最近、ふと考えることがあります。
もし今日が人生最後の日だったとしたら、
私は何を持って帰るのだろう。
お金だろうか。
家だろうか。
肩書きだろうか。
知識だろうか。
思い出だろうか。
若い頃は、
人生とは何かを積み上げていくものだと思っていました。
経験を増やし、
知識を増やし、
人脈を増やし、
実績を増やす。
人生とはそういうものだと思っていたのです。
けれど不思議なことに、
年齢を重ねるほど、
人生は逆だったのかもしれないと思うようになりました。
増やしているつもりで、
実は少しずつ手放している。
若さも。
体力も。
プライドも。
執着も。
そして最後には、
この体さえも置いていく。
そう考えると、
人生は何かを集める旅ではなく、
何かを思い出す旅なのかもしれません。
私は仕事柄、
たくさんの人の人生に触れてきました。
成功した人もいました。
失敗した人もいました。
大きな財産を築いた人もいました。
何度も挫折を経験した人もいました。
けれど、
人生の終盤に近づくほど、
皆が同じようなことを口にします。
「あの時、もっと自分らしく生きればよかった」
「あんなに頑張らなくてもよかった」
「あんなことで悩まなくてもよかった」
不思議です。
誰も、
「もっと仕事をすればよかった」
「もっと肩書きを増やせばよかった」
とはあまり言わないのです。
振り返ると、
人生で本当に心に残るのは出来事そのものではありません。
どんな高級車に乗ったか。
どれだけ稼いだか。
どんな地位についたか。
それよりも、
誰かと笑った時間。
心から安心できた時間。
何もしていないのに満たされていた時間。
そんな瞬間の方が、
なぜか深く残っています。
私は最近、
人にはそれぞれ固有の「香り」があるように感じています。
もちろん本当の匂いではありません。
存在の香りです。
言葉では説明できないもの。
なぜか会うと安心する人。
なぜか元気になる人。
なぜか涙が出る人。
なぜか一緒にいると静かになれる人。
誰もが違う響きを持っています。
それは性格でもありません。
能力でもありません。
学歴でもありません。
もっと奥にあるもの。
生まれる前から持っていたような、
その人だけの響き。
私たちは人生を通して、
その香りを作っているのではなく、
思い出しているのかもしれません。
桜の木は、
桜になろうと努力しません。
春になれば咲きます。
川も、
海へ行こうと頑張りません。
ただ流れます。
人も本当は同じなのかもしれません。
ところが私たちは、
何者かになろうとします。
もっと立派になろう。
もっと認められよう。
もっと成功しよう。
もっと愛されよう。
もっと価値ある人間になろう。
でも、
もし最初から価値があったとしたら。
もし最初から十分だったとしたら。
もし人生が、
欠けた自分を完成させる旅ではなく、
忘れていた自分を思い出す旅だったとしたら。
景色はまったく違って見えてきます。
ある時、
私は人生が図書館の本のように感じられたことがあります。
一冊の本が棚に並んでいる。
その中には、
出会いも、
別れも、
成功も、
失敗も、
涙も、
笑いも、
すべて書かれている。
私たちはその本を読んでいるだけなのかもしれません。
次のページを知らないから、
驚いたり、
悩んだり、
苦しんだり、
喜んだりする。
けれど本全体から見れば、
すべては一つの物語です。
そう考えると、
人生で起きる出来事そのものに意味があるのではなく、
その出来事を通してどんな香りが表現されたかが大切なのかもしれません。
優しさだったのか。
勇気だったのか。
静けさだったのか。
ユーモアだったのか。
愛だったのか。
そして面白いことに、
その香りは本人よりも、
周りの人の心に残ります。
亡くなった人を思い出す時、
私たちは肩書きを思い出しません。
通帳の残高も思い出しません。
「あの人といると安心したな」
「あの人はよく笑っていたな」
「あの人の優しさに助けられたな」
結局、
覚えているのは香りなのです。
人生の最後に、
私たちは何を持ち帰るのでしょう。
もしかすると、
持ち帰るものなど何もないのかもしれません。
家も置いていく。
名前も置いていく。
体も置いていく。
思い出さえも手放すのかもしれない。
けれど、
一つだけ確かなことがあります。
私たちはこの世界に、
自分だけの香りを残している。
それは風のように目には見えないけれど、
誰かの心を温め、
誰かの人生を照らし、
静かに広がっていく。
だから人生は、
何かになるためにあるのではなく、
何かを証明するためにあるのでもなく、
自分だけの香りを思い出し、
それを表現し、
味わうためにあるのかもしれません。
もしそうだとしたら、
急がなくてもいい。
誰かと比べなくてもいい。
無理に変わろうとしなくてもいい。
今日という一日を、
自分らしい香りで生きる。
それだけで、
人生はもう十分に美しいのかもしれません。