30年近く、

私は人の心と向き合ってきました。

カウンセラーとして。

ヒーラーとして。

そして一人の探究者として。

輪廻転生。

アカシックレコード。

ハイヤーセルフ。

チャネリング。

非二元。

老子。

ラマナ・マハルシ。

量子論やホログラム宇宙論。

様々な教えや視点に触れながら、

ずっと一つの疑問を抱えていました。


魂は本当に輪廻しているのだろうか。

主体がいないというなら、

誰が人生を体験しているのだろうか。

人生の計画があるというなら、

誰がその計画を立てたのだろうか。


ある人は言います。

「魂は何度も輪廻転生を繰り返す」

ある人は言います。

「人生には魂の計画がある」

またある人は言います。

「私はいない」

「主体はいない」

さらに、

「現実は幻想である」

とも言います。


どれも魅力的でした。

どれも真実の一部を語っているように感じました。

しかし長い間、

私の中では一つにつながりませんでした。


実は今のリオン(REONE)の原型も、

10年以上前から温め続けてきた構想です。

数え切れないセッション。

数え切れない気づき。

チャネリングで受け取ったメッセージ。

不思議な体験。

そして自分自身の人生。


その中で少しずつ点と点がつながり、

ようやく一つの地図として見えてきたものがあります。


私はよく、

宇宙を巨大な図書館に例えます。


そこには無限の本があります。


地球での人生。

他の星での人生。

別の文明。

違う時間軸。

違う可能性。


考えられるあらゆる人生、

あらゆる体験が、

すでにそこに存在している。


私たちがアカシックと呼んでいるものは、

そのような無限の図書館なのかもしれません。


そして大切なのは、

そこへ経験が書き加えられていくのではなく、

最初から無数の本が存在しているということです。


私たちは人生を生きていると思っています。

しかし別の見方をすると、

図書館の中で一冊の本を読んでいるのかもしれません。


本を読んでいる間、

主人公は本気です。

恋をする。

傷つく。

喜ぶ。

絶望する。

出会う。

別れる。


その体験は本物です。


けれど本を閉じた時、

主人公は消えます。


残るのは図書館です。


だから死とは、

どこかへ行くことではなく、

読んでいた本を閉じることなのかもしれません。


そして輪廻転生とは、

同じ主人公が別の本へ移動することではなく、

ある響きを持つ存在が、

別の物語に共鳴することなのかもしれません。


その図書館のさらに奥には、

言葉では説明できない静かな源があります。


私はそれを、

THE ONEとも呼んでいます。


そこから様々な響きが現れます。


同じ光がプリズムを通ると、

様々な色に分かれるように。


同じ海から、

様々な波が生まれるように。


私はその固有の響きを

「個性の香り」

と呼んでいます。


人格ではありません。

性格でもありません。


もっと深い場所にある、

存在そのものの響きです。


だから人生が終わると、

名前は脱ぎます。

職業も脱ぎます。

性格も脱ぎます。


しかし、

その響きは消えません。


そしてその個性の香りを持つ存在の全体像が、

ハイヤーセルフなのかもしれません。


今世だけではありません。

前世も。

未来生も。

他の星での体験も。

無数のパラレルも。


時間という概念を超えた場所から、

それらすべての物語を同時に見ている存在。


人生の計画やブループリントという言葉があります。

親。

時代。

環境。

才能。

課題。

出会い。


そうした大まかなテーマは、

ハイヤーセルフの視点から見れば、

無限の図書館の中から一冊の本を開くようなものなのかもしれません。


そしてハイヤーセルフという話をすると、

守護霊や指導霊、

ガイドや天使はどうなるのですかと聞かれることがあります。


私自身は、

それらを否定する必要はないと思っています。


ただ、

ハイヤーセルフと同じものというよりは、

少し役割が違うように感じています。


もしハイヤーセルフが、

人生全体や無数の物語を見ている視点だとしたら、

守護霊や指導霊、

ガイドと呼ばれる存在は、

今読んでいる一冊の本をサポートする存在なのかもしれません。


人生の節目で起きる不思議な導き。

偶然とは思えない出会い。

説明のつかない直感。


そうした形で現れることもあるのでしょう。

 

また、

チャネリングや亡くなった人との対話も、

私は以前考えていたより単純ではないように感じています。


本当にその人と話しているのか。

ハイヤーセルフの領域に触れているのか。

アカシックにある情報を受け取っているのか。


正直なところ、

私には断言できません。


ただ長年のセッションや体験を振り返ると、

目に見える世界だけでは説明できないことが確かにあります。


そしてそのすべてが、

無限の図書館の中でつながっているようにも感じるのです。


つまり私なりに整理すると、

人格は本の主人公です。


自我は、

「私はこの主人公だ」

と思わせるVRゴーグルのようなものです。


ハイヤーセルフは、

その主人公だけではなく、

前後に広がるすべての物語を知っている視点。


個性の香りは、

その存在ならではの固有の響き。


そして源(THE ONE)は、

そのすべてが現れてくる根底です。


しかしここで、

長年私が引っかかっていた疑問があります。


非二元では、

「私はいない」

と言うのです。


ハイヤーセルフがある。

輪廻転生がある。

魂の計画がある。


それなのに、

「私はいない」とはどういうことなのだろう。


以前の私は、

ここに矛盾を感じていました。


しかしある時、

図書館のイメージに、

映画館のイメージが重なりました。


映画館を想像してください。


スクリーンには物語が映っています。

恋愛もある。

成功もある。

失敗もある。

出会いもある。

別れもある。


見ている人は笑います。

泣きます。

感動します。


その体験は本物です。


しかしスクリーンの中に実際の人物がいるわけではありません。


近づいて見れば、

そこにあるのは光の投影です。


私は30年近く探し続ける中で、

少しずつ見えてきました。


もしかすると、

この現実もそれと同じ構造なのではないかと。


人格はアバター。

自我はVRゴーグル。

現実は映画。


そしてその映画は、

無限の図書館に存在する一冊の物語。


もちろん、

映画だから嘘という意味ではありません。


悲しいときは本当に悲しい。

痛いときは本当に痛い。

愛する人との別れは本当に辛い。


体験は本物です。


しかし、

登場人物には実体がない。


だから非二元は、

「私はいない」

と言うのかもしれません。


そしてもう一つ、

私の中で大きく変わったことがあります。


それは、

「主体はいない」

という言葉が、

知識ではなく実感として感じられる瞬間が増えてきたことです。


もちろん、

毎日そう感じているわけではありません。


腹が立つこともあります。

不安になることもあります。

悩むこともあります。


古いラシーンの整備で苦労することもあります。

農園の草刈りに追われることもあります。

人間関係で心が揺れることもあります。


けれど、

ふとした瞬間に感じることがあります。


まるで夢を見ている時のように、

出来事が自然に起きているだけなのではないかと。


夢の中では、

自分が歩いています。

話しています。

笑っています。

泣いています。


しかし目が覚めると、

そのすべてが自然に起きていただけだったことに気づきます。


最近は、

この現実も少し似ているように感じることがあります。


出来事は起きている。

経験もある。

感情もある。


嬉しいこともある。

悲しいこともある。


だから、

「何も起きていない」

という意味ではありません。


むしろ逆です。


経験は確かに起きている。

人生も続いている。


ただ、

その人生をコントロールしている独立した主体がいるように見えて、

探してみると見つからない。


映画は映っている。

物語は進んでいる。


しかしスクリーンの中の主人公が、

映画を動かしているわけではない。


そんな感覚です。


そんなことを考えていると、

最近の出来事も少し違って見えてきます。


古いラシーンの整備。

小樽の農園兼キャンプ場づくり。

ジモティーで譲ったルーフバー。

ふと見た夢。

思いがけない再会。

偶然のような出来事。


その時はただの出来事です。


しかし後から振り返ると、

不思議なくらい自然につながっていることがあります。


まるで川の流れのように。


私たちは自分で泳いでいるつもりでも、

本当は流れそのものが運んでいるのかもしれません。


なくしたと思っていたものが見つかる。

ふと思い出した人から連絡が来る。

夢が後から意味を持ち始める。


誰にでも、

そんな経験があるのではないでしょうか。


偶然だと思っていた出来事。

不思議な導き。

夢のメッセージ。

直感。

シンクロニシティ。


それらは別々の出来事ではなく、

一つの大きな流れの異なる表情だったのかもしれません。


そう思うようになってから、

人生は少し軽くなりました。


頑張らなければ。

失敗してはいけない。

正しい選択をしなければ。


そんな力みが少しずつ緩んでいくのです。


もちろん何もしなくなるわけではありません。


畑にも行きます。

ラシーンも整備します。

焚火もします。

人にも会います。


人生は今までと同じように続いています。


ただ、

川に逆らって泳ぐより、

流れを感じながら浮かんでいる時間が増えました。


ハイヤーセルフという広い視点もあり、

その奥には源があります。


そしてさらに言えば、

源という言葉さえ生まれる前の静寂があります。


THE ONEという言葉も。

真我という言葉も。

ワンネスという言葉も。

神という言葉も。

源という言葉も。


その静寂を指そうとしているだけなのかもしれません。


ALL THAT ISという表現も、

結局はそこを指し示すための一つの指に過ぎないのでしょう。


30年近く答えを探してきました。


けれど今は、

答えを見つけたというより、

偶然だと思っていた出来事が、

少しずつ一つの流れとして見えるようになってきました。


答えを探していた自分もまた、

無限の図書館の中の一冊であり、

一本の映画の登場人物だったのかもしれません。


今開いているページを読む。

笑うページなら笑う。

泣くページなら泣く。

感動するページなら感動する。


映画なら映画を味わう。

川なら流れに身を任せる。


そして安心とは、

未来を知ることではなく、

流れを信頼することなのかもしれません。


リオン(REONE)

波は揺れる。海はひとつ。

Humanity Team札幌も5年ぶりに活動を再開します。

リオンの活動の一つとして、共鳴や分かち合いの場をゆるやかに育んでいきたいと思っています。

ご興味のある方は、お気軽にお問い合わせください。