ある女性が、夕食の支度をしていました。

昆布と鰹節で出汁を取り、野菜を切り、煮物の火加減を見ています。

隣では家族がテレビを見ている。

特別な会話があるわけでもなく、そのうち「ご飯できたよ」と声がする。

ただ、それだけの夕方です。

若い頃なら、こんな時間を「何も起きていない」と思ったかもしれません。

旅行に行ったり、新しい人と出会ったり、恋をしたり、仕事で認められたり。

人生には少しくらい刺激があったほうが面白い。

実際、刺激は楽しいものです。

思いがけない出会いに心が動くこともあれば、誰かに夢中になることもある。

ただ、刺激には少し不思議なところがあります。

慣れてしまうと、また次が欲しくなるのです。

普通より特別なものを求めているうちに、何も起きていない時間が、いつの間にか物足りなく見えてくる。

以前、

「穏やかで平和な人と暮らしたい」

と言っていた人がいました。

ところが、その後の人生はずいぶん揺れました。

別の人に心が動き、それによって夫婦の間に長く残る傷もできた。

本人は後になって、

「自業自得ですね」

と話していました。

けれど、人の心をそんな一言で片づけることもできないのでしょう。

なぜあのとき、そうしたのか。

別の選択をしていたらどうなったのか。

考えても、最後のところはわかりません。

人はときどき、自分が望んでいたものとは違う方向へ動いてしまいます。

それもまた、人間のおかしさであり、切なさなのだと思います。

そして歳月が過ぎると、昔は退屈に見えたものが、まるで違って見えることがあります。

普通に食事ができて、猫が安心して眠っている。

誰からも連絡が来ない日もあれば、特に予定のない日もある。

一日がそのまま暮れていく。

盛り上がるような物語はありません。

けれど、よく見ると、それほど足りないものもありません。

平和というのは、何か素晴らしいことが起きている状態ではなく、何かを起こし続けなくても大丈夫な状態なのかもしれません。

誰かに認めてもらわなくても、退屈を埋めるために誰かを求めなくても、人生を特別に見せなくてもいい。

人生には、もちろん刺激的な日もあります。

誰かを好きになり、傷つき、腹を立て、別れ、また出会う。

そんな泣き笑いも、人間をやっている面白さなのでしょう。

でも、何も起きない日を、退屈だと決めなくてもいい。

平和な人生とは、何も起きない人生ではなく、何かを起こさなくても足りている人生。

夕方になれば、台所から出汁の匂いがしてくる。

テレビの音が聞こえる。

やがて、

「ご飯できたよ」

という声がする。

昔なら通り過ぎていた、そんな何でもない時間が、

実はずっと、暮らしたかった時間だったのかもしれません。