもいずれこのあたりでぼっちキャンプをしたいと思っていたので、そのテントをみて、自分でもキャンプをするイメージがぐっと湧いてきた。

 

いつものコースを周遊してセブンに行って、朝ごはんを食べ、ちょっとしたデザートを買ってアパートにもどる。途中、浄水器で飲料水を大型ボトルに入れ、お昼ご飯を買って帰った。

 

毎日、ほとんごこれが1日のうちで唯一の外出だ。1時間から2時間程度。

 

最近はこのあと、ランチを挟んでお昼過ぎまでほとんどベランダにいる。

 

仕事や雑用をここでする。ネットもここで。

 

ベランダの前はほとんどジャングルだ。

 

たまにここにリスや小鳥たちがやってきて単調な生活に彩りを添えてくれる。

 

 

一番日照時間の短い冬至は昨年12月の22日だった。

 

それが、年も明け、やっと乾期になり、昼間晴れ間が広がるようになり、日もだんだん伸びてきた。早朝でも以前より寒くはなく、昼間もそれほど暑いわけでもなく、過ごしやすい天気が続いている。

 

早朝には浜辺では蝉が鳴いていて、プーケットに冬と呼べるほど冬らしきものはない。

 

ただ、水は寒いのでプールはしばらく控えていたが、だんだんと日中暖かさが増し、2週間ぶりの今日、またプールに行った。600メートルほどだが泳ぐと朝の素足散歩とは違う身体の充実感を味わえた。

 

これからだんだん暑くなっていくので、早朝の散歩だけでなく、午後に泳いで体を動かせるのはありがたい。

 

朝5、6時起きで、この、3時ごろになると今日もそろそろ終わりだなと安堵する気分になっている。

2026/01/17

 

毎日のように早朝散歩に出かけている。なんか知らんが楽しみなのだ。

 

今日は雑木林を歩いていたら、なんと日本製であるモンベルの小型テントが張られていた。

 

イメージ

 

誰か知らんが、たぶん日本人だろう。この雑木林は国定海浜公園の一部で本当はここにテントは張れないのだろうけど、ここはタイ。そんなこと誰も気にしない。笑

 

ぼくもいずれこのあたりでぼっちキャンプをしたいと思っていたので、そのテントをみて、自分でもキャンプをするイメージがぐっと湧いてきた。

 

いつものコースを周遊してセブンに行って、朝ごはんを食べ、ちょっとしたデザートを買ってアパートにもどる。途中、浄水器で飲料水を大型ボトルに入れ、お昼ご飯を買って帰った。

 

毎日、ほとんごこれが1日のうちで唯一の外出だ。1時間から2時間程度。

 

最近はこのあと、ランチを挟んでお昼過ぎまでほとんどベランダにいる。

 

仕事や雑用をここでする。ネットもここで。

 

ベランダの前はほとんどジャングルだ。

 

たまにここにリスや小鳥たちがやってきて単調な生活に彩りを添えてくれる。

 

 

一番日照時間の短い冬至は昨年12月の22日だった。

 

それが、年も明け、やっと乾期になり、昼間晴れ間が広がるようになり、日もだんだん伸びてきた。早朝でも以前より寒くはなく、昼間もそれほど暑いわけでもなく、過ごしやすい天気が続いている。

 

早朝には浜辺では蝉が鳴いていて、プーケットに冬と呼べるほど冬らしきものはない。

 

ただ、水は寒いのでプールはしばらく控えていたが、だんだんと日中暖かさが増し、2週間ぶりの今日、またプールに行った。600メートルほどだが泳ぐと朝の素足散歩とは違う身体の充実感を味わえた。

 

これからだんだん暑くなっていくので、早朝の散歩だけでなく、午後に泳いで体を動かせるのはありがたい。

 

朝5、6時起きで、この、3時ごろになると今日もそろそろ終わりだなと安堵する気分になっている。

2026/01/17


政木和三さんは数々の超常現象を目撃し、ご自身も体験されている。

人間の持つ能力はかなり過小評価されているのだろう。

自分たちの持つ能力を過信することなく、過小評価することのないようにしたいものだ。


転載

 

◎ 人間はみな超能力者として生まれている

 

 昭和四十九年、ユリ・ゲラーの来日によって、スプーン曲げという考えたこともない不思議な現象を見せられた。

 筆者は、電気抵抗線ひずみ計、CR発信器、マイクロメーター利用の測定器を試作して、その科学的な究明に努力した。

 同年五月、毎日テレビでスプーン曲げのできる少年少女を募集したところ、近郷だけにでも三百名以上もいることがわかった。

 その少年少女達に対して、百円硬貨の中心にストレーンゲージをはりつけたものを両掌の中に入れて、曲がれと念じさせ、そのひずみ量をペン書きオッシログラフに記録した。

 その結果は、多少の差はあっても、実験者の全部が百円硬貨が曲がることを示した。

 スプーンの時は、手で力をいれても曲がるが、硬貨を掌の中で押すだけでは、普通の力では曲がるはずはない。

 実験中に、四十歳ぐらいのテレビ局員が来室し、

 『私は子供のときから、スプーンが曲がっています、一度やらせてください』

 という。

 両手の掌を合わせた中へ、百円硬貨をいれて曲がれと叫ぶと、ペン書きオッシログラフの針は大きく振れ、その能力の大きさを示した。

 そのような実験は東京のテレビ局でも行ったが、いざ本番になると、能力がなくなり、放映することができなかった。

 子供が、無邪気にやっているときは気持ちがリラックスに保たれ、欲望がないために能力を十分に発揮できるが、いざ本番では、緊張、欲望が頭を出すために能力は減少するものである。

 そのころ、日本全国には、テレビ局の調査しただけでも一万四千人の超能力の子供がいたが、無申告の人々を加えれば、その十倍ぐらいの人がスプーン曲げができたのかも知れない。

 天玉尊先生が某日、知人の宅を訪問したとき、家人が、

 『いまスプーン曲げブームですけれど、先生は曲がりますか』

 と聞いた。

 先生は、

 『曲げたことはないが、一度スプーンの入った引き出しを開けてごらん』

 というので開けてみると、引き出しの中にあったスプーン数十本が全部ぐにゃぐにゃに曲がっていた。

 筆者は昭和四十九年の夏、宝塚でF社長と食事のとき、F氏が自分の四歳の男の子が少し普通でないように思うと語りかけられた。

 では頭の中でその子供さんを思って下さいといいながら、政木フーチパターンで測定を始めたところ、横方向に一直線の超能力型を示した。

 『このお子様は超能力があり、スプーンが曲がりますよ、一度実験してみてください』

 と伝えると、早速、その部屋から夫人に、

 『〇〇ちゃんは、スプーンが曲がるそうだから、一度やらせてくれ』

 と、電話された。

 電話の向こうで早速実験が始まった様子であったが、曲がりませんよ、と夫人から伝えてきた。

 またしばらくすると、

 『やはり曲がらないですよ』

 『だめですね』

 と、いった瞬間に、

 『あっ曲がりました。

 〇〇ちゃんの手にスプーンが巻きついてしまいました』

 と、はしゃいだ声が伝わって来た。

 このように、本人の自覚もなく、両親も知らないが、超能力を持っている子供は数限りなくいるのかも知れない。

 考え方によっては、生まれた人間には全部超能力が与えられているが、それが常識のベールを被(かぶ)ることによって超能力を打ち消し、発揮できなくなるのではないだろうか?

 どんな人でも虫の知らせとか、胸騒ぎを感じる。

 そして不思議な夢を見る。

 物理的には説明のできない現象をよく身に感ずることがある。

 それを偶然のできごととして片付けてしまう場合が多いが、この世の中に偶然は果たしてあるのだろうか。

 全(すべ)てが偶然ではなく、どこかで計算されたプログラムによって実施されているのではないだろうか。

 火事の際に、常時の十倍以上もの力持ちとなり、重いものを運んだ事実が多く知られている。

 人間は咄嗟(とっさ)に思いがけないことができることがある。

 これらも人間が皆超能力者であることを証明しているのではないだろうか。

 エジプトの留学生E君が、十円硬貨二枚を右手の人差指と中指の上におき、その上から親指で押すと二枚とも硬貨が曲がり、親指にやけどをした。

 本人は硬貨二枚は簡単に曲がるが、これは私は力が強いからだといっている。

 では親指がなぜやけどをするのだろう。

 力以外の何かの力が働くのではないだろうか。

 本人は子供のときからいつも曲がっていたと、こともなげにいっている。

 当年二十六歳の青年であり、この人のフーチパターンは十センチ以上あったことを覚えている。

 このようにして、本人は否定していても、普通には考えられない事実があれば、超能力を持った人間と考えることが正しいのかも知れない。

 人類が誕生してから何百万年の間には、極寒の氷河期を何回も生き抜いてきた。

 これを科学文明を持たなかった当時の人間は、どのようにして生き延びてきたのだろう。

 原始人は、占い人の指示によってすべての行事を行ってきたことから考えても、人間に超能力があったために、氷河期を生き延びられたのではないだろうか。

 虫の知らせとか、胸騒ぎの類も、人間の五感以外の感覚ではないだろうか。

 動物たちには、この第六感的な感覚と思えるものとして、渡り鳥の方向探知、ナマズの地震予知、蟻や蜂の帰巣性、小動物の火災予知等がある。

 科学の未開発時代の人間も、これら動物のように五感以外の感覚が大きく作用していたのではないだろうか。

 現在は科学の発達により、その必要がなくなったために、その能力が低下したものと思える。

 しかし、この特異な力がなくなったものではなく、特性は持っていながらその利用法を忘れたのかも知れない。

 ある地球物理学の教授の話によれば、三脈といって、手首の脈搏と、頸動脈の脈搏が同時であれば、それから二十四時間以内は、自分の一身上には変化はなく、もしもこの脈搏の時間に狂いがあるときは、変事が起きる前兆であるから注意しなくてはならない、といったことがある。

 例えば航空券等を買ってから、三脈を調べ、もし不調であればキャンセルすべきである。

 何年か前にも、そのキャンセルした券を買った人が事故によって死亡したことがある。

 その不調が自分だけの場合は、まだ自分ひとりが気をつければよいが、家族とかグループの全員が不調のときは、そのグループ全体の行動に注意しなければならない。

 このように、手首と頸動脈の脈搏差によって、未来の変事を予知することができることになる。

 この現象は全ての人間に可能であることから、人間はみな超能力者的素質を持っていることになる。

 このような能力の使い方を忘れさすのは、現在の科学かも知れない。

 それは、ただ物理的に証明できず、科学的に根拠がないという理由によるものであろう。

 筆者の身近に多くの奇跡が引き続いて起きている。

 しかしそれは現在の科学では説明も証明もできない。

 現在の科学で説明のできないことは、実在しないと思う人もあるだろうが、まだ現在の科学が、超常現象を解明する要素に欠けていると考えるべきである。

 米国、ソ連そして最近では中国においても超常現象の研究に着手している。

 科学のない時代の人々は、少しの科学的事件に対しても、魔法のように恐れおののいていたことを思い出せば、行きづまりつつある現代科学の再開発が、この精神的エネルギーの研究開発にあるのかも知れない。

 フランスのノーベル生理学・医学賞受賞のアレキシスカレルは、

 「美や宗教に対するインスピレーションや愛などは、多分直観を発達させることに好都合であろう。

 詩人は科学者より一層深く真実を把握する。

 直観は透視(クレアボイアンス)に非常に似ており、真実を感覚器官に頼らずに捕らえるようにみえる。

 『偉大な人物はすべて直観力に恵まれている。

 彼らは分析や理屈なしに、自分は何を知ることが必要かわかるのだ』

 直観と透視(クレアボイアンス)の違いは、たぶん量的にも質的にもあるに違いない。

 『透視(クレアボイアンス)と精神感応(テレパシー)は直接的に観察対象となるものである。

 こういう能力を持つ人は、自分の感覚器官を使わずに、相手がひそかに考えていることを把握できる。

 また多少は時間的に、あるいは空間的に離れていても、さまざまな事件を知覚することができる』

 こうした能力に恵まれた者は決して少なくない。

 ラインはデューク大学の学生に対して調査を行っているが、感覚器官に頼らずに感じとる力の存在を、しばしば観察している。

 旧約聖書の予言者たちは、未来を見通していた。

 一一世紀のアラブ人は、感覚器官に頼らない知覚を、精神発達の第四段階と定義している。

 ヨガの教理は人から人へ思いが伝わることがあり得る、と教えている。

 フィヒテ、ヘーゲル、ショーペンハウエル、フォン・ハウプトマンは、感覚器官外の知覚という概念を認めている。

 不思議なことにアリストテレスは予知を否定しているが、彼にはこの現象は説明できないものとうつったからであろう。

 デカルトと一八世紀の哲学者たちも、感覚器官を通らずに知性に到達するものは何もないと信じていた。

 こうしてルネッサンス以後、人間は五官という境界の中に、勝手に閉じこもったのだ。

 今日、われわれは精神感応(テレパシー)による否定できない出来事を、数多く知っている。

 精神感応や、過去の映像、未来の予知などの本質は、アリストテレスのころと同様、まだ明らかにされていない。

 しかし、こうした現象は説明もできなければ観察も難しいというだけの理由で、それが真実ではないと否定すべきでないことだけは明らかであろう」

 と語っている。



精神文明と奇跡
第三刷発行:昭和五七年九月二十日
著者:政木和三

 

ソース

 

 

2026/01/15


これは近くの食堂を通りかかったときに店内にかかっていた看板の文句だ


ぼくが最近住みはじめたのはプーケット島では珍しくないイスラム教徒の多い街


イスラム教徒はネコをとても大切にしていて、かつ、お酒は戒律で禁酒である





おかげで、ぼくの住むこの街はお酒を扱うバーやレストランが皆無なのである


つまり夜、アパートに近所から爆音ミュージックが流れてくることがない


ただモスクが近くにあって朝の5時から一日5回もコーランを詠唱する男性の声が拡声器を通して聞こえてくるのがちと小煩いと正直思っているところでもある 笑









2026/01/16

 

コンビニに居つくニャンコのこと

 

ここはイスラム地区なのでタイには珍しくセブン犬はいないw

 

参考記事

 

 

 

お客さんがたくさん出入りしているのにぜんぜん気にならないようでコンビニの入り口に体をビューンと伸ばしておやすみ中だったw

 

人をみてもぜんぜん物怖じしないさすがお嬢様w

 

久しぶりにアイスを食べにきて見つけたのだった

 

残念ながらスマホを持っていかなかったので先日の写真を貼っておきたい

 

だいたいいつもこんな感じだw

 

 

 

 

2026/01/16

 

ニュース原文

 

 

 

 

抜粋

 

フォーラムでタイホテル協会(THA)のティエンプラシット・チャイヤーパトラヌン会長は、登録ホテルは通常、安全基準や規制順守に関連する多額の費用を負担している一方、違法コンドミニアムや宿泊施設はオンラインプラットフォームを通じて販売され、同様の規制の対象となっていないと述べた。

 

同氏は、タイのホテルはグローバルなオンライン旅行代理店から課される20~30%という高い手数料率に苦しめられており、これは欧州のホテルに通常適用される15%を大幅に上回ると指摘した。

 

ティエンプラシット氏は「これらはタイ企業の競争力を損なう隠れたコストだ」と指摘した。

 

アッタ会長タナポール・チワラッタナポン氏は、観光業にとって最も重大な障害は法執行の弱さだと指摘した。

 

「どの政党もグレーゾーン事業や名義貸し事業を取り締まる政策を打ち出すが、執行力が弱いため実施が不十分だ」と彼は語った。

 

シティポーン氏によれば、タイ国内で名義貸しによる観光事業運営違反が発覚した事例はわずか11件であり、下院経済開発委員会に提出された地元事業者からの多数の苦情と比較すると極めて少ない。

 

また同氏は、総営業収入の20~30%が外国企業に流れているため、地元観光事業者はインバウンド観光客の恩恵を十分に享受できていないと指摘した。

 

この問題に対処するため、人民党は、名義貸しとして活動することが多いタイの法律・会計コンサルタントを対象に、こうした外国企業の登録を阻止する予防措置を準備しているとシティポーン氏は述べた。

 

監視プロセスは、事業者が違反者を特定するための苦情受付窓口の設置と並行して実施され、進捗状況を追跡し、より厳格な法執行を求める圧力をかけることが可能になるべきだと述べた。

 

名義貸し企業が有罪判決後も営業を継続する場合、政府は資産を没収する断固たる措置を講じ、彼らが資産を転用してさらなる拡大を図り、現地事業者を搾取する前に阻止しなければならないとシッティポーン氏は述べた。

 

「我々が行政を主導すれば、名義貸し企業への対応は最初の100日以内に実現する」と彼は述べた。

 

「対象はグレーゾーン企業だけでなく、こうした違法行為を助長する国家公務員も含まれ、彼らは処罰されねばならない」

 

ウェラポン氏は、民主党が「スーパー法」を提案し、時代遅れの法律を近代化することで民間セクターの障壁を減らしつつ、政府の支援役割を強化すると述べた。

 

 

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2026/01/11 

 

実はこの記事をはじめて3ヶ月半がたってしまった

 

でもこのシリーズに関係するので同じタイトルを使おう 笑

 

それで、

 

ここ1ヶ月で大きな進展があった

 

素足で雑木林を歩いてみたら、踏みつける木の実や小枝が足裏の組織や神経を刺激してマッサージ効果がある。

 

例えば、身体中の血行が良くなり、体がほわっと柔らく感じられるようになる。ちょっとお酒を飲んだときの感覚と似ているが、アルコールを分解しなくて良い分、体への負担が少なく、逆にもっと気持ち良い感じになるのだ。

 

この雑木林散歩を毎日の早朝散歩に組み入れることで健康増進効果が飛躍的にあがったように思う。

 

そして数日前、いつものように散歩をしていてふと思いついたことがある。

 

タイ僧侶が朝の托鉢のとき裸足で歩いていることである。アスファルトやセメントでできた道路のうえではあるが。

 

あれってぼくがやりはじめた雑木林散歩の原型ではないだろうか?

 

そう思った。

 

そして、真似することにした。

 

アパートから砂浜までの短い道路や小道を裸足で歩くことにしたのだ。

 

とりあえず凸凹の道を裸足で1キロ歩いたらものすごく効果覿面だった。雑木林のそれに全然劣らない。いやちょっとうえか。

 

それで数日後、距離を2キロに伸ばしたらもっと良かった。

 

灯台下暗し。目から鱗である。

 

靴やビーサンは健康な生き方をするうえでは邪な存在だったのだ。

 

人生まさかの新発見。笑

 

タイ僧侶たちは托鉢に平均2、3キロ歩いているが、あれは明らかに健康増進効果を狙ったものである、と今は思う。

 

多くの僧侶がいい表情をしている。

 

今月いっぱいこれを続けてさらに検証、評価してみたい。今から楽しみだ。

 

たかだか散歩という勿れ、だ。

 

(朝日が昇る砂浜への小道)

 

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