こんにちは。

先日、たまプラーザでの講義のひとつが

無事終了しました。





このクラスには、躁鬱の気があるという

学生がいました。

講義の最初の頃には

授業後の感想文がとても斜に構えたものでしたが、

ある日の授業以降態度も感想文も一変しました。

授業の中であえて発表させ、具に話を聞くと

いたって真面目で前向きな行動をしており、

本人だけが得も言われぬ否定感、不安感に苛まれ、

自信を喪失しているのだということがわかりました。





以前も書きました が、

僕は純粋に素晴らしい行動力だと感じたので、

彼をほめてあげたところ本当にそれが嬉しかったようで、

その日の授業後の感想文は

それまでとは違った、とても素直なものでした。





その彼が最後の授業の前、2回ほど珍しく

休んだので心配していたところ、

どうやら躁鬱が悪化して学校に来れなかった

ということでした。普通ならその流れで

そのまま放棄してしまうところ、

やっぱり最後は出たいということで

彼なりに無理をし、努力をし、

1月8日の最終講義に出てきたのです。





最後に提出してもらった課題のレポートには、

10月9日のあの授業で、

自分という存在の価値をほんの少しだけれど

認めることができたことの喜びが綴られていました。

同時に自分がそんな風になったきっかけ、原因の

一端が書かれており、なるほどじっくりと

話を聴いてもらえるなら聴いてもらいたいんだ

ということまでがはっきり読み取れました。





もしも仮に、何らかタイミングが合い、

彼とマンツーマンで話をする機会がもてるなら

もっとたくさんのアドバイスをしてあげられるとは

思うのですが、おそらくそういうことは

もはやないと思います。残念ですが・・・。

それでもあの時のあの経験が

ある意味彼の生き方を変えたとするなら、

本当に良かったなと心底思えます。

教える側の役割、若者に向き合う大人の役割の重要さが

あらためて身に沁みるのです。





やっぱり他人を受け容れることや認めること、

そのためにただひたすら話を聴くことは

とても大切なことですね。

今日もありがとうございます。





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