ここ数年の感想 | おネコの作業部屋

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  だいたいのことはすぐ飽きる

コロナが始まってから今日に至るまで、私目線で気づいたこととかのまとめです。

 

 

リアルタイムでは怒ったり悔しいなと思うことも多かったし、敬遠されたりもしたんですが、そろそろ書けそうだなと思ったので書くことにしました。

 

 

誰を責めるとか間違いだとか言うつもりはなくて、ただ単に私の視点からのシェアです。万事順調なので。

 

 

 

 

 

コロナについては、私は「専門家」には本当に怒ってる…というよりも、呆れてるところがあるんですよね。

 

 

コロナが流行り始めた当時、私はまだ予防医学関係の学会に入ってました。

 

予防医学と、栄養・サプリメント系の会の二つに入っていて、それぞれ医大や病院や薬局が主体的に関わっている会でした。(今は共に退会しています)

 

 

だけどどちらとも、コロナに対して全然主体的に動かなかったんですよね。

 

どっちも「予防」を謳ってるので、いざ対外的に啓蒙活動するのかと思いきや、「や〜総会がオンライン開催になってしまいましたね〜」みたいな一緒になって被害者ぶってる受動的なノリだったので、驚きと共にハシゴを外されたような気分になりました。

 

学会とは。

 

 

私はどちらとも一般枠で「勉強させてもらいます」での参加だったんで、業界のルールとか色々わからないんですけど、こういう時に専門知識を持った人が動かなくてどうするんだ、とは思いました。一般人なので。

 

 

 

 

それから、専門知識を持っているとされている人のあいまいな知識にも、何度も呆れました。

 

「副反応」っていう今までになかった造語を勝手に使い出すとか、ワクチンのそもそも接種基準に対しての理解とか。

 

割に初期設定とか定義には、みなさんガバガバな方なんでしょうか。

 

 

 

今ではすっかり設定が変わってしまってるんですけど、そもそもワクチンは基礎疾患があったり高齢だと「打てなかった」んですよ。

 

免疫が弱いから。

 

 

免疫が弱いと外からの異物に対して戦えないから、ワクチンでさえ接種できなかったんです。

ワクチンは特化した異物なので。

 

 

 

私は自己免疫疾患で20年弱くらい治療していたんですが、その間も(特に免疫抑制剤使用時は)ワクチンは打てませんでした。

 

免疫抑制剤とか使用すると、要するに「戦う兵士がいない」状態なので、そこに弱らせたとはいえ族の残党みたいなのを入れると、戦えないから危ないんです。

 

 

基礎疾患がある人とか高齢者っていうのは、そういう「戦う兵士がいない」状態のハイリスク郡なので、ワクチンは打てません。

 

なので、身近には発症していない状態の人しか寄らないでください、という感じだったんです。

(感染・発症とかも本当は細かい言葉の定義があるんですよ)

 

 

…今は、なぜか最優先で打ちましょう、になってますね。

 

 

私の担当医も、最初は「打てるわけないじゃん!」だったのが、時間の経過とともに「なんで打たないの?」になって行ったのには、ショックだったり驚いたりしました。おまゆう!?

 

 

 

 

それから、そもそものmRNAに対する理解とかもなんですけども。

 

 

今回のコロナのワクチンは「自分の中にある材料でmRNAの設計図をもとに、異物(コロナのスパイク)を生み出す」仕組みなんですが、これ、本当になんで免疫関係の医師が素直に受け入れたのかがすごく謎でした。

 

だって、自分自身すらも異物と捉えて攻撃するのが自己免疫疾患なんですよ。

 

そもそもそういうふうに設計されてない挙動をする細胞や、作られる過剰なインターフェロンなんかの化学物質やよく分からないタンパク質に対して、なんで免疫系が寛容でいられると信じられたんでしょうか。

 

 

 

…あと、認可が降りるのがめっちゃ早かったし。

 

 

緊急だから早かったんです、って事だったんですが、あのー、別に一般の承認待ちの薬ものんびり作ってるわけじゃないんですよね。

 

普通に服用後の経過を何年スパンで追う必要があるから時間がかかっているだけで、そこまでかけて検証するから、自動的に製品になるまで時間がかかっちゃうんです。

 

 

ある程度の雛形が先行研究であったとはいえ、ワクチンができるの爆速すぎん???

 

 

 

そんな専門家でない一般人な私が考えつくような「おかしいな」を、「専門家」の方々がコメントされないどころか、みんなで一つの大きい流れになって行っていたのが不気味でした。

 

 

そして一般人の疑問が、専門家じゃないくせに生意気いうな、って言われまくった事も。

 

これは「一般人」サイドから言われることが多かったので、専門家って本当に神聖視されているんだな、と思いました。

 

 

 

 

いずれにしても、色んなものが浮き彫りになった時間だったなと感じています。

 

これからもまだ、表面化してくると思いますけれども。

 

 

この社会が本当にお金をベースに作られているとか、大きな恐怖を目の前に突きつけられると何も考えられなくなるとか。

 

だけどその恐怖が自分にとってリアルかどうかは本当は自分で決められるとか、そもそも恐怖ってなんだっけ?とか。

 

誰が偉いとか賢いとか。

 

賢いとされている印は買えるとか、偉い人でも恐怖を抱くとか。

 

考えないでいい安心感とか、責任を放棄する楽さとか。

 

正義のもとに誰かを裁くのは気持ちいい、群れは素晴らしい。

 

群れは安全で安心、安心だと怖くない。とかね。

 

 

 

そして私はオネコチャンとなったわけですが笑、いやはや濃密で集中していた時間だったと思います。

 

おかげさまですごく一人ですが、できることが増えた事もあって、強くなりましたねー笑。

 

受難っぽい数年だったけれど、好きな形じゃなかっただけで、あれは紛れもなく祝福の時間だったなと感じています。

 

すごい世界だー!