昨日は「怒り」の話でしたが、
今日は「さみしさ」について。
年齢を重ねてくると、
さみしい、って、感じにくくなってくるのかもしれません。
それは意識的にも、無意識的にも。
「さみしい」にどんなイメージがありますか?
可哀そう?
惨め?
情けない?
恥ずかしい?
カッコ悪い?
それはきっと人それぞれあると思います。
だから、感じることを自分に禁止して、
私は大丈夫。
ということにしてしまう。
そうやって、心の奥に隠されたさみしさは、
普段、姿を見せることはないけれど、
ふとした時に顔を出したり(時に暴発したり)、
そこはかとなく漂ってきたりするものです。
でも、私たちが「さみしさ」にもっているイメージは、
世間のイメージだったり、
生きてきた過程でくっつけただけのものなんですよね。
「さみしさ」はただの「さみしさ」
さみしさ自体が苦しいんじゃない。
感じてはいけない、とするのが苦しい。
さみしい自分はダメだ、と思うから苦しいんですね。
さみしさを感じてもいい。
さみしい私も存在していい。
最初はそんな自分なんか、
受け入れたくない、認めたくないかもしれないけど、
思いっきり、
「さみしいんだーーーーーーーーー!」
「わたし、めっちゃさみしーーーーーー!」
って叫んだら、
ようやく味わってもらえたさみしさは、
昇華されていくのだと思います。
叫ぶのは、心の中でも声に出してでも、お好きに。笑
※ポイントは、自虐的にならないこと。
だれか何とかしてー!ではなく、ただ感情を味わうこと。
ものすごく人から与えて欲しいものは、
本当は、自分が自分に一番与えて欲しいもの。
さみしい自分に、どう接して欲しい?
それを、自分にしてあげよう。
ありのままの感情を禁止して、生きづらくしている思い込みを解放する♪
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