こんにちは。

講義待機中@たまプラーザです。





人は物事や他人を独自のフィルターを通して

観ています。

ひょっとすると自分のことも「色眼鏡」で観ているかもしれない。

それくらいに「判断」というものは曖昧です。





毎回の授業では、学生くんたちにその日の感想を文章にして

提出してもらっているのですが、先日の授業で、

ある学生が書いた文章を読んで、

斜に構えた空想癖、あるいは外界をシャットアウトして

「孤」に生きている人間だという印象を持ちました。

ちょっと危ないかな、と。

ちなみに、以下のような感想文です(抜粋)。



自分は躁と鬱とで人格がはっきり変わってしまうため、こう書いたこと、もう一人の人格が覚えているかどうか、である。新聞は今問題になっているから読む気もしない。戯言である。(読めということが)本の話題、誰もついてきやしないのにどうやれというのか。改行と句読点、小説と混ぜないようにとしか言いようがない。目を見てしゃべる。人間嫌いでそもそも接触が一番嫌いな小生には地獄にしか感じない。議論もやるだけ、馬鹿が多いからやる気もしない。そもそも明日生きているのかさえ疑問である。多くの知識がある反面、多くの人間の哀を見過ぎた自分にとってこの世は地獄。コミュニケーション以前の問題にしか思えない。どうやったらいいのだろうか。ただ頭を抱えるばかり。



今日の授業では、あるワークを通じその彼を

あえて指名し、発表してもらったのですが・・・。





なるほど。わかりました。

確かに幼少期から家族間で問題がありそうです。

しかしながら、自分が興味を持ったこと、人に対しては

行動を厭わず、猪突猛進するタイプ。

そして、話を聴けば実に素直な面も持っているのです。

そして、今日の感想では次のように書かれていました。



自分の師事している人でほめられるとは思わなかった。二人に会えたのも偶然中の偶然。さらに二人のお蔭と思っていたが、自分が行動したからイコールで結びついたと思うようになった。もう少し前向きに生きていけたらいいと思っている。



人は誰しも認めてもらいたい、

受け容れてもらいたいものなんですよね。

人間の態度や心構えはちょっとしたことで変化するということです。

ここに醍醐味があるのです。

これだから若者に対峙する仕事はやめられない。





本日最初の授業でも大いなる気づきをいただけました。

ありがとうございます。





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