こんにちは。
今日もここに訪れてくださりありがとうございます🌿✨
日々クライアントさんと対話をしていると、
人は誰もが「多面体の存在」であることを強く感じます。
喜びや悲しみ、怒りや優しさ。
矛盾するように見える感情や声が、
同じ一人の人の中に同時に息づいている。
そしてそれらは決して無駄なものでも、欠点でもなく、
むしろその人の物語を豊かにするために用意された必然なのです。
🌿 「弱さ」と「優しさ」が同居するとき
ある女性はセッションの最初にこう言いました。
「私は弱いから、人の役に立てないんです」
涙をこらえながら、自分を責めるように話していた彼女。
けれど少しずつ心の声をたどると、
その「弱さ」があるからこそ、人の痛みに敏感で、
寄り添う言葉を自然にかけられていることがわかってきました。
私が「その優しさは、弱さを知っているからこそ出ているんですよ」と伝えると、
彼女は驚いたように目を開き、静かに微笑みました。
「弱さがあるから、人に優しくできるんですね」
その瞬間、彼女の中で「弱さ」と「優しさ」がひとつに重なり、
新しい自己受容の扉が開いたように見えました。
🌿 怒りが守ってくれるもの
別の男性はこう言いました。
「僕はすぐ怒ってしまう。こんな自分を直したいんです」
怒りの奥に耳を澄ませると、
そこには「大切にしている価値観が踏みにじられるのがつらい」という声がありました。
私がそのことを伝えると、彼は深く息を吐き、こうつぶやきました。
「じゃあ、怒りも僕を守ってくれていたんですね」
怒りは敵ではなく、自分の本質を知らせてくれるサイン。
そう気づいたとき、彼の表情はやわらかく変わっていきました。
🌿 心の会議に席を与える
ある若い方はこんな表現をしました。
「心の中が会議みたいなんです。
『挑戦したい』っていう声と、
『失敗したらどうしよう』っていう声が、ずっと言い合っていて…」
私は提案しました。
「両方に椅子を用意して、順番に話を聞いてみましょう」
少し間を置いたあと、彼は笑顔で言いました。
「あ、意外と両方とも、僕を助けようとしてくれているんですね」
対立しているように見えた声たちが、
実は同じ方向を向いていたことに気づいた瞬間でした。
🌌 リールとアカシック、そして魂意識
こうした体験を振り返ると、
私たちの人生は「リール(フィルム)」として
あらかじめ情報空間に存在していることが見えてきます。
弱さも優しさも、怒りも挑戦も、
すべてはリールに描かれた必然のシーン。
さらにその背後には「アカシックレコード」があります。
アカシックは、魂がどんなテーマを学び、
どんな役割を担うのかが刻まれた“情報の図書館”のようなもの。
そこから流れ出た設計図がリールとなって投影され、
私たちはその中で物語を生きているのです。
🌌 魂意識と源の視点
魂意識は、そのリールを生きながら、
「これは映画だ」とどこかで知っている存在です。
映画館でスクリーンに没頭して泣いたり笑ったりする自分と、
「これは映画だ」と知っている自分が同時にいるように。
そしてさらに外側には「源(ゼロポイントフィールド)」があります。
源は、映画館そのもの、光そのもの。
リールもスクリーンも役者もすべてを生み出す基盤です。
そこには物語も葛藤もなく、
ただ静けさと完全性が広がっています。
🌿 日常でできる小さな実践
こうした視点を日常に活かすヒントもあります。
たとえば、心に湧き上がる声を一つひとつに席を与え、
「今話しているのはどの自分かな?」と聴いてみること。
また、感情や出来事をノートに書き出すと、
繰り返されるパターンが見えてきて、
アカシックに刻まれたテーマが浮かび上がってきます。
ときには「この体験から魂は何を学ぼうとしているのだろう?」と問いかけてみてもよいでしょう。
答えは夢や直感、身体感覚として返ってくることがあります。
さらに、ほんの数分の呼吸や瞑想を取り入れるだけで、
没入していたリールの場面を一歩引いて眺める余裕が育ちます。
🌌 結びに
「弱さ」も「怒り」も「矛盾する声」も、
すべてはリールに描かれた必然のシーンです。
その背後にはアカシックの設計図があり、
さらに奥には源の静かな完全性があります。
私たちはリールの中で役を演じる俳優であり、
その物語を味わう観客であり、
そして映画館そのものでもあるのです。
クライアントさんとの対話を通じて、私は何度もその真理を思い出します。
どうかあなたも、今この瞬間に投影されているリールを味わいながら、
ときにはアカシックの意味を感じ取り、
そしてさらに深いところで、源の静けさに触れてみてください。
きっと人生の彩りが、これまで以上に豊かに感じられるはずです🌸