進撃の連合艦隊【昭和14年ノモンハン事件】 | まもちゃんのブログ

まもちゃんのブログ

このプログは架空戦記小説(If 小説)の掲載を主目的とし、その他、金融やお金の節約術などを紹介するものです。

2020年中国と開戦した日本は中国軍航空母艦による首都東京空襲により壊滅する。核兵器が使用され、東京は廃墟と化した。この戦いで、同盟国アメリカは参戦しかった。日本は見捨てられたのだ。遥達防衛省技術開発本部の面々は核爆弾の直撃時に昭和元年にタイムスリップしてしまった。皆、中国、アメリカへの復讐に燃えていた。皆、家族を東京空襲で亡くしたのだ無理も無い話だった。

防衛省技術開発本部がタイムスリップしたのは帝国海軍海軍施設内だった。遥達と帝国海軍軍人が接触すると、たちまち海軍上層部は大騒ぎになった。開発本部長「鳴海 晃」と海軍の連合艦隊司令長官、軍令部長とが会談を持ち、技術開発本部と海軍が協力する事となった。

技術開発本部は海軍内でJSDFと呼ばれる事となった。又、遥と隼人は海軍に配属された。

タイムスリップから13年、日本の産業界は急成長した。大規模な景気刺激策により好景気に湧き、旧史の製糸業に加えて化学繊維業界、重工業業界、造船業界、電気業界が急伸した。日本のGDPは旧史の3倍以上だ。世界では世界恐慌のまっただ中だったが、唯一日本だけがこの中から抜け出していた。それが米国やヨーロッパ等の国々を刺激する事になったのが皮肉だ。
日本は満州を軸に中国に経済帯を作り上げており、経済規模は今後も増える傾向だ。
アジア諸国を植民地とするヨーロッパにとっての懸念だったが、ドイツとの不仲により、日本への敵意は相対的に少なかった。

友好的な経済圏であった為、米国民の反発は少なかったが、米政府は日本へ対して危機感を強めていた。

そんな中、ノモンハン事件が起こる。旧史では日本軍とソ連軍が満州国とモンゴルとの国境を巡って争った戦いだ。しかし、新史では2個師団程度が駐留する程度で日本軍は満州国に派兵していない。激突したのは満州国軍とソ連軍との間にだ。この戦いには、そう、雅が日本軍の軍事顧問として参戦する。いよいよ開戦への道が始まる。

満州国は旧史では日本の傀儡政権であり、清の末王溥儀を皇帝とするが、新史では奉天政府 張学良が大統領として君臨していた。張学良は日本に習い、民主化を目指し、人民の教育、女性の権利の向上に尽力した。結果、初の満州国選挙にて、初代大統領となった。彼の父親張作霖は日本人に爆殺されており、当初、彼は日本人を憎むが、日本政府の真摯な対応、雅等の日本人の考え方に共感し、軍閥首領から政治家へ転向する。その結果、彼は民主化された満州国において最初の大統領となった。

一方、蒋介石の南京政府はソ連の支援する毛沢東八路軍と対峙していた。蒋介石にはアメリカが、毛沢東にはソ連がバックについており、どちらも迂闊には手が出せない状況が続いた。この均衡が壊れたのは、アメリカとソ連に密約があった為だった。蒋介石も毛沢東もソ連が満州に侵攻しても介入しない約束となっていた。

旧史では日中戦争により、国際的に厳しい立場となり、国連脱退に至り、蒋介石と毛沢東による国共合作が行われ、日本軍率いる満州国軍は両面作戦を強いられた。さらに、アメリカよりハルノートをつきつけられ、開戦を決意。南方の石油を求め、広大な中国内だけで無く、太平洋にまで戦線を拡大する愚策をおこなった。

この戦いでは97式中戦車、97式戦闘機、97式重爆が活躍する。いずれも、満州国でライセンス生産されており、性能は日本軍と同じものだった。しかし、練度は日本軍程高く無く、劣勢を強いられた。

モンゴル軍とソ連は同盟国で、満州国軍は係争地でソ連軍の侵攻を撃退する。
しかし、1935年(昭和14年)5月モンゴル軍はハルハ川を越えた。この時ハルハ川上空では激しい空中戦が頻発する。ソ連軍、モンゴル軍は当時強力な砲を持つBA-6装甲車16輌を始め、装甲車39輌総兵力1350名の規模だった。火砲と装甲車の数に劣るソ連軍、モンゴル軍に対して日本軍は包囲殲滅作戦を決行する。主力部隊は機械化第64連隊(97式中戦車16輌、95式軽戦車16輌装備)が中央突破し、両翼を歩兵部隊が包囲するものだ。更に満州軍は航空機による後方拠点への空襲を行い、阻止攻撃を成功させていた。この為、ソ連軍主力は後続の補給路を遮断され、長期戦闘不能な状態へと追い込まれていた。

雅達日本顧問団ソ連軍が刻々増強されつつあることを知っていたが、予定通りの進撃が予定されていた。

「満州国空軍の消耗は激しかったそうね。」

「ええ、かなりの戦死者が出たそうです。しかし、おそらく敵さんはこちらの倍は撃墜されています。」

「それだけ大勢亡くなった事よ。」

やりにくいな。雅麾下の参謀内田は本気でそう思った。彼の上官は女性だ。しかもかなり若い。正直昭和生まれの内田にとって非常に抵抗があった。だが、自身をここまで引っ張ってくれたのは上官である雅だった。彼にとって雅はかけがえの無い上官であり、恩人だった。それに彼女の英知はすばらいものだ。確かに教科書に載っている事ではあるが、その時、その時の状況に応じて適切に分析し、適切な判断を下す。上官としての彼女に内田は何の不安も感じてはいなかった。だが、何か違う感情を彼は持っていた。

彼は自分でも気づいていなかった。それは彼女への愛情であり、男として恋愛対象への劣等感だった。彼は男として彼女の前で立派な男でありたいのだ。だが、雅の見識に触れると優秀なはずの自身に自信が持てなくなるのだ。

まあ、女性には女性の論理があるのだろう。彼は最近そう思ってきた。雅と共に行動を共にするとそう感じざるを得なかった。

「敵の3倍の兵力を用意できなかったけど、満州国軍は阻止攻撃任務に成功したわ。後続軍の進撃は大幅に遅れる。当面約2000人の兵力を叩けばいい。こちらは制空権を奪ったわ。後は、96式襲撃機でモンゴル、ソ連軍の装甲車や火砲を撃破するだけでいい。敵軍は騎兵と歩兵だけよ。97式重爆で支援の元、進撃できる。すでに勝敗は決したわ。明日は晴れそうだから。」

そう、航空機運用の欠点。天候だ。今日も晴れだが、明日も晴れそうだ。

「たぬきのおっさんが明日は晴れだ。そう言っていたから大丈夫よ。」

「たぬきのとっつあんですか。あの酔いどれの言うことを信じているのですか?」

「あら、年長のものの知恵を馬鹿にしては駄目よ。彼はこの地に10年も住んでいるのよ。」

私も年長なのですが。そう言おうとしたが。思わず出たのは

「はあ。」

ため息だった。また、彼女の見識に驚いた。確かに彼女の言う通りだ。

説明を聞けば、全く心配しないで戦える。だが、もし、彼女がいなければ、今頃、恐怖に耐えながら戦闘を指揮していただろう。それが彼にとってやはりため息がでるところでもある。


第一次ノモンハン事件はこうして満州国軍の勝利に終わるが、その後、増援に日本帝国陸軍2個師団が加わった事から、ソ連は日本軍によるソ連侵攻を危惧した。その為、ソ連軍は大軍を編成し、満州国侵攻を計画する。指揮官に白ロシア軍管区副司令官のゲオルギー・ジューコフ中将が第57軍団司令官に任命された。

6月17日ソ連軍爆撃機による爆撃よりノモンハン事件の第二幕が上がる。

この爆撃は効果十分で、日本軍も満州国軍も大きな損害を受ける。満州国軍、日本帝国空軍の主力戦闘機97式戦闘機は十分な数が揃わず、制空戦闘はソ連軍に軍配が上がる。

満州国軍及び日本帝国陸軍は地上戦力のみの敵迎撃を余儀なくされる。全ては敵航空兵力が史実の2倍近かった為だ。日本軍、満州国軍の戦闘機の数は旧史とほぼ変わらなかった。

ソ連軍の地上兵力主隊は戦車を中心とする装甲車両が中心となっており、旧史ではソ連軍機甲師団の前に歩兵部隊を中心とする日本陸軍は惨敗する。

しかし、新史では、満州国軍も日本帝国陸軍も多数の戦車を有しており、戦車や軽戦車等の装甲車両も歩兵の数でもほぼ、互角の数量を有していた。

「この戦いはとんでもなく不利だわね。」

「ええ、空軍の支援無しで、戦わざるを得ません。」

「夜襲を考えるしかないわね。」

「夜襲?」

「ええ、航空機の飛べない夜間に戦闘するしかないわ。それにしても不利ね。完全勝利は無理。辛勝、私にできる事はできるだけ戦死者を減らす努力をするしか無いわ。」

負けるつもりはないんだ。内田は心から驚いた。制空権の無い戦いがどういうものか、他でも無い雅から教えられていた事だ。もちろん、ここで撤退できない事は承知している。今率いている軍勢は駐留している日本軍と満州国軍のほぼ全軍だ。日本本土からの援軍が到着するのは1ヶ月以上先だ。

「内田。ここはどう戦うべきと思う?」

「残った航空兵力をかき集めて後方を総攻撃。戦車師団を後方に送り包囲殲滅戦をしかけては如何ですか?背後を占拠できれば、一気に戦局を有利に立て直せます。」

「うーん。旧史通りね。」

「えっ?」

「いや、何でも無い。いや、ここは籠城戦よ。」

「籠城戦?何処に籠城するのですか?戦国時代じゃあるまいし、城はありませんよ。」

「いや、あるじゃ無いの。敵が進軍するにはハルハ川を越える必要があるわ。これは天然の城よ。」

「それに、敵の背後を取り、背後を遮断。それは大軍を有する場合の戦術よ。戦力は互角、航空兵力は劣勢。その戦術は博打よ。私には博打に命を賭ける趣味は無いわ。」

「あっ。そうか。」

「そう、1ヶ月後には日本陸軍5個師団が満州国に来るわ。満州国政府の要請ですでに国会の決議も出ている。集団敵自衛権の発動よ。」

「雅さんは随分その集団的自衛権なんて難しい言葉を多用されますね。そういえば海軍の遥さんも使ってた。」

「内田、なんで私に黙って遥と会ってるの?」

「へっ。いや、雅さんに会う前からですよ。鹿鳴館で何度か。」

そうだ。内田は顔がいいからな。遥さんもやはりイケメン好きか、全く、隼人さんというイケメン旦那がいるのにずるいな。

「????」

「いや、とにかく、ハルハ河手前で陣をひき、迎撃作戦に徹するわよ。」

第二次ノモンハン事件では、ハルハ河を越えるソ連軍を空軍により攻撃、更にハルハ川西岸にソ連軍が攻撃してくる事を予想し、第23師団が防衛した。満州国軍、日本軍合わせて2万。ソ連軍2万5000人だった。


この戦いで戦車の能力が勝敗を決した。日本軍も満州国軍も最新式の97式戦車を多数保有しており、ソ連軍戦車を圧倒した。又、渡河作戦が成功したばかりのソ連軍に対して、日本軍は97式戦車と95式戦車を中心に夜襲をかけた。この戦術は世界初の試みだが、制空権を持ち、油断していたところを夜間に襲われ、ソ連軍主力は大損害を受ける。

「うまくいったわね。明日は温存した航空兵力を使った、ハルハ河の橋を落とすわよ。そして、敵主力へ総攻撃。彼らにはそれ程多くの兵力は無いわ。戦車はほとんど撃破されているから、我が軍の戦車を全面に出して戦えば、とりあえず勝利できるわ。」

やはりこの人は天才だ。内田は心の中で感嘆の声を上げた。これだけ劣勢で、ここまで挽回できるなんて。これで、敵はハルハ河を越えるのを躊躇う。3週間後には日本軍援軍が到着する。既に勝敗は決した。

7月4日日本軍、満州国軍の両軍は総攻撃を開始。空軍はハルハ河の橋を集中攻撃。ソ連空軍の戦闘機はハルハ河上空に釘付けにされた。爆撃機は援護無く、ハルハ河を越え、ハルハ河の行き帰りで日本、満州国空軍の戦闘機の餌食となった。

日本、満州軍主力は戦車や火砲の援護の元、突撃を敢行。ソ連軍はわずかに残った戦車で反撃に出るが焼け石に水だった。たちまち撃破され、残った、歩兵や騎兵は日本、満州国軍に劣勢を強いられた。

だが、歩兵の数では勝るソ連軍を壊滅させるにはかなりの時間を要した。又、日本、満州国軍の犠牲者も多数に登った。

この戦いで、戦車が陸軍の主力兵装である事が確認された。又、日本軍戦車が極めて優秀である事が世界中に広まった。ヨーロッパではソ連軍戦車に対抗できる戦車を日本が持っているとは考えておらず。極東の島国の日本が強力な戦車を持っている事にショックを受けた。

一連のノモンハン事件により、日本軍は満州国に駐留する事になり、英米の危機感を煽った。策略が最悪の事態を招き、中国本土への日本軍の駐留を認めざるを得ない状況を作ってしまった。満州国軍は兵力を激減され、日本軍の駐留を公式に依頼した。既に、蒋介石と毛沢東の計略である事は察しがついており、選択の余地は無かった。それに、この勝利に日本軍への信頼は増した。日本軍なら、英米軍に勝てるのでは、という期待があった。イギリスに国土を蹂躙されていた中国を満州国により、再統一すべき、張学良は本気でそう考え始めていた。そして民主的な中国を。彼の夢は夢物語ではなかった。

戦いに勝利したものの、日本軍の損害は甚大なものだった。全ては旧史に捉われ、敵戦力を見誤った点が大きかった。雅が早期に援軍要請を出していなければ、満州はソ連のものとなっていたかもしれない。又、制空権が如何に重要か改めて知らしめられた。その後、日本空軍の戦闘機は大型化が進んだ。防弾、速力、火力、航続距離の全てを満たすのは大型機のみだった。空軍は太平洋戦争の主力を二式鍾馗とする事となった。旧史ではあまり出番が無い機体だったが、制空戦闘機としてこれ程適した機体はなかった。

戦車の重用性も改めて認識した。97式戦車でソ連戦車に辛勝だった。今後出てくるソ連軍戦車に対抗できるはずが無かった。日本の敵はアメリカだけでは無かった。ドイツがソ連に敗北すればソ連も又、満州及び日本に侵攻する可能性が高かった。中国全土でソ連機甲師団と激突。そのシナリオの可能性は捨てられ無いものだった。

太平洋戦争前の前哨戦としてノモンハン事件に勝利した日本軍。しかし、既に歴史は変わっている。果たして、旧史通り、ハワイ作戦やインド洋作戦が上手くいくか、全くわからない。