古い話には禍と福の縄が入れ替わりながら
より合わされていくのが人生だという。
だがその禍と福の量は同じ太さとは限らない
福が太い人、禍の太い人
不公平に理不尽にAmbulanceな禍福の縄。
吉凶禍福を運命と位置づけるなら
そのDESTINY、誰が何が振り分けてるんだ?
「禍福門なし 唯、人の招く所」とも言う。
悪いことをすれば災いを招き
善行は福を呼ぶのだと。
行いに気をつけろとの古人賢者からの教訓…
本当にそうなのか?
因果応報って必ずあるのか?
それって不公平なAmbulanceの答えにはならなくないか?
どんなに慎重にしっかり考えて行動しても
上手く行かずババを引いてしまうことがある。
自分ではどうしょうもないことはある。
逆に、後先考えもせず気持ちのままに行動しても、さほど困った事態にもならずに影響なく暮らす人もいる。
心に平安があるかは定かではないが。
これってなんだ?
っと、納得出来ない謎が深まって来たので
もう少しだけイメージ膨らましてみようか…
禍福の門?
人が入って行く門なのか?
禍福が入って来る門なのか?
「福は内〜鬼は外〜」を思い出した。
家の中に福を呼び込み、災いを追い払い今年一年の幸せを願う節分。
禍福は玄関チャイムも鳴らさずに無作法に門から入ってくるお客だな。
もしも止めようにも否応なしに、招きたい「福」ではなく歓迎出来ない「禍」が入り込んで来てしまったら…
立ち向かうしか手はない。
敵が侵入して来たのに手をこまねいてやられ放題にしていられるはずはないでしょ?
どう応戦するか?
「禍」に「不運」に負けず生き抜くためには
嘆いてる暇はない。
嘆きは心の中に波紋を広げて渦を作りだす。
起きているsituationを冷静に見ることが出来なくなる。
応戦どころか自ら「禍」を招き入れることになる。
なぜなら…
渦と、禍福の禍は同じ意味も持つ言葉だ。
災いや不運の渦ウズの中→渦中&禍中ということ。
起きている状況がいわゆる「渦中」なら
そうならないように備えていた気持ちを忘れずに、冷静に落ち着いて見極めること。
自分でどうにもならない状況なら尚更に。
いくら貧乏神が居座ってたって
家内安全に家族の笑顔を守ることは出来る。
心の中に福の神を招き入れることは出来る。
歯ぎしりする心細さを振り払ってでも
平穏な暮らしは叶うもんだ。
貧しくとも温かい暮らしを営むことは
考え方、受け止め方、受け流し方次第。
起きている状況を今すぐに改善出来なくても折り合いつけて勝機を待つことも必要だ。
気をつけるべきことは…
改善を望み過ぎる自分の気の済むようなといった願いは、「欲と焦り」という熱を帯びるということ。
焦りは更に禍を呼び込むファクターになる。
ってこれも古人賢者の教訓に似てるか…
『渦中有福』准南子
「禍」が太くて「福」が細くても
踏んばって行こうじゃないか!
なんとか今日をやり過ごせたら、自分褒めてあげようよ!
解決も改善も出来てなくても穏やかな時間があったならちゃんと気づいて味わおうよ!
ゆっくりゆっくり勝機を待とう。
禍福は無遠慮に入り込んでくるから…
これは不公平で理不尽でAmbulanceなこの世界を、笑顔で「らしく」生きていくための
私のささやかな教訓譚。