【進撃の連合艦隊】昭和12年 ドイツ航空艦隊 | まもちゃんのブログ

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2020年中国と開戦した日本は中国軍航空母艦による首都東京空襲により壊滅する。核兵器が使用され、東京は廃墟と化した。この戦いで、同盟国アメリカは参戦しかった。日本は見捨てられたのだ。遥達防衛省技術開発本部の面々は核爆弾の直撃時に昭和元年にタイムスリップしてしまった。皆、中国、アメリカへの復讐に燃えていた。皆、家族を東京空襲で亡くしたのだ無理も無い話だった。

防衛省技術開発本部がタイムスリップしたのは帝国海軍海軍施設内だった。遥達と帝国海軍軍人が接触すると、たちまち海軍上層部は大騒ぎになった。開発本部長「鳴海 晃」と海軍の連合艦隊司令長官、軍令部長とが会談を持ち、技術開発本部と海軍が協力する事となった。

技術開発本部は海軍内でJSDFと呼ばれる事となった。又、遥と隼人は海軍に配属された。

タイムスリップから11年、日本の産業界は急成長した。大規模な景気刺激策により好景気に湧き、旧史の製糸業に加えて化学繊維業界、重工業業界、造船業界、電気業界が急伸した。日本のGDPは旧史の3倍以上だ。世界では世界恐慌のまっただ中だったが、唯一日本だけがこの中から抜け出していた。それが米国やヨーロッパ等の国々を刺激する事になったのが皮肉だ。
日本は満州を軸に中国に経済帯を作り上げており、経済規模は今後も増える傾向だ。
アジア諸国を植民地とするヨーロッパにとっての懸念だったが、ドイツとの不仲により、日本への敵意は相対的に少なかった。

だが、友好的な経済圏であった為、米国民の反発は少なかったが、米政府は日本へ対して危機感を強めていた。

日本の造船業界は活況に満ちていた。経済成長の増加に伴い、商船、タンカー、客船等多数建造されていた。そして、軍艦も又、多く建造されていた。そして、日本で初めて海外からの軍艦の受注に成功する。それはドイツ海軍からによるものだった。

遥がかつてドイツを訪問した時、彼女は一冊の本をアドロフヒトラーに渡していた。それは「アンネの日記」だった。だが、彼に渡っていたのは彼女の本だけでは無かった。JSDFはアドロフヒトラーへのメッセージを渡していた。それは対ソ連戦の他、対英戦に関してだった。

ソ連戦に関しては、ドイツ軍はイタリア軍が劣勢を強いられたギリシャ作戦に中央軍を投入、大勝利するが、結果的にモスクワ攻略への時間を逸し、冬を迎え、ソ連軍はモスクワ防衛に成功する、この間ソ連は軍需産業関係の工場等を後方の都市へ移し、継戦能力を維持し、遂には反攻作戦に転じる事に成功する。モスクワを早期攻略、ドイツ軍お得意の電撃作戦が成功していたら、第二次大戦においてドイツ、ソ連戦はドイツが勝利していただろう。

一方英国だが、ヒトラーは対英戦を考慮していなかった。彼はイギリスが参戦してくる事を予期していなかった。その為、英国攻略、バトルオブブリテンにおいて全く、準備が無く、あるもので対処するしか無かった。ドイツ海軍には英国海軍に対抗できるだけの戦力は無く、空軍による空襲によって殲滅作戦を実施した。しかし、旧史ではバトルオブブリテンは英国の勝利であり、その後戦いも潜水艦による通商破壊活動が主となった。戦艦であるビスマルク、テルピッツさえ通商破壊に使用された。

JSDFの文献はヒトラーの目に触れたが、残念な事に「アンネの日記」は読まれ無かった。

ヒトラーは海軍の軍人にあまり好意的では無かったが、対英戦の事は多いに熟考した。確かに日本人の言う通り、英国が参戦してくる可能性は全く無いとは言え無かった。しかも、一方で、英国海軍に対抗する戦艦軍を建造する予算も時間も無かった。たとえ、建造できてもジェットランド沖海戦の二の舞いになる恐れもあった。そこで目をつけたのが空母だった。日本は交流の一環として、空母「赤城」の設計図の他、航空魚雷の設計図もドイツ軍に開示していた。元戦艦の「赤城」の設計図はあまり役に立つものでは無かったが、ドイツ海軍は2隻の空母建造を開始する。「グラーフ・ツェッペリン」級だ。ドイツ軍は航空機の運用には多い興味があった。勿論、空軍を前提だったが、対英戦を考えた時、日本人の提供した航空魚雷が英国海軍に対抗できる唯一の方法ではないかと思い至った。ドイツ空軍、ドイツ海軍も航空魚雷をもって、英国海軍に対抗する事を模索する。ドイツ空、海軍において航空魚雷の研究がなされ、中型機、大型機による雷撃は損耗率が高く、小型機による攻撃が相応しいとの結論が出た。この為、当時日本軍が打真していたBW601水冷発動機ライセンス生産の見返りとして日本海軍97式攻撃機をライセンス生産する事を決め、アラド社で生産、更に後裔機をアラド社にて開発させた。この小型攻撃機運用において問題となったのが、空母不足だ。戦艦を多数建造するより、空母を建造する方が安価に済む、しかし、当時のドイツの建造能力では空母を多数建造する事は不可能だった。そこで浮上したのが、空母の輸入だった。

ドイツは航空母艦6隻を日本から購入する事を検討、日本へ依頼する。工業製品をドイツから多数輸入していた日本にとって、また、日本造船業界にとって、これは極めて光栄な事だった。これを快諾し、中型空母6隻の建造を開始する。同時に給油艦4隻の発注を受ける。

当時の為替レートから考えると、この空母購入はドイツにとって極めて安価なものとなった。6隻もの大量発注が可能だったのは、この為だった。

この空母6隻の発注に対して、日本は石川播磨と日本スチールが受注する事となった。建造に際しては日本海軍将校がアドバイザーとなる事となった。この2社のドックは大型で、6隻の空母を同時に建造するには他に無かったのだ。この2社にとって初めての空母建造となるが、後に雲龍級建造を予定されており、設備的な問題は無かった。

空母は蒼龍級をベースに短期間で建造できる様設計変更された。又、居住性を向上させた。日本人より大柄なドイツ人を考えての事だった。

昭和10年(1935年)に発注され、この6隻は昭和12年に完成した。秘密裏に建造されたこの空母群は給油艦4隻を伴い、その年にドイツに引き渡された。


海軍少佐本田隼人は愛妻「遥」と名残おしく暫しの別れを残念に思い、一方で、今回の任務に発奮していた。今回、隼人は少将となり、初めて海軍空母「扶桑」の艦長として航海訓練を行う命を受けていた。

早朝、横須賀の桟橋から沖合の空母に向かう。

「うん?」

隼人は驚いた。霧の中、彼の前に現れた空母は扶桑級改装空母では無く、明らかに蒼龍級空母だった。だが、蒼龍乗艦の命は受けておらず、又、目の前の艦は明らかに未完成空母だった。航空艤装やレーダー等は装備されているが、対空砲火等の火器は搭載されていなかった。それに、空母は6隻あった。蒼龍級は2隻だけだった筈だ。

「先任、あの空母は扶桑には見えないのだが?」

「私も詳しくは聞いていませんが、小沢少将から伝言を預かっています。」

「何だ?」

「艦上で待つ。です。」

「?、つまり、あの艦に小沢少将がお待ちになっておられるのか?」

「恐らく。」

隼人達は謎の空母に乗艦し、そこで、小沢少将に会う。

「騙してすまない。しかし、これは秘密作戦だ。許されよ。」

「秘密作戦?」

隼人と先任参謀「香川」は顔を見合わす。

「作戦はこの空母群をドイツに引き渡す事だ。」

「ドイツへ?しかし、ドイツに今、植民地はありません。途中の補給はどうするのですか?」

「沖縄とパラオで補給して後は喜望峰でドイツ海軍補給部隊と接触して補給だ。」

「パラオから喜望峰まで?無理だ。幾ら何でも距離がありすぎる。」

「いや、大型補給艦4隻とI級空母の低燃費なら、迷子にならなければ大丈夫だ。」

「いや、迷子とわ。」

「本田中将。航空兵は長駆500kmを飛び、小さな空母に戻る。喜望峰もドイツも大きな目標だ。君なら出来るさ。この艦の乗員は皆、熟練者ばかりを選んでいる。心配無い。」

「わかりました。元より、御命令なら従うのが軍人です。必ずこの空母をドイツに届けます。」

「頼む。」

「それと、君は聞き落していた様だが、今日から中将だ。艦隊を少将だけに任せる訳にはいかないからな。そう、そして香川大佐、君は本日より本田少将と同様昇進だ。少将だ。本田をよろしく頼む。」

「私が少将。」

彼の目には涙が溢れていた。彼の海軍学校での成績はあまり良いものでは無かった。しかし、彼の機転は素晴らしく、全ての彼の上官が彼を高く評価していた。この新史では結果が最も重視される、海軍学校の成績では無い。彼は将来をあまり期待していなかった。上層部はまるで成績優秀者の同窓会の様な場所である。彼がその仲間になる事は考えにくかった。だが、彼は遂に少将となった。この10年間で突然の変化だった。それまで彼は不遇だったが、この10年間でたちまち少将だ。彼はすでに52歳になる。遅い昇進だが、彼にとっては諦めていた場所だった。

「必ずご期待に添います。」

「ああ、期待している。」

彼はその後隼人の良きパートナーとなる。52歳の彼は旧式戦艦改装の空母扶桑の艦長としてはとても良くあっている様に自身が思えた。

「沖縄沖とパラオ沖で3ヶ月の完熟訓練の後、喜望峰へ出発だ。宜しく頼む。」

本田はI型空母群6隻を率いて1937年4月横須賀を旅だった。

「遥、蒼太必ず帰ってくる。」

隼人は残した妻と息子への思いを持ち、旅だった。