【進撃の連合艦隊】昭和10年 97式中戦車開発史 | まもちゃんのブログ

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2020年中国と開戦した日本は中国軍航空母艦による首都東京空襲により壊滅する。核兵器が使用され、東京は廃墟と化した。この戦いで、同盟国アメリカは参戦しなかった。日本は見捨てられたのだ。遥達防衛省技術開発本部の面々は核爆弾の直撃時に昭和元年にタイムスリップした。皆、中国、アメリカへの復讐に燃えていた。皆、家族を東京空襲で亡くしたのだ無理も無い話だった。

防衛省技術開発本部がタイムスリップしたのは帝国海軍海軍施設内だった。遥達と帝国海軍軍人が接触すると、たちまち海軍上層部は大騒ぎになった。開発本部長「鳴海 晃」と海軍の連合艦隊司令長官、軍令部長とが会談を持ち、技術開発本部と海軍が協力する事となった。

技術開発本部は海軍内でJSDFと呼ばれる事となった。遥と隼人は海軍に配属された。

タイムスリップから9年、日本には変化が出始めていた。大規模な景気刺激策により好景気に湧いた。旧史の製糸業に加えて化学繊維業界が業績を延ばしている。日本のGDPは年10%位の成長ぶりだった。既に日本のGDPは旧史より遥かに増えていた。本計画が可能なのはひとえにGDPの増大の賜物だった。加えて、日中戦争は行われておらず、日本軍の財政は今だ健全だった。

平成の中学生 雅は中国海軍航空母艦の東京空襲の際、昭和元年へタイムスリップする。彼女は自身の曾祖父に出会い、保護された。又、曾祖父の友人は後の陸軍大将 梅津美治郎だった。

梅津美治郎は陸軍でも穏健派だった。旧史でも、中国等でやりたい放題の関東軍等を抑える役割が多かった。陸軍大将となっても、いつも後始末をさせられる役割だった。彼はそもそもそれ程好戦的な軍人では無かったのである。そのため、雅の曾祖父を通じて雅の話しを聞くと、中国大陸で戦う事に大きな恐怖を感じた。困難な補給や消耗戦がどの様な結果をもたらしたかを雅から聞くと、聡明な梅津は大陸での開戦を回避する様尽力した。陸軍内の自身の勢力を使い、張作霖爆殺事件を気に、当時の関東軍の重鎮を失脚させた。又、それ以前にも海軍と協力し、統帥権を内閣総理大臣に帰属させ、軍部の独走を予め予防した。

梅津は雅を参謀として陸軍に招聘した。雅は女性だが、陸軍士官となり、梅津少将の旗下の参謀として仕官した。

雅は陸軍お宅だったので、戦車や陸戦の知識は豊富だったが、海軍や空軍には疎かった。しかし、現代戦で航空機による支援や制空権の無い戦場がどの様なものかは理解していた。その為、梅津と話し会い、陸軍航空隊を独立させ空軍を設立する活動を始めた。これは将来の戦いが中国だけで無く、アメリカとも戦う事になる事を考え、空軍が自由に動ける様にする為だ。

雅は又、海軍にも平成人がいるのでは無いかと考えた。最近の海軍では不思議な事が多く起きていた。例えば海軍航空隊に女性パイロットを募集したり、建艦計画に海軍からJSDFと呼ばれる謎のアドバイザーがいる事は雅の耳にも入っていた。彼女はJSDFは平成人組織では無いかと考えた。そして、平成塾で遂に平成人 遥と隼人と出会う。

3人は意気投合して、お互い、陸軍と海軍のパイプ役となる事を誓い合った。

そんな中、開発されるのが97式中戦車である。戦車の開発では陸軍が海軍に正式に技術要請を行った。陸軍には装甲や対装甲砲弾の技術が無かったのだ。そのため、JSDFは大手を振って、陸軍の中戦車開発に参加出来た。

JSDFは97式戦車に大幅な仕様変更が必要と考えていた。実際この戦車ではアメリカ軍やソ連軍の戦車とはまともに戦えない。戦車砲は敵戦車の装甲を打ち抜けず、装甲は簡単に打ち破られる。正に走る棺桶だ。

だが、開発に困難をきたす事は予期出来たが、朗報もあった。それはJSDFの参加と日本国内の自動車産業の発展だ。旧史の日本の道路に自動車等走っていなかったが、新史では多くの自転車やバイクに混じって、わずかだが国産自動車が走っていた。工業の近代化と日本国民の所得が増えた為、日本はモータリゼーションの黎明期を迎えていた。日本には自動車を製造する基礎技術力が芽生えていたのだ。又、雅のアドバイスに従って、陸軍ではかなりの数のトラックを調達していた。陸軍の自動車化が進んでいたのだ。かなりの数のトラックの製造が行われ、それが民間の技術発展に役立った。

97式中戦車には陸上自衛隊の技術者が多数派遣されていた。皆、97式戦車にかける思いは強い、何故なら、旧史の97式戦車の性能は惨めなもので、日本陸軍がアメリカ、中国、ソ連と交戦した場合、かなりの被害が予想できた。

雅もJSDFも敵戦車駆逐には航空機による攻撃が最善と考えていたが、空軍が諸事情で肝心な時に支援してくれない事は良く判っていた。そのため、航空支援の無い戦場での最善の対戦車兵器が戦車である事を理解していた。旧史の97式戦車は対戦車戦を考慮していなかった。

JSDFは陸軍省と会談を持ち、中戦車の運用思想自体を変更した。そもそも15t級の旧史97式中戦車は中途半端なのだ。ドイツ軍のIII号戦車とIV号戦車の明暗を分けたのは、その戦車砲の口径と装甲だった。75mm砲を装備出来るIV号戦車は第二次大戦の後半迄使用可能だったのに対して、III号戦車は75mm砲と75mm砲以上の砲に耐える装甲が装備出来なかったため、第二次大戦初番でソ連軍、イギリス軍、アメリカ軍の戦車に対抗不能となった。III号戦車とIV号戦車ではそれ程重量に差が無いのだ。III号戦車は22t級、IV号戦車は25t級なのだ。

97式戦車はIV号戦車を参考に25t級戦車として開発される事になる。25t級戦車の開発にはかなりの抵抗を受けるが、中国大陸では奉天政府の満州地方で現地生産を行う事、太平洋方面では、97式戦車を輸送可能な十分な輸送船団の建造が海軍から約束されていた。その為、旧史とは全く異なる仕様の97式戦車は開発に承認が降りた。

しかし、JSDFも陸軍技術本部も決まったものの目の前には大問題だらけだった。先ず、機関である。旧史では空冷ディーゼルが使用されるが、重量の割に大出力が得られない。かといって、高出力の水冷ディーゼル機関の開発は難しいのだ。

JSDFは機関開発から取り組み、遂に300馬力の水冷ディーゼルエンジンの開発に成功する。この陰には、JSDFの民間の技術能力向上が多いに役立った。何しろ、工作機械の加工精度は旧史の10倍以上、レアメタルの取り扱いに長け、何とか、IV号戦車と同様の300馬力台のエンジンを作り上げた。しかも、ガソリンエンジンでは無く、ディーゼルエンジンだ。ディーゼルエンジンの燃料は軽油で、ガソリンでは無かった。ディーゼルの方がガソリンエンジンに比べて大出力が得やすく、結果的にコンパクトなエンジンが出来上がった。この事は事実上ドイツよりエンジンに関してだけは有利な点だ。

小型ディーゼルエンジンの開発に成功したJSDFと三菱は早速戦車自体の開発に入った。

JSDFからの提案は以下のものだった。

重量25t
車体前面装甲60mm
砲塔前面装甲80mm
車体、砲塔側面装甲30mm
エンジン 三菱製 水冷ディーゼル300馬力
主砲 80mm戦車砲(海軍40口径三年式高角砲改造、実際の口径は76.7mm)
副武装7.7mm機銃x1
速度38km/hrs

ほぼドイツ軍IV号戦車に準じるスペックの戦車だが、主砲に関してはIV号戦車を上回る。この戦車砲は海軍の40口径三年式8cm高角砲を改造したものだ。海軍には長砲身砲の技術があった。この技術を使わない手は無い、陸軍はこの時代最高の主砲を得る事になる。ドイツIV号戦車の主砲は最初75mm24口径だった。40口径の長砲身は初速670m/secとIV号戦車の24口径385m/secと段違いの性能だった。この当時の戦車砲は長砲身のものは無かった。理由は目標を戦車としていなかった為、榴弾砲だったのだ。そのため、敵戦車装甲を打ち抜く初速を重視していなかった。旧史の97式戦車の97式57mm戦車砲も榴弾砲だった。その為、口径は18.4口径で、この砲はアメリカ軍のM3軽戦車にも手を焼くしろものだった。

強力なエンジンと主砲、装甲を得た97式戦車はM4シャーマン戦車にも優位に立てる戦車として誕生する事になる。又、装甲は当然傾斜装甲が採用され。砲塔部も小さくし、IV号戦車よりも装甲厚以上の装甲を得る。おそらく、IV号戦車をもってしても同じ25t級戦車の97式中戦車には勝てないと思われた。

「遥さん。ありがとうございます。」

「私が97式作った訳じゃ無いわよ。」

「でも、JSDFの方が参加してくれたのは遥さんと隼人さんのおかげですよ。」

「同じ平成人同士じゃ無い。いいのよ。そんな事。」

「それより、中国はどうなの?」

「奉天政府軍の練度はかなり高いです。装備も近代的です。蒋介石や毛沢東の軍閥より練度と装備では勝っていると思います。しかし、蒋介石と毛沢東は同盟を結ぶ事になると思います。国共合作です。蒋介石の後ろには米国がいるし、毛沢東にはソ連がいます。最近の満州の繁栄ぶりに両者は快く無い様です。」

「そうなの?やはり、中国でも戦争がおきてしまうのね。」

「いえ、そうとも言えません。旧史と違い、満州にはほとんど日本軍はいません。満州鉄道と邦人護衛の為、少し、派兵を奉天政府から認めてもらっているけど、盧溝橋付近には全くいません。」

「盧溝橋って、日中戦争が始まった、盧溝橋事件の?」

「そうです。梅津少将もわざわざ、あんな危ない場所に兵力を展開しません。警備をしているのは満州奉天軍だけです。」

「でも、そうすると、盧溝橋事件はおきないの?」

「それは判りません。中国国民党は北伐を終了して。統一を宣言しましたけど、ほとんどの軍閥が今だ健在です。満州奉天軍も毛沢東の共産党軍も皆軍閥です。奉天軍と国民党軍の小競り合いは既にあります。ただ、日中戦争は始まらないのです。」

「そうなの、安心したわ。」

「最も、私は義勇軍を率いて戦う事になりますけど。」

「えっ?折角、戦争はおきないのに。何故?」

「奉天軍は数では国民軍には及びません。それにアメリカに後押しされて国民軍も力をどんどんつけています。奉天軍の人達、結構いい人多いんですよ。見捨ててはおけません。彼らの軍隊を近代化しないと奉天軍はまけてしまいます。昨年中国へ派遣された時、奉天の張作良さんと会談したのですが、彼は鼻息が荒いです。彼は中国の真の統一を夢見ています。彼の父親の様に。」

「父親は日本人に殺されてしまったのに、今度は日本人と手を組んで中国人同士で戦争なんて。」

「私もそう思います。しかし、今の彼には自国の統一しか見えていません。彼は日本の様に中国を近代国家にすると言っていました。女性将校の私と会ってくれたのも、近代国家の事を学びたいからだそうです。今、ヨーロッパやアメリカでも、女性の社会進出は日本に遅れていると言われています。ヨーロッパでは日本を近代国家といて認める風潮がありますから。」

「そうね、思えば平成の日本、中国も近代国家としては未熟だったのかもしれない。中国はあまりにも無謀だったし、日本も大人げなかった。国民は右翼化して、誰もそれに異を唱えなかった。旧史の昭和の日本と同じだったのね。私、最近思ったのよ。日本人の常識と欧米人の常識には大きく異なるものがあるって。日本人の常識はその時、その場所を共有する人達の共通の概念が常識だわ。でも欧米人は違うの。彼らの常識、そう、COMMON SENSEは常識とは違ったわ。COMMON SENSEは論理的で普遍的なものという概念よ。つまり、彼らの常識は永遠に変らないものなのよ。日本人にはそれが無かった。だから、平成に再び戦争が起きたのよ。あんなに多くの人が犠牲になり、二度と戦争しないと誓った国が、又。日本人に本当の常識があったのなら、あんな事にはならなかった筈だわ。」

「男に任せたからいけないのですよ。」

「それも一理あるかも。男は本当に闘争本能強いから困っちゃう。隼人さんも普段は優しいのに喧嘩するととてもひどいのよ。」

「えっ?あの隼人さんが?信じられない。」

「そう、聞いてよ。」

「あっ。すいません。おのろけはちょっと。彼氏いない暦25年の私にはきついです。」

「はは、ごめんね。そんなつもりは無かったのよ。」

「本当、遥さん羨ましい。あかちゃんにも恵まれて、素敵な旦那様も。いいなぁ。」

「隼人は全然素敵じゃ無いわよ。」

「結婚している人、みんなそう言うんですけど、皆、嬉しそうですよ。遥さんだって。」

「本当、そんなつもり無いけど。」

「他人から見るとそうとしか見えないんですよ。」

「そうなんだ。気をつけなきゃ。ごめんね、雅ちゃん。

そういえば、隼人さんは大丈夫かしら、駆逐艦勤務になって、大変そうよ。空調もないだろうし、今、暑いから。」

「私か見るとお二人がお暑いですよ。」

「照れちゃうな。もう、雅ちゃんうからかわないでよ。」

「あ、じゃ、この辺で、私は職務に戻らなければ。今度、あかちゃんのお顔を拝見に行きます。」

「是非、来て、かわいいのよ。」

「ありがとうございます。」

本田隼人は現在駆逐艦「綾波」艦長勤務で、もう、一ヶ月以上帰っていなかった。彼は海の男なのだ。そして、本田 遥も近々赤城艦橋勤務に戻る、彼女も又海の女なのだ。

一方、雅は中国へ奉天政府陸軍への日本陸軍軍事顧問団の一員として近々大陸へ向かう。

大陸は既にさざ波の様に揺れていたが、もうじき、大きな嵐がやって来る。そう、盧溝橋事件、旧史では日中戦争の直接の原因となるが、新史では中国内乱となりそうだった。

そう、97式中戦車は大陸でも太平洋でも猛威を奮う事になる。