「結局、ずっと自分のことばかり気にしていたんですね」
その方は、少し笑いました。
明け方に見た夢の話から始まった相談でした。昔の部下たちに軽んじられ、陰で悪口を言われている。腹立たしさと情けなさで目が覚め、そのまま眠れなくなったそうです。
何十年も前のことなのに、なぜ今になって、こんなに嫌な気持ちになるのだろう。
話しているうちに、その方が長い間抱えてきた苦しさが見えてきました。
人を惹きつける魅力があり、誰かに求められ、自分でもまんざらではないと思える男でいたかったのです。
仕事では頼りにされ、人が集まれば存在感があり、年齢を重ねても、ときめきや張り合いを失わずにいたい。
ただのおっさんになって、誰からも特別に求められず、静かに老いていく自分など、見たくもなかったそうです。
ところが、長い間身につけてきた鎧を脱いでみると、そこにいたのは、思っていたほど立派でも特別でもない自分でした。
仕事を離れれば肩書も役割もない。友人も少なく、誰からも連絡が来ない日がある。人付き合いが得意なわけでもなく、些細なことで腹を立て、昔の夢にまで傷ついてしまう。
本当は、鎧を脱げばもっと自由で、飾らなくても人を惹きつける自分が現れると思っていたのです。
けれど、出てきたのは、ごく普通のおっさんでした。
鎧を脱げば楽になれると思っていたのに、鎧の中にいた自分まで好きになれなかった。
そこが、いちばん苦しかったのでしょう。
だから、また何とかしようとする。もっと生き生きと暮らそう。新しい楽しみを見つけよう。年齢など気にせず、生涯現役でいよう。
けれど、自分を奮い立たせることにも、少し疲れていました。
そんな話の途中で、以前、何人かで食事をした夜のことを思い出したそうです。
誰かの他愛のない話がおかしくて、みんなで笑い転げた。特別な出来事など何もなかったのに、あの夜は本当に楽しかった。
そのとき、自分がどう見られているかなど、少しも気にしていませんでした。
誰かに認められようとも、魅力的に振る舞おうともしていなかった。ただ、その場にいることが楽しかったのです。
その方は、思い通りにならないたびに、自分の何がいけなかったのか、どこを変えればよかったのかと考え続けてきました。
けれど、そんな話をしているうちに、ふと、人生そのものの不思議さに話が及びました。
宇宙の長い歴史から見れば、人の一生など、ほんの一瞬です。
その短い時間に、誰かを好きになり、傷つき、腹を立て、笑い、年老いていく。
考えてみれば、ずいぶん不思議な経験をしているものです。
その方は、長い間、もっと魅力のある男になりたい、自分を好きでいられる人間になりたいと思ってきました。
けれど、それは遊園地に来ていながら、アトラクションに乗る前の準備ばかりしているようなものだったのかもしれません。
怖くない自分になってから乗ろう。もっと自信がついてから楽しもう。失敗しない方法を覚えてから出発しよう。
そうしているうちに、いつまでも乗り場から離れられなくなってしまう。
でも、考えてみれば、もうとっくに乗っていたのです。
明け方の嫌な夢も、誰かと笑い転げた夜も、寂しさも、ときめきも、すべてこの人生というアトラクションの中で起きていたことでした。
怖い場面もあれば、思わず歓声を上げる場面もある。予想もしなかった方向へ進むことだってあります。
そのたびに、自分はちゃんと楽しめているだろうか、もっと上手に乗れないだろうかと考えていたら、目の前の経験どころではありません。
「でもね、やっぱりただのおっさんで終わるのは嫌なんですよ」
その方は笑いました。
誰かに求められたいし、まだまだ胸が躍るようなことも経験したい。何もない毎日を、これで十分だと言い聞かせる気にもなれない。
その本音は、今も変わりません。
ただ、その願いが叶うかどうかで、自分という人間の価値を決めたり、人生の出来栄えを気にしたりすることには、もう疲れてしまいました。
宇宙の長い時間の中で、ほんの一瞬、人間という経験をしている。
せっかくアトラクションに乗っているのに、もっと上手に楽しめる自分になろうと、準備や反省ばかりしていたのです。
誰に頼まれたわけでもないのに。
もっと魅力的に、もっと立派に、もっと幸せに。
そんな終わりのない自分磨きも、自分へのダメ出しも、もう十分でしょう。
「一抜けた。」
その方は、そう言って笑いました。