【進撃の連合艦隊】昭和11年 99式艦上爆撃機開発史 | まもちゃんのブログ

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2020年中国と開戦した日本は中国軍航空母艦による首都東京空襲により壊滅する。核兵器が使用され、東京は廃墟と化した。この戦いで、同盟国アメリカは参戦しなかった。日本は見捨てられたのだ。遥達防衛省技術開発本部の面々は核爆弾の直撃時に昭和元年にタイムスリップした。皆、中国、アメリカへの復讐に燃えていた。皆、家族を東京空襲で亡くしたのだ無理も無い話だった。

防衛省技術開発本部がタイムスリップしたのは帝国海軍海軍施設内だった。遥達と帝国海軍軍人が接触すると、たちまち海軍上層部は大騒ぎになった。開発本部長「鳴海 晃」と海軍の連合艦隊司令長官、軍令部長とが会談を持ち、技術開発本部と海軍が協力する事となった。
技術開発本部は海軍内でJSDFと呼ばれる事となった。遥と隼人は海軍に配属された。二人共既に中佐だった。この頃から二人はスピード出世する、二人の適応能力は高く、海軍上層部は二人が平成人である事を知っていたため、二人を航空艦隊の指揮官とするつもりだったのだ。実際二人は極めて優秀だから。

タイムスリップから10年、日本には大きな変化が出ていた。大規模な景気刺激策により好景気に湧いた。旧史の製糸業に加えて化学繊維業界、重工業業界、造船業界、電気業界が業績を延ばしている。日本のGDPは年10%位の成長ぶりだった。既に日本のGDPは旧史より遥かに増えていた。本計画が可能なのはひとえにGDPの増大の賜物だった。加えて、日中戦争は行われておらず、日本軍の財政は今だ健全だった。

昭和11年海軍は11試艦上爆撃機の開発を愛知航空機に命じる。この開発にもJSDFが関わる事になる。97式艦上攻撃機開発においてJSDFが参加したが、全員不満であった。それは基礎空力や選定出来る発動機に限りがあった為だが、昭和11年の現在、選択の余地はたくさんある。

JSDFは99式艦爆の開発に13試艦上爆撃機の思想を取り込もうと決断した。13試艦爆は空技廠 山名正夫の設計だ。もちろん、空技廠とJSDFとの共同作業となる。JSDFが決断したのは、97艦攻の失敗と経験より、開発開始期間が2年しか違わず、引き込み脚さえ採用されていない旧史99艦爆に見切りを付け、最初から13試艦上爆撃機彗星を開発しようとしたのである。もちろん、下地には日本の基礎技術が十分に成長した点を考慮している。

JSDFと空技廠 山名正夫氏との間で最初に取り決められたのは、発動機についてだった。旧史の発動機は水冷発動機アツタが採用されるが、旧史では結局日本人は最後迄水冷発動機をものに出来ず、製造や信頼性に問題を多く残した。その為、開発当初はドイツから輸入したDB601A発動機を使用して開発する事になった。理由はJSDFの持つ多くの水冷発動機搭載の彗星の資料が多くあった為だった。

一旦、輸入水冷発動機で開発、試験を行い、後に発動機を国産発動機に変更して開発を続ける算段だった。

JSDFはアツタ発動機については十分ものに出来る代物と考えていた。しかし、量産品の改善が難しいものと考えていた。しかし、新史の日本では工作精度の向上、レアメタルの取り扱いには自信があったし、何より改善案が多くあった。現代では当たり前の事だがこの時代の日本にはアウトソーシングという発想があまりなかった。三菱名古屋や愛知飛行機も製造はほとんど内作で、外注という事をしなかった。新史ではこれを改め、三菱名古屋や愛知飛行機にも外注を多いに利用してもらうつもりだった。旧史でも中島飛行機は外注を多いに利用しており、生産力は三菱名古屋より上だった。零戦は中島飛行機でも生産されているが、実は中島製零戦の方が多数製造されているのだ。中島の方が大量生産については一日の長があった。

メンテナンスについては、旧史でも、愛知航空機の技術者が多数在籍する部隊ではアツタ発動機は空冷発動機と遜色無い稼働率を誇っていた。問題は空冷しか経験の無い、整備兵へのマニュアルの未配布や技術伝達の問題だった。新史では、水冷発動機整備の経験を愛知航空機技術者から海軍への技術者を派遣し、十分な修練を積んでもらう予定だ。

又、万が一、この水冷発動機の開発もしくは量産に失敗しても、旧史と同様、彗星の発動機を空冷の金星発動機に換装する事を視野に入れた。

他にはこの水冷発動機野開発は陸軍も一枚噛む事になる。川崎飛行機製三式飛燕戦闘機にはやはりDB601ベースの水冷発動機が採用されるが、信頼性はアツタより悪く、量産性もアツタより悪かった。更に、同じ発動機がベースなのにも関わらず、川崎製水冷発動機はなんと愛知航空機の水冷発動機と互換性が無かった。そのため、陸軍もこのアツタ発動機に注目し、開発成功の暁には、愛知航空機よりライセンス料を支払い、川崎航空機でも生産する予定だった。

三式飛燕が完成するのは99式艦爆よりかなり後の事になる。そのため、川崎飛行機からも技術者が派遣され、この発動機の開発者の人員は大所帯となった。

99艦爆には数々の新機軸が採用されるが、量産性も考慮されながらの開発となった。又、外注の積極使用により、周辺の産業の技術向上に役立ち、三菱名古屋愛知飛行機の名古屋、川崎航空機の各務原共、産業が伸びて行った。

他には要求仕様には例によって防弾と航続距離の短縮が盛り込まれた。

この艦爆の技術が早期に完成した事は極めて重要な事だった。何故なら、この機体の技術が後の開発機の技術に転用されるからである。そのため、後の機体の出現も早くなるのだ。

この機体に採用された新技術は水冷発動機の他、主翼内に燃料を搭載するセミインテグラル式燃料タンク、層流翼、セミ・ファウラー式フラップ、各動翼、脚、爆弾倉の開閉等の電動化である。

この機体の約500kgは防弾に費やされており、その分は燃料搭載量を減らした。結果、性能は旧史より航続距離が大幅に短くなったが、それ以外の性能は極めて良好である。

尚、爆弾倉を廃止して燃料タンクを増設した97式艦上偵察機も派生型として制作された。ベースは11試艦爆だった。

99式艦爆11型
全幅11.5m
全長10.22m
全高3.175m
主翼面積23.6m2
自重2810kg
過荷重重量3960kg
発動機 アツタ21型 離翔1200馬力
速度546.3km
航続距離正規 1200km 過荷1500km
機首7.7mm固定機銃2挺(携行弾数各600発)後上方7.7mm旋回機銃1挺(97発弾倉×6)
胴体250kgまたは500kg爆弾1発

99式艦爆22型
全幅11.5m
全長10.22m
全高3.175m
主翼面積23.6m2
自重2935kg
過荷重重量4353kg
発動機 アツタ32型 離翔1400馬力
速度579.7km
航続距離正規 1000km 過荷1300km
機首7.7mm固定機銃2挺(携行弾数各400発)後上方7.7mm旋回機銃1挺(97発弾倉×6)
胴体250kgまたは500kg爆弾1発
翼下30~60kg爆弾2発

97式艦上偵察機
全幅11.5m
全長10.22m
全高3.175m
主翼面積23.6m2
自重2810kg
過荷重重量3960kg
発動機 アツタ21型 離翔1200馬力
速度546.3km
航続距離正規 1500km 過荷1800km
機首7.7mm固定機銃2挺(携行弾数各600発)後上方7.7mm旋回機銃1挺(97発弾倉×6)
偵察用カメラ

「全く隼人ったら!」

遥は亭主の隼人の事を毒づいていた。正月に駆逐艦勤務から自宅に戻ったのだが、些細な事で喧嘩をしてしまった。

「でも、戦争って、こうやって起こるものなのかもしれない。」

遥は思った。先ずは、我が家の平和ね。アメリカや中国の前に。

「隼人さん。ビール飲みたいのでしょ。いいわよ。全く、正月だからって。」

喧嘩の原因は昨夜隼人が飲み過ぎた事だった。だらしなさっぷりに、腹がたったのだ。

「いいのか?昨日みたいにはならないから、頼むよ。駆逐艦では全然飲めないんだ。」

「仕方無いわね。でも程々にしてよ。」

「サンキュ。」

先ずは本田家の平和。

遥は一人自分に言い聞かせていた。

さざ波は直、荒波に変る。二人はその事を知っている。そして、太平洋戦争とアメリカ軍が命名した戦いに勝利する為、二人は切磋琢磨している。しかし、二人の本当の願いは逃戦と平和だ。