「私は失敗した。」
「私は嫌われている。」
「私は価値がない。」
人は、一日に何度、自分に向かってこんな言葉を語りかけているのでしょう。
でも、ある日ふと不思議に思いました。
その「失敗」は、今どこにあるのでしょう。
「価値がない」というものは、本当に存在しているのでしょうか。
もし誰かに、
「それを持ってきて見せてください。」
と言われたら、見せることはできません。
あるのは、ただ一つの出来事です。
そして、その出来事に貼り付けられた言葉です。
私たちは、その言葉を現実そのものだと思い込み、その中で暮らし始めます。
先日、畑で草取りをしていました。
風が吹き、鳥の声が聞こえます。
遠くではトラクターがゆっくりと動いていました。
何も特別なことは起きていません。
ただ、草を抜き、土の匂いを感じているだけです。
そのとき、ふと思いました。
風は、自分を説明しません。
土も、自分を評価しません。
鳥も、自分の価値を証明しようとはしません。
ただ、そのまま在るだけです。
人間だけが、
「私はこういう人間だ。」
「もっと頑張らなければ。」
「こんな自分ではダメだ。」
と、一日中、自分について考え続けています。
その考えが、いつの間にか「自分」そのものになっていくのです。
ある日のセッションで、一人の方がこう話してくださいました。
「私は昔から、自分には価値がないと思って生きてきました。」
私は、その言葉を否定しませんでした。
励まそうとも思いませんでした。
ただ、静かにお聞きしました。
「その『価値がない』という言葉を、ほんの少し横に置いてみることはできますか。」
部屋は静まり返りました。
窓の外では木々が揺れています。
鳥の声だけが聞こえています。
しばらくして、その方がぽつりと言いました。
「景色には、価値がないというものはありませんね。」
私はその言葉を聞いた瞬間、この仕事を続けてきてよかったと思いました。
景色は変わっていません。
変わったのは、その人が見ていた世界ではありませんでした。
世界を覆っていた言葉が、ほんの少し静かになっただけだったのです。
少し前、古い車を磨いていたときも同じことを感じました。
長い年月を走ってきた一台です。
細かな傷もあります。
色あせた部分もあります。
それでも磨いていると、少しずつ本来の輝きが戻ってきます。
その車は、
「もう古いから価値がない。」
とは一度も言いません。
ただ、そこに在るだけです。
価値という言葉を作ったのは、人間です。
成功も失敗も、
優秀も劣等も、
勝ち組も負け組も、
出来事の中には存在していません。
私たちが後から付けた名前です。
私は長い間、人生の答えを探していました。
心理学も学びました。
哲学も学びました。
宗教やスピリチュアルも学びました。
どれも私に多くのことを教えてくれました。
でも、あるところから気づいたのです。
本当に欲しかったのは、新しい答えではありませんでした。
人生を説明する言葉でもありませんでした。
言葉が静かになることだったのです。
すると、風が風として感じられます。
焚き火は、ただ暖かい。
コーヒーは、ただ香りがする。
誰かの笑顔は、そのまま心に届きます。
世界は変わっていません。
変わったのは、世界について語り続けていた頭の中でした。
そして最近、もう一つ気づいたことがあります。
苦しみは、誰が感じているのでしょう。
怒っているのは誰でしょう。
傷ついているのは誰でしょう。
その「私」を探してみると、思っていたほど確かなものではありません。
次々と現れては消えていく思考。
湧いては消える感情。
変化し続ける身体。
そのどれを見ても、「これが私だ」と言い切れるものはありません。
それでも経験は起きています。
笑うこともあります。
涙が流れる日もあります。
人を好きになることもあります。
人生は確かに味わわれています。
でも、その経験を支配し、人生をコントロールしている主人公は、どこにも見つかりません。
だからこそ、苦しみもまた、「誰か」が背負っているものではなく、一つの経験として現れ、やがて静かに去っていくものなのかもしれません。
そう思えたとき、「何とかしなければ」という力みが、少しずつほどけていきました。
もし今日、少しだけ時間があれば試してみてください。
空を見上げてください。
風を感じてください。
そのとき、
「空」
「風」
「きれい」
そんな名前さえ付けずに、そのまま感じてみてください。
ほんの数秒で構いません。
その数秒の間には、「こうあるべき私」も、「価値がない私」も存在していません。
あるのは、ただ、この瞬間だけです。
もしかすると、私たちが一生かけて探していた安心とは、未来で手に入るものではなく、言葉になる前から、ずっとここに在り続けていたものなのかもしれません。
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答えを増やすためではなく、自分を縛ってきた言葉や物語に気づき、本来そこにあった静けさや安心を一緒に見つめる時間をご一緒できれば幸いです。