一昨日、エマソンの「自己信頼」について触れました。
確かにそうだなと、あらためて感じた箇所を以下に挙げます。
人々を自己信頼から遠ざけているもうひとつの恐怖は、一貫性である。
~ラルフ・ウォルドー・エマソン/伊東奈美子訳「自己信頼(新版)」(海と月社)P31
一貫性というのは、矛盾がないこと、論理的であることですが、
そのことが、僕たちから自己信頼を削ぎ落していると彼は言うのです。
愚かな一貫性は子どもの想像力が生みだすおばけであり、器の小さい政治家、哲学者、宗教形があがめるものだ。一貫性と偉大な魂の間にはなんの関係もない。一貫性を気にするのは、壁に映った自分の翳を気にするようなものだ。
いま考えていることを断固として語りたまえ。そして明日は、たとえ今日いったことのすべてと矛盾していても、そのときに考えていることを断固として語るのだ。
そんなことをすれば間違いなく誤解される、と思うかもしれない。では、聞こう。誤解されることはそれほど悪いことだろうか?ピタゴラスは誤解された。ソクラテスも、イエスも、ルターも、コペルニクスも、ガリレオも、ニュートンも、かつてこの世に生をうけた純粋で賢明な霊はみな誤解された。
偉大であることは、誤解されることなのだ。
私には、自分の本質に背くことのできる人はひとりもいないように思われる。
~同上書P32-33
彼の言葉は極論ですが、
他人に誤解されることよりも、自分の本質に背くことを怖れよと
エマソンは言うのです。
※昨夜は久しぶりに恵比寿に降り立ちました。
そういえば、松岡正剛さんも「擬MODOKI—『世』あるいは別様の可能性」
あとがきには次のようにあります。
この本は少し変わっている。ちぐはぐなこと、ノイジーな現象、辻褄があわない言動、公認されてこなかった仮説、残念至極な出来事、模倣や真似をする癖、おぼつかない面影を追う気持ち、借りてばかりの生活などの肩をもっているからだ。
脱落や反逆を奨めているのではない。矛盾や犯罪を擁護したのではない。判断が合理と非合理に分けられすぎること、世の中の方針が正解に向かおうとして撞着を排除しようとすること、そのために平均値や標準化が社会的な力をもちすぎてきたことに、疑問を呈したのだ。
~松岡正剛「擬MODOKI—『世』あるいは別様の可能性」(春秋社)P275
世の中がマニュアル化し、体裁(サービス)を整えていくたびに、
心(ホスピタリティ)を失っていく様子に同様のことを思います。
とはいえ、合理がダメというのではありません。
矛盾することを良しともしておりません。
要はバランス。
ゆらぎを認め、その中にこそ本質があることを
忘れてはいけないということだと思うのです。
自分自身のユニークさを追求しましょう。
今日も素敵な一日を!
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