提督の決断(山口多聞戦記)珊瑚海海戦 | まもちゃんのブログ

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ハワイを奇襲した南雲艦隊は第二戦隊「剣龍」、「蒼龍」を分派し、ウェーク島攻略支援に向かわせる。
本隊はラバウル空襲、ポートダーウィン空襲、チラチャップ攻撃と南太平洋を転戦し、1943年3月からインド洋に進出。セイロン沖開戦においてイギリス軍空母「ハーミーズ」を撃破する。

又、ハワイ奇襲の2日後、マレー沖海戦でイギリス軍戦艦「プリンスオブウェールズ」、「レパレス」を日本海軍航空隊陸攻が撃沈する。

日本軍はこの世界大戦へと突入するが、この2つの戦いにより、この大戦の海の主力兵装が航空機である事を世界中に知らしめる。

1942年1月に連合艦隊司令部はオーストラリアをアメリカから遮断し、孤立させる戦略を立案。その戦術としてソロモン諸島ツラギとニューギニア島ポートモレスビーを奇襲攻略する作戦を実施する。
しかし、3月10日にラエとサラモアに「レキシントン」、「ヨークタウン」の航空攻撃による被害を受け、アメリカ軍空母が珊瑚海に活動中である事が確認された。

日本軍航空艦隊は珊瑚海にて、ポートモレスビー攻略部隊の護衛とアメリカ軍機動部隊との交戦という2つの任務を帯びる事になる。幸い、この海域に活動中のアメリカ軍機動部隊は第11任務群「ホーネット」基幹、第17任務群「ヨークタウン」基幹の2空母のみで、他の空母はドーリットル隊日本本土空襲の為、不在だった。

ポートモレスビー攻略部隊は5月4日にラバウルから出撃した。攻略部隊には空母「飛龍」、「祥鳳」が護衛についた。

「飛龍」の山口多門中将は(連合艦隊内では関口多門と名乗っていた)は来るアメリカ軍空母との戦いに望み、気分は高揚していた。彼は、ミッドウェーの前にアメリカ軍空母と戦う栄誉を手にした。
「この戦いにはアメリカ軍空母が2隻出撃する。こちらのの兵力の方が上だ、必ず勝てる。だが、ポートモレスビー攻略とアメリカ軍空母との戦いの2つの任務を引き受ける事になる。これはミッドウェーと同じ状況だ。いや、それよりも世界で最初の空母対空母の戦いだ。この戦い、負ける訳には行かない。」

5月6日午前6時、ショートランド泊地で燃料補給を行った空母「飛龍」、「祥鳳」と第六戦隊重巡洋艦4隻、駆逐艦4隻が出港した。午前10時、横浜空の九七式飛行艇が第17任務部隊を発見、約4時間にわたって触接を続け「空母1、戦艦1、重巡1、駆逐艦5」という戦力と位置・進行方向を打電した。ラバウルの司令官は近くの陸上基地より明朝アメリカ軍機動部隊を攻撃させようとしたが、この部隊は着任したばかりで、実際に出撃出来る状況ではなかった。

5月7日ラバウルのから一式陸上攻撃機3機、ツラギから横浜海軍航空隊の97式飛行艇4機も加わり、珊瑚海の索敵を行った。ポートモレスビー攻略隊の重巡からも偵察機が発艦した。午前6時50分衣笠・古鷹偵察機よりにサラトガ型航空母艦出現の情報が入った。
「飛龍」、「祥鳳」の第一次攻撃隊が編成された。偵察機発進と共に、既に山口は攻撃隊を編成を下命していた。そして、午前7時20分攻撃隊は次々と発艦して行く、攻撃隊の編成は零戦32型18機、99艦爆22型18機、97艦攻12型18機の54機だった。だが、彼は第二次攻撃隊を編成出来なかった。ポートモレスビー攻略隊は「祥鳳」のレーダーに映ったB17爆撃機を撃墜していたが、こちらの艦隊の位置はおおよそ気づかれているとみて良かった。迎撃のため、直援の零戦が必要だが、それでは第二次攻撃隊の制空戦闘機が無くなる。被害を考えると第二次攻撃を諦めるしか無かった。それに、陸上基地等友軍の攻撃も期待出来た。戦闘機不足の現状では99艦爆すら直援護にまわすより無かった。護衛の駆逐艦は旧式の吹雪型1隻、陽炎型4隻のみ、艦隊には緊張が走った。

午前7時35分、ヨークタウン索敵機が「空母2隻、重巡洋艦4隻、全艦ヨークタウンの北西方向にあり」と報告、続いて周囲の索敵機が日本軍水上偵察機1機・雷撃機1機撃墜を報告した。午前8時25分、空母「レキシントン」から50機(F4Fワイルドキャット10機、 SBDドーントレス艦爆28、TBDデバステーター艦攻 12)、空母「ヨークタウン」から42機(F4F 8、SBD 24、TBD 10)、合計92機が発進して日本軍機動部隊に向かった。

午前8時頃「飛龍」、「祥鳳」攻撃隊が「レキシントン」を補足、攻撃に入る、残念ながら、敵空母の攻撃隊は発艦しており、空母はほぼ空だった。レキシントンはレーダーで日本軍攻撃隊を補足していたが、戦闘機が少なく、連携もうまくいかず、迎撃はうまく行かなかった。攻撃隊はヨークタウンに目標を定め、攻撃を開始、練度の高い、この部隊は見事な雷爆同時攻撃を行い。次々命中弾を与え、魚雷2本、250キロ爆弾2発命中、至近弾5発、一方、被雷によって漏れだしたガソリンが気化して引火、大爆発を起こして消火不能となった。「レキシントン」は駆逐艦「フェルプス」の雷撃により自沈した。

午前9時頃レキシントン攻撃隊、ヨークタウン攻撃隊は「飛龍」、「祥鳳」に接近、これに零戦隊18機が襲いかかる。ワイルドキャット18機と交戦に入るがたちまち撃墜、艦爆、艦攻を追跡攻撃するが、10機を撃墜するに留まった。しかし、続く99艦爆隊18機が残るアメリカ軍攻撃隊64機に襲いかかり、更に10機を撃墜した。アメリカ軍攻撃隊は日本軍直援隊に襲われ、隊列が乱れた状態で日本軍空母陣に迫った。
日本航空艦隊の対空放火は熾烈を極めた。特に「祥鳳」の10cm連装高角砲6機はレーダー射撃可能で、たちまち10機を撃墜する。又、陽炎型駆逐艦4隻の12.7cm連装高角砲3基は「飛龍」の周辺にて激しい攻撃を行い、威力を発揮する。アメリカ軍攻撃隊は日本軍の直援機の迎撃で隊列が乱れ、散発した攻撃しか出来なかった。その為、各個激波される事となり、圧倒的な機数であったにも関わらず、十分な命中弾を出せなかった。しかも、彼らは、駆逐艦から離れた空母「祥鳳」が比較的対空砲火が少ないと勘違いした。「祥鳳」はレーダー射撃可能で、高角砲の砲門数は少ないが、彼らが、少ない機数で「祥鳳」に接近する事は自殺行為だった。それでも、比較的対空砲火が少ないと信じた「祥鳳」に攻撃を繰り返し、遂にSBDドーントレスが3発の命中弾を「祥鳳」に与える。「祥鳳」の飛行甲板はめくり上がり、炎上したが、ほどなくして消火作業に成功した。だが、航空機の運用能力は消失した。

「祥鳳」に損害が出たが、アメリカ軍攻撃隊は艦隊の対空砲火と直援機の追撃で、ほとんどが撃墜され、全滅した。わずかに逃れた機体もいたが、「ヨークタウン」に戻れた機体は1機も無かった。

「祥鳳」に命中弾が出た頃、空母「ヨークタウン」のレーダーには「飛龍」、「祥鳳」攻撃隊とは別の方向からの航空機多数が映った。この海域にアメリカ軍の空母は他に稼働していない。当然、日本軍のものとはなる。そう、日本軍はこの海域にもう1組の航空艦隊を投入していた。第5航空戦隊、「翔鶴」、「瑞鶴」だった。
後日、戦力の分散として非難される事になるが、日本軍は4隻の空母をこの海域に投入していた。アメリカ軍機動部隊は圧倒的に不利な兵力差で戦ったいたのだ。だが、もう撤退する事は出来ない。日本軍の攻撃隊は先の「飛龍」、「祥鳳」の攻撃隊より機数が多かった。直援機が満足にいない「ヨークタウン」は激しい攻撃にさらされ、遂に撃沈される。指揮官フレッチャー少将は沈没直前に駆逐艦に逃れたが、負傷した。

珊瑚海海戦は日本軍海戦は日本軍の完勝となった。アメリカ軍正規空母2隻撃沈に対して、日本軍は「祥鳳」中波だった。
「祥鳳」は離脱したが、ポートモレスビー攻撃は継続され、戦術的にも、戦略的にもこの戦いは成功した。

以上